トーストに際しての暇つぶし

上月祈 かみづきいのり

夢と絶望

 夢を見ること、絶望することの共通点。


 朝が来ればいずれ、忘れるということ。


 朝に絶望する人もいるし、朝寝坊のともがらたる自分もいるので全てが是というか、オールOKではないのは勿論だ。希望の光がきたること、事象の解決や消滅のタイミングを形容的に朝とする。


 夢に関しては枕のそばなのか、野心の最中なのかに差異はあるが現実と非現実に際して一致する。

 枕なら夢想から目覚める時。夜分のいたずら、御伽噺おとぎばなしの真ん中で、あらゆる素敵に別れを告げる時。あるいいは、あらゆる恐怖の中から現実が私の首根っこを引っ張って奇々怪界を終わらせる時。


 未だ成しえぬ事を夢とすれば、夢を叶えた時に夢は終わり現実となる。絵に描いた餅は食えないが、手にした餅は食せる。後者を夢とは言わない。夢は非現実の総括的単語である。


 絶望の処方に宗教があるらしいが、まぁ大事なのは宗教そのものではない。信じられる援軍がいるかどうからしい。歴史の授業で習った浄土宗、浄土真宗がまさにそんな感じに思える。宗教に際してお金の話や諸々の活動の話はしない。

 

 自分の何か手近に根拠はなくても信じられるものがあればいい気がする。形の綺麗な石とかでよい、本当に。

 

 そして御守というものがあるし、神社やお寺で売っている御守が全てではないのである。

 ルーティーンというのもこれに近いのかもしれない。


 さてさて、パンは焼けただろうか。

 パンがおいしいというだけでも人間、以外と幸せなものである。

 

 おいしいパンが御守だったとして、

 おいしいパンは食べてしまっても尚、御守たりえるか?


 ぼんやりと考えられる日曜日なら朝寝坊の後にでも考えていただければ。

 答えに是非が分かれようが、ぼんやりとゆっくり考えられることが筆者にとっては大事である。寝坊しようが遅刻事がないというゆったりとした時間が特に。


 そろそろ、パンは焼けただろうか。

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