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いくらかの仕事を終えた後、今後に関する話のために、管理人用の一室においてCと大家は緑茶を飲みながら顔を突き合わせた。
「自分のことを仰らない人でね。心配はしていたのだけれど。結局、あまり知らないままにこんなことになってしまって、私も残念です」
家主の発言は確かに共感できるものだった。もっともだからと言って彼女は解決へ大掛かりな努力まではしなかった。行おうとしたところでどこかに壁があることを直感でこの女性は知っており、気にかけはしたが、それだけである。間違ったことではない。加えてこの老人は、時折外出する程度の健康を維持しており、まだ気にする必要がないという楽観もあった。部屋から出るのを2日絶った段階でも、そういう日があるとおもえる程度である。だが、時折外に出て、帰り道に買い物袋に入っている、部屋のゴミの根源たちは、本人を含む関係者全般に知られぬうちに、少しずつ肉体を蝕んでいたのであろう。そうやって最後には破綻の瞬間をもたらした、と考えるのが妥当か。
先にCの案内でずっと綺麗になった201号室を思い出しながら、支払いに関しては問題ないと大家は言った。
「親族の方に聞いたのですが、昔は経営や投資をしてかなりお金を持っていたそうなんですよ。それがうまく行かなくなって借金をして、ついには家族に泣きついてどうにかやりくりしていた、と。そこからは何かが変わったかのように無節操な生き方をしてしまい、奥さんとお別れになって、最後にここに流れた、ということです」
根っこはやっぱり金の不足か、とCが反復する中で大家は続ける。
「お金の件や奥さんとの関係のせいでご家族からの信用はあまりなかったそうですが、例の人の甥……ここまでの話を聞いた方なんですがね。その方は一番最近まで縁があったそうです。昔から可愛がってくれた叔父さんだから、最後の面倒は自分が見たいとおっしゃってくれて。それで清掃代についてご家族を説得してくださったそうです」
若いころからつながりのあった甥。すると、先の写真の男女の若いところはもしかしてそんなところだろうか、すると少し年を取った女性が、故人のかつての妻であろうか、するともう一人の若い男女のどちらかは故人の子供か、それとも別の親族か……とCは適当に当てはめていきながら、ふとあの写真の存在そのものを伝えなくてはならないと気付く。
「ご遺品などは、その方が受け取ることに?」
「そうなるでしょうね。埋葬のことも含めて、後日再度話し合いが必要でしょう。今日は用事が重なってしまったようでしてね」
「写真が結構残っていたんですよ。今度機会があれば、その方にお見せしましょう」
「喜んでくださるでしょうね」
菓子パンとコンビニ弁当のゴミ、それに安雑誌なり先々月の市の広報なりに埋もれながら晩年を過ごしたであろう男にも、語るべき過去がある限り、同情する者が流石に現れるようだった。そのことがせめてもの救いであろう。加えてCとしては、前の面倒な一仕事がより面倒になったのが、金回りの交渉が些か拗れた結果であったこともよく記憶しており、スムーズに進むというだけで満足である。
「落ち着いて見えて意外と細かいところまで見えて、気にしてしまう人だったそうでしてね。金を稼ぐ中でストレスがたまりやすくて、ギャンブルに逃げてしまったのではないか……とその方は仰っていました」
同情する者の新しい仲間に、Cは既に加わっていた。大抵の部屋を見たときと同じように、大抵のその主の過去を聞くとき、今と同じ思いだ。
それでも自分が何を言おうが、細かく知り得ぬ人には違いない、それもまた知るところだ。共感して見送れても、遺族にはなれないのだから。少し引いた目線をするなら、結局は生活と精神の負担に挟まれてギャンブルに走った……という話だ。自己の責任のみで世は語れぬにせよ、その領分は権利に付与されるものとして一定まで生きているのである。それでもなお、Cは同情していた。同情するからこそ、この仕事をしている。
大家がふと口を開く。単に思い付きだった。
「あの部屋で何か化けて出てこないのかしら?事故物件なんて言い方もあるでしょう」
「たぶん大丈夫です」
丁寧と認めてもよいであろう仕事をした自覚があった故に、事故物件と発言する大家にむっとした、というわけではない。ほとんど冗談か思い付きであろうことに、さしたる関心などないと思っていた。にもかかわらずとっさに返した言葉に想像以上の確信の口調があったことには、数秒経ってからCに少し困惑があったが、けれどもこの確信がこれ以上ない物でもあったので、補強の言葉をつないだ。
