第3話 家庭の温もり、資さんうどんの挑戦

「次は資さんうどんか……」


優は小さく息を吐きながら、駅前のバスに乗り込んだ。昨日の「ウエスト」の視察で圧倒的な手軽さと効率の良さに圧倒された彼女の胸には、まだ一抹の不安が残っていた。


「ウエストにあんな強みがあるなんて思わなかった。でも……資さんうどんはどんなお店なんだろう?」


資さんうどんは北九州発祥で、福岡県内でも根強い人気を持つチェーン店だと聞いている。しかし、詳しいことはまだ知らない。


「嶋村さんにまた何か言われる前に、しっかり見てこなくちゃ。」


優は、カバンの中から小さなメモ帳を取り出し、資さんうどんについての簡単な下調べをもう一度確認した。「豊富なメニューと家庭的な雰囲気」というフレーズに目を通しながら、バスが目的地に近づいていく。


資さんうどんの店舗に足を踏み入れると、最初に目についたのは広々としたテーブル席と座敷席だった。店内には木目調の温かみのあるデザインが施されており、家族連れが安心して食事を楽しめるような雰囲気を醸し出している。


「いらっしゃいませ~!」


店員の明るい声が飛び交う中、優は一人用のテーブル席に案内された。その途中、ふと隣を見ると、子どもを連れた若い母親や高齢の夫婦が和やかに食事をしているのが目に入る。


「本当に……家庭的な雰囲気だな。」


優はそっと呟いた。これまで訪れた飲食店とは違う、どこか温もりのある空気感に包まれた店内。メニューを手に取りながら、優は「家庭的」というキーワードがこれほど強い印象を与えることに驚いた。


資さんうどんの豊富なメニューに目を奪われながら、優は定番の「肉ごぼううどん」と、名物の「ぼた餅」を注文することに決めた。


「うどん屋さんでぼた餅って……ちょっと変わってるけど、どんな感じなんだろう?」


メニューを見た時から気になっていたぼた餅。これが資さんうどんの隠れた人気メニューだと知り、ぜひ試してみたいと思ったのだ。


注文を終えて少しすると、テーブルに料理が運ばれてきた。まず目に飛び込んできたのは、甘い餡がたっぷりかかったぼた餅。そして、湯気を立てる「肉ごぼううどん」。


「お待たせしました!どうぞごゆっくり!」


笑顔で料理を提供してくれる店員に礼を言いながら、優は早速「肉ごぼううどん」に箸を伸ばした。スープを一口すすり、驚きが表情に現れる。


「美味しい……!甘辛い肉の旨味がスープに染み込んでる!」


ごぼうの香ばしさと柔らかい食感も絶妙で、うどんとの相性が抜群だ。優は夢中で箸を動かしながら、その味にすっかり引き込まれていた。


「これが……家庭的な味ってことなのかな。」


次に手を伸ばしたのは、気になっていたぼた餅だ。ふわっとしたもち米の食感と、優しい甘さの餡が口の中で絶妙に溶け合う。


「ぼた餅……うどん屋さんで出す意味、最初は分からなかったけど、これ、すごく良いかも。」


うどんを食べた後に、こうした甘味があることで食事全体の満足感がグッと上がるのだと実感する。


食事をしながら、優は改めて店内の様子を観察した。座敷席では子どもを連れた家族が楽しそうに食事をし、カウンターでは年配の男性がぼた餅を頬張りながら「これが一番だよ」と独り言をつぶやいている。


「客層がすごく幅広い……高齢者も子ども連れもみんな楽しそう。」


また、店員たちは忙しそうに動きながらも、どこか和やかな雰囲気を保っている。客一人ひとりに対して親切で丁寧な接客をしており、それが店全体の空気感を作り出しているのだ。


ふと、隣のテーブルの高齢女性が、優に話しかけてきた。


「ここ、初めて?」


「あ、はい。そうなんです!」


「ここのぼた餅はね、昔から変わらない味なのよ。私、これを食べるためだけに毎週来てるの。」


「そうなんですね……ぼた餅、すごく美味しいです。」


「そうでしょう?それに、この店のうどんはね、なんだか家で作るのと似てるのよ。だから、安心するんだわ。」


「家で作るのと似てる……」


その言葉に、優は小さく頷いた。「家庭的」という言葉の意味が少しずつ自分の中で形になっていく気がした。


視察を終え、やりうどん本店に戻ると、嶋村がいつものようにカウンターで新聞を広げていた。優は彼の前に立ち、視察の報告を始めた。


「資さんうどんは……やっぱりすごかったです。まず、店内がすごく家庭的で、座敷席があったり、木の温もりを感じられる雰囲気でした。子ども連れの家族や高齢の方が多くて、客層も幅広いんです。」


「ほう。で、何を食べたんだ?」


「肉ごぼううどんとぼた餅を食べました。うどんは、甘辛い肉の味がスープに染み込んでて、ごぼうの香ばしさと相性が抜群でした。あと、ぼた餅が本当に美味しくて……うどんを食べた後に甘味があると、すごく満足感が高いんだって分かりました。」


嶋村は新聞を置き、腕を組んでじっと優を見つめた。


「つまり、資さんうどんは家庭的な雰囲気と、甘味を加えることで満足感を引き上げてるってことか。」


「はい!それが、資さんうどんの強みだと思います!」


嶋村はふっと笑い、少し挑発するように言った。


「で?やりうどんはどうする?資さんの真似をしても勝てないぞ?」


その一言に、優は固まった。「確かに……資さんうどんと同じ方向で戦っても、勝ち目はない……」


嶋村はそんな彼女を見ながら、新聞をまた開く。


「まぁ、考え続けろ。それが、お前の仕事だ。」


「……はい!」


優は力強く返事をした。資さんうどんの家庭的な魅力に圧倒された分、自分たちのやり方を考える必要があることを強く意識した。そして、次は「牧のうどん」への視察が待っている。


