中編ー③

「う、ぐ……」


 吐き気がした。

 まるで頭の中を直接かき回されたような、凄まじい気持ちの悪さだ。

 全部思い出したと思っていたが、あの時の情事のことだけは完全に思い出していなかったらしい。

 それはきっと俺の中にある防衛本能がそうさせたのだろうが、そりゃそうだとしか言いようがない。

 こんなもの、思い出したところで百害あって一利なしだ。

 

「駆? 駆、大丈夫!?」


 急に口元を押さえた俺を不審に思ったのか、睦月が心配そうに俺へと近付いてくる。

 その手が身体に触れそうになったとき――


 パシンッ


「あ……」


俺は咄嗟に、睦月の手を振り払った。


「……ごめん、その今は気分が悪くて。今は、帰ってくれないか。明日は必ず学校に行くから……」


困惑している睦月に顔を背けながら、俺は言った。

ひどいことをしたのは分かっていたが、今はとても睦月の顔を見れそうにない。


「ぁ……う、うん。分かった……あの、ごめん……」


そう言って、睦月は帰って行った。

声の感じからして落ち込んでいるのは分かったが、フォロー出来るだけの余裕が俺にはなかった。


「うっぷ……」


 気持ち悪い。

 そのままトイレに駆けこみ、俺は吐いた。




 翌日、フラフラになりながら俺は学校へと登校した。

 結局一晩中吐き続け、最悪の体調で学校に行くことになったが、それが逆に良かった。

 明らかに顔が悪い俺のことをクラスメイト達は気遣ってくれたようであまり話しかけられることはなかったし、俺は俺でぼんやりとした頭で授業を受けたことで時間の感覚が曖昧になり、気付けば放課後を迎えていた。


「……帰るか」


 クラスメイト達が教室からいなくなったタイミングを見計らい、俺は席を立った。

教室を出て廊下を歩くが、人の気配はない。そのことを少し有難く思いながら、俺は昇降口へと足を向ける。


「疲れたな……」


ロクに寝れなかったこともあって疲労が溜まったのは確かだが、久しぶりの学校は思ったよりはマシだったというのは僥倖だった。一度来れた以上、明日もまた来ることが出来るだろう。

そんなふうに無理矢理プラスの要素をひねり出すも、気分が晴れることはなかった。

未だにあの光景を思い出すと心が軋みそうになるし、手が震える。

学校に来れたことでトラウマのひとつが解消されたとしても、それ以上のトラウマが新たに生まれていたら世話がない。


(笑えるわ。俺、まだあいつらに苦しめられるっていうのかよ)


本当に笑える。俺は結局あいつらから逃げることが出来ないってことなのか。


「クソっ……」


 気分が沈み続けるなか、ようやく着いた昇降口で、俺はさっさと帰るべく下駄箱へと手を伸ばし――


「あ……駆?」


 唐突に名前を呼ばれる。

 反射的に目を向けると、そこには夕日を背に、ひとりの女子が立っていた。


「睦月……? お前、帰ったんじゃ……」


「あはは。そうしたほうがいいかなって思ったんだけどね。その、駆のことがちょっと気になっちゃって。今日もずっと、調子が悪いみたいだったから」


 言いながら近づいてくる睦月だったが、俺としてはまだあまり会いたくはなかった。

 やっぱり睦月にどうしても卯月が重なってしまうからだ。現に今もそう。

 夕焼けで薄暗くなってるのもあり、睦月が卯月に見えてしまう。違うと意識すればするほど、どうしても思い出してしまう。


――――一緒に帰ろ? 駆。


 そうだ。帰るときは卯月のほうからいつも声をかけてきた。

 そのことが嬉しかった。俺も卯月と一緒にいたかったから。

 だからこそ裏切られたことがどうしても許せなかった。

 好きだったからこそ、愛していたからこそ、心の底から傷付いた。

 それでも信じたかった。信じたかったんだ。それなのに……。



――――しゅき♡ 先輩だいしゅきぃっ♡ もうかけるなんてどうでもいいのっ♡ 私が愛しているのは先輩だから♡ 先輩だけだからぁ♡ かけるなんてもういらない♡ あんなやつもうどうでもいいから♡ 先輩で私を上書きしてぇ♡



「ぐ、ぅぅ……」


 駄目だった。卯月のことを考えると、連鎖的にどうしても思い出してしまう。

 裏切ったあいつのこと。最低の言葉。俺を蔑み、クソ野郎に愛を捧げる媚びた声。

 その全てが頭から離れてくれない。心を軋ませ、壊していく。俺の精神を蝕んでいく。


「駆!? どうしたの、泣いてるの?」


 クソっ、やめてくれよ。卯月と同じ顔と声で、俺を心配しないでくれ。

 嬉しさと憎さで、頭がおかしくなりそうになるんだよ。俺の心のどっかが、まだあいつを忘れられないでいるんだと気付かせないでくれよ。

 寝取られたのに、あんだけ憎んで呪いまでしたっていうのに、あれがなにかの間違いなんじゃないかって、心の弱い部分の俺が言っちまうんだよ。

 

