炬燵生活

海山みどり

第1話

二人で出かけた帰り道、杉山さんは住んでいる会社の寮がかなり遠いのに、いつものように私の最寄り駅の一つ隣まで送ってくれようとした。乗り換駅のホームで空いているベンチを見つけたので杉山さんを誘って一緒に座った。


 「杉山さん、いつも言おうと思っていたけれども、今日こそ送らなくても大丈夫ですよ。仕事が忙しい時期なのに、帰りが遅くなって杉山さんが大変じゃないですか」


 「僕が好きで麻衣子さんのためにしていることだから安心して、任せてください」


 初めて会った時に「なぜかいつも振られてばかりです」と自己紹介してくれたちょっと変わった杉山さんはびっくりするぐらい良い人だった。仕事の会議で急に予定を当日キャンセルすることになっても、デート中に具合が悪くなった時も機嫌を悪くすることなく休日診療所を探して一緒に付き添ってくれた。いつでも仕事の愚痴も聞いてくれて、映画や食事のお店もジャンルも私を優先してくれる。買い物に付き合わせた日は実は発熱中だったなんてことも有った。逆に杉山さんの希望を聞くと特にないと答えられてしまう。読書とテレビのニュースを見る以外に特別な趣味もなくて、買い物も決まった店で店員さん任せているそうだ。


 難しいプロジェクトの担当を任せられたそうで、仕事の量も増えて締め切りや人間関係のごたごたの苦労が増えたというのに愚痴をほとんどこぼさず、自分の話はつまらないからといって、気が付くといつも私ばかりがしゃべっていた。


 困ったというか驚いているのが、いつまで経っても、キスどころか、手を握ろうともしなかった。ムードの良いお店に行っても、単純に嬉しがっている様子を見ていると、今までの元彼と元彼未満のろくでなしどもの欲望に忠実な野犬のような単純な行動力がやっぱり異常だったと実感した。


 手慣れていると思われるのはまずいので、適当に場面に応じて杉山さんの方から動けるように誘導することで、今でもちょっとぎこちないけど、手をつなぐのもキスも大分上手になってきた。が、これ以上を考えると正直面倒にも思える。杉山さんは会社の寮暮らしで、その手のホテルは汚そうで私になんとしても拒否したい。私の部屋に招待すれば簡単なようだけれども、あの問題があるから絶対それは避けたい。


 ホテル代をけちりたいのか一人暮らしの我が部屋に来たがるろくでなし男どもとの部屋への訪問を巡る攻防を思い出して、まあそれぐらいワイルドさが杉山さんに有ってもよいのかも思ってしまった。


 つい一人でいろいろ考えてしまい、黙っていたのを横でじっと様子をうかがっていた杉山さんが何か勘違いしたらしい


 「やっぱり僕はつまらないですよね」


 慌てて打ち消した。


「いえいえ、杉山さんは本当に優しく良い人ですよ」 


 「優しい親切な良い人。いつもそればかりです。正直、僕と出かけてもつまらなくないですか。何をしても他人任せで、本当に楽しんでいるのか分からない、ロボットみたいで面白みがない、不気味とも言われたことがあります。いつも頑張っているんですけどれもどうしてもできない」


 「そこが杉山さんの良さだから無理して頑張る必要はないんじゃないですか」と言っても杉山さんは納得しない様子だった。


「もう遅いですから帰りましょう。今日はお言葉に甘えて、ここでお別れすることにします。せめてホームまで送らせてください」  


 乗り換えの階段に向かって二人で歩き始める。元気になるような褒め言葉を考えているとあっという間に私の家に向かう方面の電車のホームに着いてしまった。すぐに電車が来て、乗り込む間際に杉山さんに寂しそうに言われた。


「今日でお別れしましょう。僕ではなくてもっと良い人を探してください」


 閉まった扉の向こうにいる杉山さんの無表情な顔を見ると可哀想で切なくなったけれども、お互いのために良かったのかもと考えてしまった。


  


 逃した魚は将来有望で良い人だったのにと考えると気持ちが落ち込み、乗り過ごしそうになって慌てて自分の駅で降りる。駅前の大通りは歩くとすぐに静かな住宅地域になる。ちょっと前までは畑も素敵な庭のある古い日本家屋の家が多かったのに、あっという間に、今時のオシャレ風マンションや似た作りの建て売り住宅に変わってしまった。鬱々とした気持ちの気分転換にちっともならない。


