基礎からの文学少女
ハナビシトモエ
ヨカナーンの首
小学校の図書館にあったシェイクスピアを全部読んだ。星新一も、変色した太宰治もみんな読んだ。クラスでは納得の図書委員三年連続で委員になり、六年生で委員長になった。
クラスメイトのお父さんが私のことがすごいから、ぜひうちの息子の師匠になってくれと言われた時は非常に困った。仲良しの証として渡されたピーターラビットの金色の栞は今どこにあるか分からない。
ただその息子も変だった。彼は歴史漫画をよく読んだ。その上日本人作家をよく読み、彼に江戸川乱歩を知っているかを聞いた時に不思議そうな顔をされた。そのお父さんが「うちの息子はよく本を読む」という言葉に対してどこかで期待をしていたのだ。
私は中学では図書委員に入り、エドガー・アラン・ポーやアーサー・コナン・ドイルを読み漁り、彼は吹奏楽部に入った。私立高校に推薦で進学した以降のことは知らなかった。
高校はその地区で一番賢い公立高校に進んだ。本は読み続け、文芸部にも入った。バイトは書店でこっそりして、従業員割引で綾辻行人の館シリーズを読み、もっともっと高みを目指す為に文学部へ行きたいと思っていた。シングルマザーだった母が倒れたのは高校三年生の夏だった。
母は幾度も大学には行くお金はとっているからと言ったが、母はそんな余裕のある容体では無かった。泣いて謝る母を背にもう新しい家庭を築いている父親に連絡するのをためらった。最終的には電話ではなく、メールをした。返事は無かった。
高校を卒業して、書店にそのままアルバイトとして入った。駅の中にある本屋さんでけして大きくない。駅の隣についている店舗型のコンビニよりも小さいかもしれない。
高校を卒業して、しばらく。中学時代より少し太った息子が面接にやってきた。わざわざ言うまでもないが、うちの小さい店で彼のような体の男性は仕事に支障をきたす。
「赤川さん」
仕事中にパートさんに声をかけられた。この人ももう二年になる。
「昼間に来た落ちた子」
「はい」
「赤川さんの話してたよ。憧れだったって、青春だね」
「憧れって?」
「ムヒヒ、秘密。よく来てたみたいよ。私も知ってたから会った事ない?」
見たことは無かった。朝に多く入っていたのに通学の彼を見ることは無かった。
「店長も言っていたけど、夕方が多かったみたいよ」
下校した後ならそれくらいか。それにしてもよく覚えている。それほど常連だったのか。
「でもね、三時に来て五時に改札を通るの。制服着ていたし定時制だったのかしら、それにしては普通科だったって、訳ありね。二時間で文庫三冊。勉強に生かせばいいのにね」
どちらにしろもう会う機会はない。私は二十でアルバイト、彼は二十で大学生。そうでなくても、そうであっても私には関係ない。いつまで経っても正社員の声かけは無かった。
店舗見学で新卒が来ていることは誰もが知っていたし、利用者の増大と再開発で駅前には大きなビルが建とうとしていた。その中にはクリニックがたくさん入ること、今流行りのカフェブックストアが出来ること。
ここの店舗はその流行りの店舗へ移転すること。新卒や社員で店を固めること。私はそこでの戦力には入っていないこと。この店舗が閉店する時に私の役目は終わること。
契約更新が出来ないと言われるか、自分から自己都合による退職をするか。母の体調は安定してきた。しばらくは働かずとも生活が出来るだろう。引き継ぎと有給休暇を使う手前、年始から有給を使うことになった。
店長は全てを知って、申し訳ないと頭を下げてくれた。退職金は多くもらえたのでいいだろう。赤川さんならもっといい職場に巡り会えると言われたけど、私にとってはここがベストだった。
初売りが無い年始は久しぶりだった。仕事ばかりで自分の住んでいる町が今どうなっているのか私は知らなかった。散策してみるとショッピングモールが建っていたが、まだ新しいようだ。中を歩いていると本棚ライブラリーというショップを見かけた。
給金はほとんどなく、ただ一日数時間。古本の貸し出しを管理するボランティアの募集だった。このショッピングモールが動き出して、春を迎えても募集があったら、こういう道もいいかもしれない。私は駅前の再開発とは違った街で今日も生きることにする。
私は早朝に起きて、身支度をして、時計を見て、もう自分は書店員でないことを何回も思い出す。仕事まで六時間。高校まで読んでいた本を押し入れの中から掘り出した。
久しぶりに文学少女に戻ってみるのもいいかもしれない。
大切に持ち上げ、私はヨカナーンの首を抱くかのように、戯曲サロメを胸に抱きしめた。
基礎からの文学少女 ハナビシトモエ @sikasann
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