「クソッ、クソッ……」


 本当に、なんであの時俺は消えてなくなれなかったんだ。

 冷静になる時間なんてくれるなよ。呪いきって全部憎んだままの俺でいさせてくれよ。

 死にてぇよ。情けなくて悔しくて頭がどうにかなりそうなのに、死ぬのだけは怖いとかおかしいだろ。

 転生したら、普通人生やり直せるかなんか上向くもんだろ。なんで俺は泣いてばっかいるんだ。気になっていた女の子の顔を見るのも触れるのも無理になってるとかなんでだよ。

 なんで俺ばかりこんな目に遭うんだ。なんで、どうして。


「気持ち、悪り……くっそ……」


「駆、駆! やっぱりまだ無理だったんだよ。ごめん、無理させて本当にごめん。ほら、いこ。早く学校から帰ろうよ。ね?」


 違うんだって睦月。気持ち悪いのは蘇ってしまった俺のこと。俺が無理なのは、居たくないのは学校じゃない。

 この世界そのものだ。俺はもうこの世界にいたくない。記憶だっていらなかった。


「く、ぁぁぁ……」


 睦月に促されるまま歩き出すも、やっぱり涙は止まらなかった。

 だって俺の求めていたものは、もうこの世界のどこにもないんだから。




「あの、ここ私の家だから。一旦寄っててよ。すぐに薬取ってくるから!」


 あれから十分ほど経っただろうか。

 睦月に先導されながら言われるまま道を歩いていたが、一軒の家の前で立ち止まった彼女に唐突にそう言われた。


「薬って、別に俺は……うっぷ」


「ホラ、顔ずっと青いままじゃん! 吐き気止めの薬とかあったはずだからさ! 駆は今薬とか持ってないでしょ!?」


 睦月は多分、心から心配してくれているんだろう。

 本来なら断りたいし、事実断るつもりだったのだが、昨日彼女に取った行動が不意に頭をよぎる。


「じゃあ、ごめん。悪いけど、貰うことにするよ」


「! うん! すぐ持ってくるからね!」


 流石に今回も拒否するのは悪いと思い頷くと、パッと嬉しそうな顔を見せる睦月。

 ……やめて欲しい。そんな顔をするのは、本当に。

 どんなに好意を持ってくれていたとしても、俺はもう彼女の想いに応えられるとは思えないからだ。


「……それにしても、デカい家だな。ガレージとかもあるし、めっちゃ立派じゃん」


 申し訳なさから目を背けたくなり、なんとなしに話題を探そうとした俺の視界に入ったのは、睦月の家だった。

 三階建てらしく、外観からしてひどく立派なものであり、俺の家とは大違いだ。

門や庭まであるし、ぱっと見だけでも相当金持ちの家であることがなんとなく分かる。


「あはは。うちのパパ、社長だから。あと見栄っ張りだし。そこまで大したものじゃないよ?」


「いやお前昨日俺ん家見ただろーが。明らかにこっちのほうがでけーし大したことありまくりだろ」


謙遜する睦月に思わずツッコむと、少しだけ空気が和らいだ気がした。

ああ、そうだ。記憶を取り戻す前は、睦月とこんな会話をよくしてたっけ。

あの頃は幸せだった。本当に、なんで俺は思い出してしまったんだろうか。


「ママー! 帰ったよー!」


 過去に想いを馳せている間に、睦月は玄関を開いて声を張り上げた。

 ためらうことなくドアを開けたことに一瞬驚いたが、それは母親が家にいたからのようだ。


(だとしても、これだけ大きな家で鍵もかけないのは不用心すぎだろ……)


 内心少し呆れていると、「はーい!」と奥から返事がして、すぐに誰かがパタパタとこちらに向かってくる。

 間違いなく睦月の母親だろう。娘のほうは卯月に似ているとはいえ、母親のほうはどうなのか。そんなことを一瞬考え、思わず後ずさりかけたとき――そいつは姿を見せた。


「おかえりなさい、睦月。ってあら、その子は……?」


「ただいまママ! えっと、この人は駆って言って。私が前から話していた、その……」


 その会話は、まるで頭に入ってこなかった。

 俺は目を見開き、睦月の母親のことをまっすぐ見つめた。


「うづ、き……?」


 気付けば名前が口からこぼれ落ちていた。

 間違いない。見間違えるなんてあり得ない。

 だって目の前にいるやつは、俺がずっと恋焦がれ、確かに愛し――そして俺を裏切った彼女だったのだから。

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幼馴染を寝取られ、裏切られた俺が生まれ変わり、幸せだった家族を復讐でぶち壊すだけの話 くろねこどらごん @dragon1250

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