暫く歩くと冬で葉が落ちて血管のように建物全体に這っているツタの大枝ばかりが目立つ二階建ての昔ながらの外階段のおんぼろ我がアパートに到着する。部屋のドアの前で鞄から鍵をひっぱり出しているとどこかで見張っていたのか私の帰宅を待っていたらしい大家の猫のタマさんが足下にすり寄ってくる。


 「タマさん、慰めに来てくれてありがとう」


 抱き上げようとしたらタマさんは私の手からすり抜けて床に飛び降りる。クールなタマさんに期待して振られる楽しさもいつもの事だった。ドアを開けると、タマさんは暗い玄関も室内も我関じとばかりに奥の部屋に向かってまっしぐらに進んで、さすが黒猫で素早く闇に姿を溶け込ましていった。玄関でもたもたと靴を脱いでいたらタマ様を楽しみに待っていて帰りが遅かった私を恨むかのようないつもよりやや大きめの音量の声が脳内に鳴り響いた。


 「早う、灯りとわらわにスィッチを入れるのじゃ。娘御よ」


 花代様が「お帰りなさい」とは絶対言わないのはやはり人でないものなんだなあと思う。ダイニングキッチンと呼ぶには古めかしい広い台所エリアの電灯を付けて、一応頑張ったデート服を乱暴に脱ぎ捨てて部屋着に着替えて綿入り半纏を羽織る。メークを落とすか悩むもまずは冷蔵庫を開けて、梅酒をコップに注いで、その場で飲み始める。


 「帰宅早々酒とは品がないのう。早う、早う、こちに来て、電源を入れよ。毛皮の君が寒いと申しておるぞ」


 「はいはい、分かりました。今行きます。花代様も自分でスィッチを入れるように霊力とかでなんとかできないの」


 恐ろしい例の祟りを発動されるのも嫌だけど今日は親切な気分になれないのでわざとちょっと冷たい対応をしてみる。梅酒のコップを片手に持って奥の部屋に行き、室内灯と炬燵のスィッチをつける。炬燵の中で温かくなるのを待っているタマさんを蹴らないように注意して足を伸ばす。


 「足が冷えておるのお、温度をもっと高う設定賜れ」


 「あまり熱すぎると中のタマ様の健康に良くないから、この弱のままで暖まるのを待ちましょうよ。それより花代様、私の愚痴を聞いてくださいよ」


炬燵がオンになり、タマ様も来たからもう用は済んだし、酒を片手の面倒くさいモードの私とは話すことは拒否を花代様は決めたようだ。いくら呼び掛けても声は聞こえてこない。


 炬燵の中に手を突っ込んでタマ様を無理矢理膝に載せようとしたら、拒否されて爪でしこたま引っかかれる。炬燵の主の花代様と大家さんのご長寿猫のタマ様といい我が部屋にいるのは俺様ばかりだよねと思ったら杉山さんとの破局の原因が分かった。ろくでもない存在に慣れすぎて、普通の人との関係性の基準がおかしくなっているのかもしれない。


「今回の失恋の原因も花代様ですよ。少しは責任を感じてくださいよ」 


 炬燵に入って花代様のことを改めて考えてみた。


 ことの起こりは二年前の曾祖母の葬儀だった。東南アジアに暮らしている叔父さんから久々に会いたいと町外れの居酒屋に呼び出された。酒を飲む前に座敷席の畳に頭をすり下ろすように何度も土下座で頼み込む叔父さんの勢いに負けて、古びた炬燵と古布団を引き受けるはめになった。ろくでなしの実の父が出奔する前にはよく遊びに行っていた長澤の家で、いつもにこにことした笑顔を浮かべて歓迎してくれた曾祖母は、会いに行く度に可愛いねえと褒めちぎり、お小遣いやお菓子もくれて長澤の親戚の中でも唯一のような優しい身内の人だった。曾祖母の愛用の遺品と聞いて大切にしようとは思った。


