第2話 黄昏時の愉悦の囁き。


 わたしは銀座の街を歩いている。

 昼は暖かかったが、夜は少し寒い。


 銀座の冬の訪れは早く、秋の肌寒さを追い越して、みんな、そそくさと冬服になる。


 辺りは既に薄暗く、通りにかかったぼんぼりが、人々をゆらゆらと照らしていた。


 「そろそろかな」


 わたしは、さっきと同じようにショーウィンドウで身だしなみを確認して、待ち合わせ場所に向かう。


 2丁目の交差点で待っていると、5分ほどで青年が現れた。わたしより少しだけ年上の、爽やかな青年。


 もしかしたら、学生かも知れない。


 そんな彼がどうしてわたしを指名するのかは分からない。でも、あえて聞く必要はないだろう。


 若い彼が、高い料金を払ってわたしに会いにくるのだ。それ相応の理由があるのは当然だ。


 彼はわたしの前に来ると、敬礼のように手を上げた。


 ずっと暴力を振るわれてきたわたしの身体は、無意識に肩を竦めたが、わたしは笑顔を作った。


 「お久しぶりです。前回からそんなに時間が経っていないけれど、大丈夫でしたか?」


 彼は答えた。


 「うん。大丈夫。まほちゃんのために仕事めっちゃ頑張ったから。ね。早く行こうよ。おれ我慢できない」


 彼と手を繋ぎ、わたしたちの年齢には不釣り合いな高級ホテルに向かう。

 

 『この子は、わたしがさっきまで違う男に抱かれてたとは夢にも思わないんだろうな』


 部屋の入り口で、わたしがぼんやりと考えていると、彼はわたしの肩を抱きしめた。


 「まほちゃん。俺、我慢できない」


 彼はわたしのコートを剥ぎ取り、すぐに裸にしようとするが、わたしは彼を制止した。


 「ダメ。まずは嫌なことすませちゃおう」


 そして、代金の支払いとNG事項を確認する。

 すると、彼は気まずそうにしながらも、応じてくれた。


 ウチのサービスには、ハッキリとした時間はない。意図的に半日以上連れ回されるのは違反だが、事が済んで30分程したら終わりになる。


 時計を気にするのは水を差されるからと、うちのオーナーが考案したシステムだ。


 だから。

 こんなにガツガツされてしまうと、逆に申し訳なくなる。


 きっと、バイト何ヶ月分かのお給料。

 彼の好きなようにさせたら、数分で終わってしまう。


 それに……。今日は2件目だし、少し気が引ける。シャワーくらいは浴びさせてほしい。


 わたしは彼の頭を撫でると言った。


 「ね。久しぶりだしゆっくり楽しもう」


 彼は頷きながらも、我慢できないらしかった。

 すぐにわたしをベッドに押し倒すと、すぐにブラをたくし上げ、そのままわたしの全身を嗅ぎ回った。


 「まほちゃん。すごく良い匂いがする……」


 彼は大喜びだったが、さっきシャワーを浴びたばかりなので当然のことだった。


 やがて、彼はわたしの足を開き、股間のあたりで動きを止めた。


 「まほちゃん。すごい。興奮してる? 俺にそうなってくれて嬉しい」


 さっきまで他の人としていたのだから当然、とも思ったが、自分の身体がそんなことになっているのは、少し意外だった。


 身体は、頭よりも生殖本能に忠実ということなのだろうか。


 彼はそのままゴムをつけると、わたしの上に乗ってきた。彼の動きに合わせて、わたしから見える天井がグラグラと動く。


 

 わたしは、高校を卒業して生まれた町を飛び出した。田舎の閉鎖された空気感がイヤで、とにかく都会に行きたかった。


 池袋や新宿にも行ってみたが、街が汚くて馴染めず、わたしは銀座に辿り着いた。運良く就職先も見つかり、一応は人間の生活ができるようになったが、わたしの中の時間は、母の彼に犯され続けたあの頃のままだった。


 何をしても、他人事みたいで。

 きっと、一生、このままなんだろうな、と思った。


 そんなある日、たまたま知り合ったオーナーに、この世界に誘われた。


 今更、自分が汚れるという感覚はなかったし、他の男を受け入れれば、わたしの中から、彼が追い出されて、どこかに出ていく気がした。



 ……。

 

 視界を落とすと、わたしの上でさっきの彼が腰を振っていた。


 「ね。まほちゃん。俺もう……」


 まだ1分も経ってない気がする。

 彼の数ヶ月がこれで終わってしまうのは、少し申し訳ない気がした。


 だから、わたしはせめて。

 何も感じない自分の身体を騙して、彼を喜ばすことを言った。


 「たくみくん。わたしもそろそろイッちゃいそう……」


 直後、彼は満足そうに果てた。

 彼はわたしの頭を撫でながら言った。


 「すっごく気持ちよかった。まほちゃんと一緒にいけて嬉しい」


 

 イッたことなんて、生まれて一度もないのに。

 嘘ばっかり。

 そんな自分がイヤになる。


 わたしは、お金でわたしを買う彼を軽蔑している。でも、同時に、わたしなんかで満足してくれる彼達を、どこかで愛おしくも感じていた。

 

 とはいえ、入室して5分で帰るわけにもいかない。わたしは髪の毛を纏めると、部屋のミニバーで、ウィスキーの水割りを2つ作った。


 「どうぞ」


 すると、彼はすごく嬉しそうな顔をした。


 部屋代の事を考えると、ちょっと申し訳なく感じて、自分用に薄めに割った水割りを、わたしも付き合い程度に舐めた。


 「たくみくん。会ってくれるのは嬉しいけれど、あまり無理しないでね」


 こんなわたしのために大学をやめたりしたら、ご両親に本当に申し訳ない。こんなことは、本当に無理をする必要がなくなってからする遊びなのだ。


 すると彼は甘えるようにわたしを見た。


 「だって。俺が頑張って指名しないと、まほちゃん他の人に買われちゃうし」



 頑張ってもらっても、さっきまで他の人といたのだけれどな。


 彼は続けた。


 「俺さ。彼女居たんだけれど、裏切られてフラれちゃってさ。だったら、こうして割り切って、好みの子と会ってる方が良いなって。まほちゃん、うちの大学にいる子なんかより、断然優しくて可愛いし……」


 やっぱり、大学生か。


 それでも、わたしよりも、その彼女の方が数万倍イイと思うけれど。


 わたしがさっきまで他のお客さんに抱かれていたと知ったら、わたしに愛想を尽かすのかな。


 親に愛されて、大学にも通わせてもらっている苦労知らずの大学生。



 ちょっと妬ましくて壊したくなった。

 

 でもね。

 そんなことをしても、誰も喜ばない。



 わたしは帰り支度を整えながら、そんな醜い本心が顔から漏れ出ないようにして言った。


 「わたし、貧乏で大学いけなかったんだ。だからね。大学に通える貴方のこと羨ましいよ。沢山、勉強して偉くなってね。たくみくん。じゃあ……さようなら」


 わたしは部屋を後にした。

 エレベーターに乗ると、なんとなく手持ち無沙汰で、肩掛けのバッグを身体の前に持った。


 「はぁ。なんだかね」


 いまのわたしはどんな顔をしているのだろう。

 エレベーターに誰もいなくて良かった。


 「ちょっとお節介だったかな」


 そんなことを思いながら、また銀座の街に戻るのだ。


 


 

 


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わたしの愛は粉雪の罪滅ぼし。 おもち @omochi1111

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