「輝きの大地を巡る争いは何年も続きました。村は湖に囲まれているため、クロクマもそう簡単には攻められません。カモシカたちも森に食べ物を取りにいけないので辛い日々が続きました。しかしクロクマの強引なやり方を許すわけにはいきませんし、襲ってくるクロクマから王様を守るためにも戦い続けるしかありませんでした。そんな中、さらにカモシカたちを苦しめたことがありました。カモシカの味方につく動物がまったく現れなかったのです。今やクロクマの村は森のほとんどを占めていて、誰もカモシカの村が勝つとは思っていませんでした。それでも勇敢に戦い続けるカモシカたちを見て、クロクマの王様は恐ろしくなってきました。これだけ痛めつけられても降参せずに立ち向かってくるなんて、自分たちにはとても真似できないと思ったのです」

 不覚にも両目から涙がこぼれた。自分が作った話で泣いてしまうなんて情けないことこの上ないが、これは作り話であって作り話ではない。夏にこそ振り返るべき、僕たちみんなが知っておくべき物語なのだ。

「恐ろしさに耐えられなくなったクロクマの王様は、戦いを終わらせるための武器を作らせました。それは遠くから巨大な岩を飛ばしてカモシカの村を押し潰してしまう、これまで誰も考えたことがない残酷な武器でした。この武器の矛先は戦う兵士ではなく、島で暮らす雌や子供、お年寄りたちに向けられており、一度発射されてしまうと逃げることも抵抗することも一切できません。クロクマの王様は、こうでもしないとカモシカが降参しないと思ったのです。そしてとうとう大きな岩はふたつ発射され、カモシカの村の大部分を押し潰してしまいました。島はめちゃくちゃになり、たくさんの家と罪もないカモシカたちが大勢犠牲になりました」

 回避の道はあったはずだ。おそらく王様は、戦えばこうなることがわかっていたから首を縦に振らなかったのだろう。あのときカモシカたちが冷静に王様の気持ちを汲んでいれば、もしかするとカモシカの村は別の結末に辿り着いていたかもしれない。

「村のひどい有様を見て、王様は珍しく村のカモシカたちを集めました。みんなの前に立った王様は、はっきりとこう言います。『もう戦いはたくさんだ。降参する』。初めて王様の口から命令を聞いたみんなは、慌てて王様を止めようとしました。降参するということは、クロクマの言いなりになるということです。クロクマにもたくさん犠牲が出たのですから、クロクマの王は仕返しのためにまず王様の命を奪おうとするでしょう。しかし王様の気持ちは変わりませんでした。王様はこれ以上、村のみんなが苦しむ姿を見たくなかったのです。自分の命を差し出すことでみんなが助かるなら、喜んでそうしたいと思っていました。こうして長かったクロクマとの戦いは終わり、ずっと平和だったカモシカの村はクロクマに奪われてしまいました」

 どこからか小さなすすり泣きが聞こえてきた。どうやら若菜もこの切なさを理解してくれたらしい。まだ五歳だというのに、なんて賢くて感受性が豊かな子なのだろう。

 涙でぼやける視界の中に若菜を探したが、どうも様子がおかしい。よくよく目を凝らしてみると、僕と同じように涙を浮かべているはずの若菜は横で深い寝息を立てていた。とすると、さっき聞こえたすすり泣きは……。

「それで、王様とカモシカの村はどうなったの? 続きがあるんでしょ?」

 背を向けて寝ていたはずの智子が、いつからかこちらに向き直って片肘をついている。タオルケットで何度も目を押さえているところを見ると、先ほどのすすり泣きは智子だったようだ。

「いつから聞いてたの?」

「最初から。エアコンが寒くて起きちゃったのよ。そんなことより早く続きを」

 やはり若菜にこの話は早すぎたようだが、思いの外すんなりと寝付いてくれたのでよしとしよう。それに、思わぬ聞き手が現れたのも心強い。

「多くの兵士と共にカモシカの村へやってきたのは、いつぞやのクロクマの使者でした。彼は村で一番大きい家を取り上げて、今はそこに住んでいます。カモシカたちを監視しながら、クロクマの王様の命令を待っているのでした。その命令によっては、カモシカたちはさらにひどい仕打ちを受けるかもしれません。王様は使者に会うため、一人でその家に行きました。奥の部屋に通されると、そこには両足を机の上に投げ出して椅子の上でふんぞり返っている使者がいます。彼は王様を冷ややかに見下しながら、王様が話し出すのを不機嫌そうに待っていました。王様は無礼な態度に怒ることもなく、深々と頭を下げてこう言いました。『長きにわたった戦いの責任は私にあります。私はどうなってもいい。だから他のカモシカたちは助けてください。我々は本来、穏やかで争いを好まない動物です。しかし私の力不足によって、彼らを戦わせることになってしまった。彼らは少しも悪くない。だから彼らを、元の穏やかな暮らしに戻してやってください』」

「ちょっと待って。若菜にこんな救いのない話を聞かせようとしたの?」

 やりきれない表情をした智子は、切れ長の目で僕をじろりと睨みつけた。どうも誤解しているらしい。話はこれで終わりではなく、もう少しだけ続くのだ。

「それを聞いた使者は、はっとした顔をして立ち上がりました。頭を下げ続けている王様の側に歩み寄り、緊張した声で『頭を上げてください』と促します。使者はてっきり、王様は命乞いに来たのだと思っていたのです。これまで戦ってきた他の動物の王様は皆、村の民が勝手にやったのだから自分は悪くない、と命乞いに来ました。でもカモシカの王様だけは、そうではなかったのです。民のことを思う姿に胸を打たれた使者は、すぐに無礼な態度を改めて王様を手厚くもてなし、帰りは自ら玄関まで見送りに出て敬意を表しました」

 智子が真剣に聞き入っている。こんなにも熱い智子の視線を感じたのは何年ぶりだろう。まだまだ僕もやればできるではないか。

「その後、使者がクロクマの王様を懸命に説得したおかげで、カモシカの村はこれまで通りの生活を取り戻しました。カモシカの王様の誇り高い行動により、村はぎりぎりのところで救われたのです。その噂はたちまち森中に知れ渡り、動物たちは一斉にカモシカの味方になりました。クロクマたちも“輝きの大地”の独り占めは諦め、今ではみんなと同じように実りを分け合っています。そして当の王様はと言えば、今日ものんびりと島を散歩しながら、なんにもしないで過ごしているのでした」

 智子が長い溜め息を漏らしたのを見て、僕の口からも安堵の溜め息が漏れた。結末にケチをつけられそうで気が気でなかったのだが、どうやら納得してもらえたようだ。

「無事でよかった。それにしても、村人思いの素敵な王様ね。そんな王様が本当にいたとしたら、私、カモシカになってもいいかも」

 吹き出してしまいそうになった僕は慌てて口を閉じた。

「何よ。私、おかしなこと言った?」

「ううん、全然。僕もそう思うよ」

 そのうち教えてあげよう。わざわざカモシカになんてならなくてもいいってことを。だって僕たちはすでに、やさしい王様が見守る穏やかな島国で暮らしているんだから。

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やさしいおうさま 塚本正巳 @tkmt_masami

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