 いざワンルームの狭い一人暮らしの部屋に宅急便で届けられた炬燵を設置しようとしたら、ベッドの横の隙間全部が炬燵でいっぱいになってしまって歩くスペースもなくなり、気楽に引き受けたことを後悔した。炬燵を箱に押し込めて、申し訳ないけど処分しようとしたら、急に聞き慣れない大声が自分の脳内に鳴り響き、部屋中に恐ろしい悪臭が漂った。


 「わらわは花代と申す。花代様とお呼び、長澤家の娘よ。おまえの前の娘御は大変良く尽くしてくれた。これからはおまえが守人じゃ。よろしう頼むぞよ。わらわは力があり、良く尽くす者には相応の報恩を授ける。悪しき者には祟りをなすぞよ。また、冬の間はなるべく蜜柑をわらわに捧げるのじゃ。この臭いはおまえの家の先祖達の放屁や足の臭いをため込んだものじゃ。文句は奴らに言うが良い」


  花代様とやらは姿は見えないけれども声だけ聞こえる存在らしく、毎日部屋にいる間中は「早く炬燵を設置せよ」と苦情を言われた。狭すぎる部屋に広げようもないし、第一神様?妖怪?らしい物を部屋に広げる気持ちには到底ならなかった。


 迂闊に人に話したら、自分の正気を疑がわれかねないから相談も簡単にできないし、事情が分かりそうな叔父さんに相談しようと電話したら、長澤の家の電話も携帯は解約されていて、通じない。困り果てて、これからの法事やお墓の管理などで連絡先を伝えていそうな菩提寺に相談したら、フィリピンにある会社の電話番号を教わり伯父さんと話すことができた。


「炬燵のことはよくわからんが、神様か妖怪だか幽霊が付いているらしい。家の退去で他の家具と一緒に処分しようとしたら、どうしても駄目だったらしい。長澤家の女に渡せばよいっておばあちゃんが言っていたらいらしいから麻衣子に頼むしかなかった。俺には娘はいないし、係累の子どもは男ばかりだ。俺は嫁のいるこの国に骨を埋める予定でもう田舎の家は処分したから戻す場所はない。フィリピンでは炬燵は使わないだろう。言うのを忘れていたが、炬燵を保存するための通帳を寺の貫主に渡したはずだ。貰ってなかったら取り立てろ。まあ、よろしくな。いい大人なんだから俺に頼らずもう自力で解決できるよな。まともな大人になったお前を誇りに思うよ」


 若い頃から日本を飛び出した叔父さんは、けして順風満帆な状況ではない時も、父の失踪に困っている母に度々送金してくれた長澤の家で唯一のまともな社会人だった。根っからの理系タイプで、宗教や似非科学、オカルトも大嫌いな人が、炬燵の怪異を否定しないので、信じるしかなかった。


 諦めて、炬燵を受け入れることに決めて動き出したら、スムーズに進んだ。炬燵を置けるような間取りの安い値段の引っ越し先を探そうと、たまたま遊びに行った駅の不動産屋の店頭の広告を眺めていたら、訳ありの空き部屋を抱えた今の大家さんと知り合った。お互い困っている者同士で話しが早く進み破格の値段で部屋を借りることができた。(花代様のお陰か、住み始めたらアパートのあちらこちらの部屋で鳴っていた怪奇音がなくなったそうで、大家さんには感謝をされまくっている)


 古い作りだけど部屋数が多くて、炬燵部屋も十分に作れる部屋に引っ越して、改めて炬燵を設置した。あれだけうるさかった花代様は出てくる気配を現さなかった。炬燵を用意したことでミッションが達成して成仏したのかなあと思うことにした。


 うざいと思っていた炬燵も、仕事から帰って疲れた体を温めるのエアコンよりも早く温まるし、無駄に広くなった部屋でエアコンを使った場合の電気代を考えたら、このまま使うのも悪くないのかもと思えるようになった。いつの間にか、帰宅してから寝る前までの時間と、出かける予定もない暇な休日に炬燵でスマホやテレビ見たりしてのんびり過ごすのが意外と快適で毎日使うようになった。


 もちろん世の中は簡単には過ごせない。ある夜、BGM代わりにつけていた2時間さすペンスドラマがあまりにもつまらないので他のチャンネルに変えたら甲高い脳内に響くような悲鳴が聞こえた。


