わたしの愛は粉雪の罪滅ぼし。
白井 緒望(おもち)
第1話 ただかりそめの愛の囁き。
わたしは、1人で生きてきた。
高校を出てすぐ、生まれ故郷を飛び出した。中学の頃から、わたしには親がいないものと思っている。
そしてわたしは、ここ。
銀座に流れ着いた。
この街の人たちは、人々は小さな箱に押し詰められた何かの分子のように、お互いに干渉せずにひしめき合いながら自由に動き回っている。
そして、名前も知らない他人同士が祭囃子のように練り歩くのだ。誰もわたしに面倒臭い頼み事をしたり、押し付けがましく親身にしたりしない。
そんな銀座が好きだ。
わたしは、4丁目の時計台近くのショーウィンドウで立ち止まった。髪の毛が跳ねてないか、メイクは崩れていないか。服装がちぐはぐではないかを確認する。
「……大丈夫」
そして、大通りを皇居の方に向かって歩く。
今日は週末で人通りが多い。すると、わたしと同じくらいの歳の女の子とすれ違った。
「んでね。あの教授にお尻さわられてさぁ。彼氏にバレて……」
大学生なのかな。幸とも不幸ともつかない身の上話を、楽しそうにしている。わたしは少し肩身がせまくて、バッグのベルトを握った。
気づいたら唇を噛んでいた。
……いけない。
リップのラメが散ってしまう。
しばらく歩くと、日比谷の交差点近くで手を振る男性がいた。
男性は、わたしに気づくと笑顔になった。
年齢は40代くらいで、スラックスにジャケットという小綺麗な格好をしている。裕福というわけではないと思うが、今日のために頑張ってくれたのだろう。
「真帆ちゃん。久しぶり」
まほ。
それが、この彼等と会う時の、わたしの名前だ。そのまま手を繋いで男性が予約してくれた高級ホテルに向かう。
エントランスでは、ドアマンがサッとドアを開けてくれる。肩身の狭かった小娘は、一端のお客様になった。
男性はわたしを気遣ってくれて、色々と話しかけてくれる。部屋に入ると、男性はわたしの頭を撫でた。
「まほちゃん。大丈夫? 元気ないよ。ご飯行く? 今日はエッチはやめとく?」
「大丈夫です。それと、ご飯はまたの機会に」
男性は頭をポリポリと掻いた。
「ごめんごめん。真帆ちゃんは、デートNGだったね」
「うん。ごめんなさい。それと、嫌なことは最初に確認しておきたいです」
「えっと。NGの確認ね。キスNG、生NG。あっ。あとこれ今日の分」
男性は数枚の紙幣をわたしに渡した。わたしがそれをカバンに入れると、男性は続けた。
「でも、まほちゃん。デートもNGって、何かトラウマとかあるの? あっ。マナー違反だね。いまのは忘れて」
「うん。ごめんね。今日は楽しもうね」
わたしは男性の手を引いて奥の部屋に入った。
部屋に入ると、わたしは男性の前に跪き、彼のズボンを下ろす。そのままパンツも下ろそうとすると、男性が腰をひいた。
「……?」
わたしが見上げると、男性は恥ずかしそうに言った。
「汗かいて汚いし、シャワー浴びてくるよ」
彼に会うのは4度目か5度目だ。
きっと、会社員をしていて、数ヶ月に一回、わたしに会うのを楽しみにしてくれているのだろう。
思い上がりかもしれないが、2人になっても紳士的な彼に、わたしはそう感じていた。
シャワーを浴び終わった彼は、わたしの髪を撫でる。そして、やさしく腰に手を添えてベッドに導いてくれた。
彼は、わたしの全身をくまなく愛撫している。
わたしの首筋から足指の先まで。何が楽しいのか分からないが、必死に舐め回している。
時々、自分の身体が震えて、他人の身体のように感じる。わたしは彼に抱かれながら、昔のことを思い出していた。
わたしが幼いときに父は死んだ。
それからは母と2人で暮らしたのだが、わたしが中学になった頃から、母の彼氏らしき人が家に出入りするようになった。
彼は母がいない時に、わたしに八つ当たりをすることが多かった。難癖をつけられて、お湯をかけられたり、太ももを踏みつけられたりする。
だけれど、その家でしか生きる術を持たなかったわたしには、嵐の終わりを待つように、じっと我慢することしかできなかった。
中学2年になり、胸が膨らんでくると、彼の関心は、わたしの肉体に移った。事あるごとに、身体中を触られる。
彼の要求は、次第にエスカレートしていき、やがてわたしの乳首や性器を弄ぶようになった。
何度か、お母さんに助けを求めようとしたが、取り合ってくれなかった。今思えば、きっと、わたしがされていることを知っていたのだと思う。
お母さんに助けてもらうことを諦めた頃、彼はついに一線を超えてきた。やがて、殴られるよりはマシなように思えて、わたしは無感情にソレを受け入れた。
彼がわたしの身体の中を掻き回すのを、ただ膝を抱えて我慢した。
高校を出ると、わたしは町を出ると決めた。彼はわたしの若い肉体を失いたくなかったのだろう。彼は当初、わたしを殴り屈服させようとしたが、やがて、わたしの意思が変わらないことを悟ると、母の目も憚らずに跪いて、わたしに縋りついた。
彼は言った。
「はるか。愛してるんだよ」
わたしは、その言葉の歪で不快な響きを生涯忘れることができないだろう。
……。
わたしは我に帰った。
先ほどのホテルで、男性がわたしの上で腰を振っている。
長いな。
そろそろ終わってくれないかな。
「あ…ん……、きもちいい」
わたしは、彼を没頭させたくて、何も感じない身体を偽って、みだらな声を出した。
あれ。この男性、なんて名前だろう。
何度か会っているのに思い出せない。
まぁ。いいや。
やがて、男性はわたしの目を見つめてきた。そろそろ限界が近いのだろう。
「まほちゃん。あれお願い」
彼が私の中で果てるのを感じながら、わたしは彼の要望に応えることにした。
彼の頭を両手で抱きしめて、こう言うのだ。
「こうちゃん。愛してる」
あ、彼の名前は。
こうちゃんだった。
頭では忘れても、身体は彼の名前を覚えているらしかった。
彼は息を切らしながら、わたしの頭を撫でた。すごく満足そうな顔をしてくれている。
わたしの大嫌いな言葉が、いま、一人歩きして目の前の男性を癒している。すごく滑稽に感じたが、それでいいと思った。
わたしが帰り支度をはじめると、彼は名残惜しそうな顔をした。彼は、そのまま泊まっていくらしい。
きっと、彼には帰りを待つ家族はいないのだろう。
帰り際、彼は言った。
「まほちゃん。よかったら。ちゃんとお付き合いしない? 大切にするから」
わたしは愛想笑いをして部屋を出た。
わたしは何となく相手の嘘がわかる。
きっと、あの言葉は本心で、もしかしたら、わたしは幸せになれるのかも知れない。
でも、こんな嘘ばかりの女。
幸せになっていいハズがない。
彼らが愛おしそうに呼ぶ、わたしの名前ですら嘘なのだ。
本当のわたしを知ったら、彼達は、きっと幻滅するに決まってる。
そして、わたしはまた、銀座の街に戻った。
この町では、みんな粉雪のようにフワフワしながら自由に飛び回っている。鮮やかで、キラキラしているけれど、触れるとすぐに消えてしまう幻のような雪。
この街は、誰もわたしを気に留めないし、変に気遣ったりもしない。
わたしは、ここにいると、ただの粉雪の一粒であることに、きっと安心するのだと思う。
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