---


翌日

「資さんうどんが……すかいらーくグループに入った……?」


やりうどん本店のバックヤードで、優は資料を手にしたまま硬直していた。その資料には、鮮やかに印刷された見出しが目に飛び込んでくる。


「資さんうどん、すかいらーくHD傘下で全国展開へ」


「これ、本当なんですか?」


震える声で尋ねる優に、カウンターでいつものように新聞を広げていた嶋村が顔を上げた。


「ああ、本当だ。資さんはもともと北九州と福岡中心のチェーンだったが、すかいらーくの資本を得たことで、全国展開の準備を進めてるらしい。」


「全国展開……」


優はその言葉を繰り返し、手元の資料に目を戻す。そこには「既存店舗のリニューアル」「新規出店」「資さんの家庭的な味を全国に」というフレーズが踊っている。


「これはやばい……」


「その通りだ。」


嶋村は淡々と答えながら、新聞を折りたたんだ。


「資さんは家庭的な雰囲気と幅広いメニューで地元民に愛されてきた。そこに、すかいらーくのノウハウが加われば、さらに強力なチェーンになる。やりうどんどころか、三大チェーン全体にとって脅威だろうな。」


「でも……どうして今、こんなニュースが……」


優は資料を抱えながら、何とか状況を整理しようと考え込む。しかし、嶋村は肩をすくめた。


「どうしてって?簡単な話だ。資さんが次のステージに進む決断をしただけだよ。地元チェーンとして満足せず、全国にその価値を広げようとしてる。それだけだ。」


「そんな……」


優は視線を落とし、黙り込んでしまった。資さんうどんがさらに強くなる。それは、やりうどんが生き残る可能性をますます小さくするという現実を意味していた。


その日の午後、飲食事業部長の大村の呼びかけで「やりうどん復活プロジェクト」の緊急会議が開かれた。会議室にはプロジェクトメンバーが揃い、全員が資さんうどんのニュースにざわついている。


「今回の資さんうどんのすかいらーくHD入りは、やりうどんにとって極めて深刻な脅威です。」

大村はプロジェクターでニュース記事を映しながら、そう切り出した。


「資さんうどんは、家庭的な味と豊富なメニューを武器に、地元で確固たる地位を築いてきました。そこにすかいらーくの資本力と店舗運営ノウハウが加われば、さらに店舗展開を加速させるのは間違いありません。」


会議室は重苦しい空気に包まれる中、優は小声で呟いた。


「そんな……それじゃ、やりうどんは……」


「確かに、資さんうどんは強力なライバルになります。」

大村は優の言葉を拾い上げるように答える。


「しかし、だからと言って諦めるわけにはいきません。我々には、やりうどんにしかない武器があります。それをどう活かすかを考えるべきです。」


その言葉に、優は少しだけ顔を上げた。「やりうどんにしかない武器……?」


会議が終わった後、嶋村と優は本店に戻った。優は未だに動揺が収まらない様子で、バックヤードの椅子に座り込む。


「どうしよう……資さんうどんが全国展開なんて、やりうどんに勝ち目なんて……」


「おいおい、勝負はこれからだろ。」


嶋村が棚から古びた資料を取り出しながら、優を睨むように言った。


「資さんうどんが強くなるってことは、逆に言えば隙も増えるってことだ。」


「隙……?」


「ああ。全国展開するってことは、地元だけじゃなく広い客層に対応しなきゃならない。その過程で、本来の『地元の味』や『家庭的な雰囲気』が薄れる可能性がある。資さんが地元に特化していた頃の良さを活かせるかどうかは、まだ分からない。」


「確かに……」


優はその言葉にハッとした。全国展開を進める中で、資さんうどんがその独自性を失う可能性もある。だが、それだけでやりうどんにチャンスがあるわけではない。


「でも、それでも資さんにはすかいらーくの資本力があるし……」


「だからこそ、やりうどんは『地元』に特化するべきなんだ。」


嶋村は、手にした古い資料を優に渡した。そこには、やりうどん創業当時のメニューや店の写真が載っている。


「これが、やりうどんの原点だ。創業者が目指したのは、地元民に愛される味だった。つまり、資さんやウエストみたいに広く展開するんじゃなく、地域密着型の強みを活かすべきなんだよ。」


「地域密着型……」


優は資料を見つめながら、小さく呟いた。


「つまり、やりうどんは『地元の人に一番愛される店』を目指せばいいんですね……?」


「そうだ。全国展開なんて夢のまた夢だが、地元での戦いならまだ勝ち目はある。」


その言葉に、優の中で新たな光が差し込んできた。ウエストや資さんとは違う方向で戦う道。それを見つけることが、今の自分たちの使命だと感じた。


その日の帰り道、優はやりうどんの店舗を見上げた。資さんうどんのニュースに打ちのめされかけたが、嶋村の言葉で再び前を向けた気がする。


「やりうどんにしかできないこと……それを見つけるのが私の仕事だ。」


優は拳をぎゅっと握りしめた。


「次は牧のうどん……あそこには何があるんだろう?」


次なる視察先への期待と緊張が、彼女の胸に新たな鼓動を刻んでいた。そして、その足取りは、少しだけ軽くなっていた。

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