 「ドラマの終盤の盛り上がりで犯人を追い詰めるところをなぜ番組を変える。早う戻せよ」


 「やっぱり簡単に消えるわけはないよね。なんで今まで出なかったのよ。それに声が変じゃない」

 「早う、早う。気が利かない娘御よのお。テレビを元に戻すのじゃ」


 「はいはい」私はまともな返答はかえってこないものと諦めて、2時間ドラマを黙ってみることにした。終わったとたんに花代様のいつもより甲高い声がまた鳴り響いた。


 「痛っ、痛い。花代様声の音量とトーンを下げて、耳がおかしくなってしまうよ」


 「娘御よ、粗相を許せよ。時間軸とエネルギー量の調整はやっかいなものなんじゃよ。これでどうじゃ。あああああ、美声であろう。やはりドラマは2時間ものじゃのお。陳腐さがたまらん」


 自分の言いたいことだけ言って花代様はまた気配を消した。それから毎日テレビでニュースや映画を観ていると文句を言いに出てくるようになった。どうやら花代様は曾祖母との生活でテレビが大好きになったらしく好みは韓流ドラマと2時間サスペンスで、私はテレビは諦めて、花代様の好きそうな番組を流すことにしてスマホや読書をするようにした。


 やっぱり消えることのなかった花代様との生活でちょっと面倒なのは蜜柑か柑橘類を炬燵の上お供えすることだった。でも本人は食べることはなく、お供えとしてあることが大切だそうで、適宜時間がたったらお供えの祓い下げとして食べていいそうで、毎日蜜柑を食べるようになったらお肌とお通じの調子が良くなり、ご利益というか嬉しい棚ぼた効果があった。


 また花代様が毎朝やかましく、位相や地場のバランスを崩すとか都合がわるいとかで炬燵の内外の掃除や雑巾掛け、掛け布団の天日干しを要求されるので、朝の毎日の掃除も日課になった。


 基本的な状況がそろって満足したのか、花代様の新しいご要望はなくなり、また私も返事の仕方や気遣いのポイントもわかってきて炬燵生活は快適で電気代の出費も減ったので花代様との生活も悪くないと思い始めた。いつの間にか、部屋に出入りするようになった大家さんの猫のタマさんの存在もありがたかった。


 唯一の問題は人気の高い街ではないけれども都心に近くて、駅からも徒歩圏内で、一人暮らしの部屋は都合良く使える部屋だと思う人が多いようだ。特にろくでもない元彼や元彼未満の男どもだった。


 花代様からは、「気にしない、むしろ、子孫繁栄のためだから積極的に良い殿方は部屋に呼ぶように」との趣旨の快諾を受けたので、試しに彼氏を部屋に呼んだら大変なことになった。


 村山さんは足が臭いし、貧乏ゆすりで駄目。近藤さんは酒を飲み過ぎるし、炬燵の脚を蹴る癖がよろしくない。高山さんは炬燵の中での不埒な行為が手慣れすぎていると、オール炬燵目線での減点評価をされた。


彼氏の訪問時は、花代様はそれでも一応静かに見守ってくれる。が、沸点が低いので、耐えられなくなると、「在(い)ね」と怒りに満ちた声を発した。追い出せと言われても部屋にまで呼んだ恋人を簡単に部屋から連れ出すのは相当難しい。うっかりもたついていると、花代様の得意の悪臭の祟りを引き起こされてしまう。


 さっきまであれだけ良い感じでいちゃつく恋人同士だったのに、公衆トイレ、タマネギやニンニクのくさったような、カビも生えた生乾きのモップ、柔道部のマットや男子高校の教室、こぼれたアンモニアや酢酸のような科学薬品臭、二日酔いの口臭持ちのため息やげっぷ、とにかく強烈すぎる臭いがしたとたんに鈍感そうな彼らも部屋から飛び出そうとする。トイレで泣き出した人もいる。とんでもないおならをすると恨まれたり、蔑まれたり、内臓の病気を心配して病院に行けと言われたこともあった。


 「わたしのせいではない」とうっかり釈明したら「じゃあ誰だよ、俺のおならかよ」と激怒され、殴られそうになったり、嘘つきのスカンク女と言われたこともあった。生理的に無理な人と思われて、サヨナラもろくに言わないで逃げていく姿を見ると、泣けてくる。