「たぶん、いるにしても静かにしていてくれると思いますよ。きっと」
「それならよかった」
大家はもう一つ思い付きで口を開いた。この手の部屋は値が安くつくけども、イギリスでは霊が出るような家は却って価値が付くのだという、ありきたりな豆知識は、Cにしばらくすれば忘れるであろう程度の興味を呼び起こした。
タイムセール中だった近所のスーパーの総菜の入れ物をまとめてプラのゴミ箱に押し込み、空になった米の茶碗を湯でゆすいで流し場に置く。空腹の消え去ったことを確かに思いながら、テレビの前の畳に寝ころんだ。食べてすぐ寝ると牛になる、という言葉が気になって試した子供時代の一光景が、ふと浮かんでくる。脇腹の痛みという教訓を得てからは、確かに積極的にはしなくなった行動ではある。ただし能動的に行わなくなった代わりに、いくらか衝動に任せて畳の感触を背中か脇腹に置くことは、今でもあった。
Cは何らの目的を持たずに、惰性で見ようとテレビをつける。終わりかけの洗剤のCMが流れた直後に、例の葬儀屋のCMが写った。恐らく201号室の老人も、さして会うこともない大家を経由して清掃業者や行政機関の世話になるのではなく、親しい遺族を通して葬儀会社の厄介になる可能性はあったのだろうか。
流れ始めたのは動物バラエティだ。野良猫を保護せんとする団体の活動の様子が写る。毛は逆立ち距離を取らんとする黒猫に、メンバーがゆっくり近づいていく。平穏に、幸福に生かすために。
ふと、生きる、ということを思った。人間というものは概ね大きな道を外れず、他者と交わりつつ歩くものである。道を外れた者は寝るも着るも食うも満たされぬ運命を招きかねないのだから、大抵はその通りであろう。だとしても、結局は脇道に逸れる人間は出てくる。そしてこういう人間のうちの相当数は脇道の寂しさに耐えかねて、結局大きな道に戻って、死までの時間を過ごすことにする。脇道で見た寂しさを小さな道から持ち帰れるかどうかが、ともすれば凡人と非凡人を分けるものかもしれないが。
そしてその相当数に入らない、脇道に取り残されて迷った連中のこと。もっとも脇道だって、ひっそりとしてはいても生きることは出来るのだろう。正道を妬み、羨み、目をそらし、或いは目もくれずに。それでも行き倒れは出てくる。
たぶん大きな道を歩む人らにとっても、一瞥もしない、というのは存外少なく、むしろその身に宿した道徳律のゆえに、同情の気を示しはするだろう。ただし概ねの人は感じるのみであるから、誰かが件の無惨な行き倒れを拾って適当な場所においてやらないといけない、という場面で躊躇する。それでも誰かしらがやる必要がある。ならば自分はそれを果たす大きな機構の一部、そういうことであろうか。
様式に沿った葬儀、埋葬、慰霊を横に見ながら、はみ出したものを秘かに拾い上げる大きな網の一分子。それなら、なるほど自分にも価値はあろう。だが大本を考えれば、そもそも需要なき仕事である方が良いのではあるまいか?いや、脇道に逸れる人をなくせるほど、果たして人間の性分とはそこまで統一できるものなのだろうか。全ての人が自らの葬儀で、熱のある思い出話をされる権利を得ることが崇高な理想だとしても。
猫の甲高い声を聴きながら浮かぶのはとりとめのないことばかりだった。靄に包まれたように遠くから見えず、近づいてもモザイクがかかって人の目には到底見えない形をとるし、掴んでも円か角か分かったものではなく、意外に知れるようで結局知れない。しかし知ろうとする試みそのものを放棄させてはならぬような、そういう物。Cは、偉かったり賢かったりする人なら多少はこいつを解釈できるかな?と思った。彼は自分を賢いと思ったことが大して無かったので、この手のことを委任しうる他者の存在を、必要と言わずとも少し望む節を持った。
Cは、尾を立てて警戒する保護猫たちに、芸能人が餌やりに苦慮する映像を見聞き、というより聞き流して、それなりの笑気を宿しつつも、この情報の一方的な受け取りが億劫と認識しつつあった。今日は飲まなくても良い気分と悟って、押し入れの下段に畳んである敷布団を取り出そうと、ゆっくり立ち上がった。
清掃員 @Slowmono
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