 用心して家に呼ばないようにしたら、身持ちがいい振りをしているとか、人を寄せ付けない偏狭者と言われた。


 「よからぬ男を見極める良い方法じゃろう。わらわに感謝するべきだろう。何を怒っているのだ。ビタミンcとやらが豊富な蜜柑を食べて、次の殿方に向けて美顔を保ちや」


 確かに花代様の言い分は当たってないこともないが、甘んじて受け入れる状態でもないように思えた。寒い時期が終われば押し入れにしまえると思って春を楽しみに待っていたら、炬燵という依り代は長年持つわけではないので、壊れたら住み替えが大丈夫だそうで、わりと近年、家具調炬燵に替えたので春以降は布団は片づけてテーブルとして使えということでがっかりしたことがあった。花代様との付き合いはなんだかんだで二年になって、改めて考えてみる、まともな人の代表のような杉山さんとのお別れが本当に残念に思えた。




杉山さんとのことは別な理由でもやっかいな問題になった。


「杉山さんと別れたってどういうことよ」


 職場のランチ仲間の相良先輩の紹介だったから、ランチは連日詰問タイムになった。


 「杉山さんは、中学生学からの同級生で、私の知る中で最高の良い人よ。本当に奥手でまじめな人なの。あんたのことが大好きだって、嬉しそうに言っていたのに、何で簡単に手放しちゃうのよ」


 「いや振られたのは私だし」と反論しようと思ったら、相良先輩が涙を浮かべているのを見て、泣くほど大切に思う人なら、先輩がいっそ付き合えばいいのに思った。が、先輩には、長年同棲中の司法試験浪人記録更新中のハンサム彼氏とやっと結婚が来年決まったはずだから、今更無責任な発言はと我慢した。


 土曜日の朝、チャイムで起こされた。ドアのスコープを覗くとドアの前に相良先輩と杉山さんが立っている。


「杉山君に聞いたら別れ話しもきちんとしていないそうじゃない。杉山君はまだ好きらしいから私が間に入るから今から話し合いなさいよ」


 杉山さんは後ろでもじもじしている。


 おせっかい番長と名前も高い相良先輩の自宅攻撃の噂は聞いたことが有ったけど、まさか自分の家にも来るとは思わなかった。年賀状を毎年交換している自分を憎んだ。


 「いいから早く入れてよ、私は風邪気味だし、話し声でお隣の部屋にご迷惑でしょう」


 諦めて鍵を開けたら、困惑の表情を浮かべているちょっと頬をこけた様子の杉山さんの方が相良さんよりももっと具合が悪そうで、ここでなく、病院に行った方がいいのではないかと心配になった。玄関に入るのも躊躇している杉山さんを相良先輩は腕をがっちりつかんで、二人でぐいぐい部屋に押し入ってきた。


「恐ろしい見た目のアパートだけど、部屋数も多いし、案外綺麗に生活しているのね。冷蔵庫の中身はどうよ」


冷蔵庫の偵察は防げたけれども、最悪にも私がうっかり奥の部屋のドアを開けっぱなしにしていた。  


 「エアコンは使わないの。あらま、あら炬燵があるじゃない。懐かしい。寒いから炬燵に入らせて貰うわよ」


 遠慮なく炬燵部屋に踏み入った相良先輩は杉山さんを先に座らせて、自分も炬燵に足を入れ始めた。


「先輩その炬燵は壊れていて、入ると危険ですよ」


 「なんか気持ちいい。あら、タイツが何かに引っかかった。もうやだ」


 炬燵布団をめくって中を覗き込んだ相良先輩を私は必至で止めようと叫んだ。


 「だめです、全身を炬燵に入れたら危険です」


 炬燵の中のどんどん入っていく先輩の体を引っ張り出そうと炬燵布団をめくって先輩の足を掴んだが間に合わなかった。一緒に手伝おうとした杉山さんと私も一緒に三人が真っ暗な宇宙のような空間をすごいスピードで進んでいるのが感じられた。中は暑いし臭くて最悪。足をつかまれた先輩が痛いのか振りほどこうとしているので「やめて」と叫んだ。


気が付くと、先輩の足から離れて、平安雛のような頬がふっくらした女性と一緒に高速移動しているのを感じた。


 「まさか花代様。本当の姿がそれなの。でも待って真っ暗なのに何で見えるの」


 「炬燵の中はわらわの自由世界じゃ。わらわと長らく交流している娘御のニューロンの神経パルスを操るのはたやすい。または暗示をかけやすいとも言える。どちらでも好きな方を信ぜよ」


 よくわからないことをつぶやく声は聴きなれた花代様で間違いない。


 「最近はおとなしくのんびりした時間を過ごしすぎた。久々にわが力を自由に解き放つぞよ」


 「よくわからないけれども多分ろくでもなさそうな響きなので結構です」


「良きに計らえ」


 花代様の言葉で、闇の世界が今までの中でも最高の強烈な悪臭に包まれて意識を失った。


 あまりの息苦しさに目が覚めたら私の胸の上にタマ様が寝ていた。隣で、相良先輩と杉山さんは二人でくっついたように寝ている。ぼけっと見ていたら二人も目を覚ました。


 「この炬燵変じゃない」


相良先輩にどんな文句を言われるかとびくびくしていたら不思議な話を聞かされた。


「焼いたお餅の匂いがしたわ。懐かしい夢を見ちゃった。杉山君と私、中学校の図書室係で、冬休み前の短縮授業の時、こっそり図書館に忍び込んで、ストーブでお餅を焼いて食べていたのよ。楽しかったわね。校則違反だからって杉山君は始めは嫌がっていたのにだんだん面白くなったのか、その後何回も忍び込んだよね」


 「僕は、昔の家の夢を見た。厳しい祖父と祖母がいて、子どもの声はうるさいからとおしゃべりは禁止で、家でゲームもテレビもできなかった。勉強ばかりの毎日で、早く大人になって自由になって楽しもうっと考えていたのを思い出した。子どもとできるだけ遊んで楽しい家庭を作ろうっていうのも思い出した。お餅の香りは覚えているよ。相良さんとのあの日々は僕の子供時代の唯一の楽しい大切な思い出で、忘れるはずがないよ」


 三人ともすごく疲れて、話し合いも何もしないで解散することになった。


二人が帰った後、花代様に文句を言おうと思ったのに、無反応でよけいに腹が立つばかりだった。


一週間後、会社を休んだ早良先輩から都心の高級フルーツ店の袋に入った蜜柑を渡された。


 「家に行ってから毎日夢を見たのよ。今度は悪夢。白髪の老婆が出て来て、蜜柑を寄こせって呪いのように何度も何度も言われたのよ。杉山君も同じ夢を見たらしいから、麻衣子の家が原因らしいから、渡しておくね。これでもう祟られないよね」


 炬燵で大変なご迷惑をかけたことに頭を下げたら、逆に相良先輩に頭を下げてお礼をされてしまった。吃驚したことにあの日の帰り道、杉山さんに告白されて、早良先輩は思いきって今の彼氏と別れて杉山さんと付き合いだしたそうだ。二人は結構いい仲になって、春には結婚式をしたいそうだ。


 念のため炬燵の件を秘密にと頼むとあの蜜柑をねだる恐ろしい老婆の呪いつきそうだから口外するわけがないと言われて、安心していいのか悪いのか悩んだ。


 とりあえず、炬燵に蜜柑をお供えして、事後報告をしたら花代様の声が聞こえてくる。


「ほほほほ、わらわの神通力も大した物じゃろう。しかし、お礼のこの蜜柑は上等だが、我が姿を白髪の老婆と表現するとは失礼な小娘じゃなおぬしの先輩とやらわ」


 「もう、余計な神通力とやらは我が家では使用禁止でお願いします。ところで花代様はやっぱり神様なの、どうして私には夢を見せてくれないの」


花代様は言いたいことだけ言って満足したのか何も答えてくれない。


一応念のために二人に頼まれたお礼も言ってみた。


「娘御も楽しかったろう。長澤の先祖と旅した昔を思い出すぞ。また楽しもうぞ」


私は花代様の出来事の日記を付けることにした。


                 終(連作短篇として続きもある見込みです)

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