死んでください
土と海藻と、木の枝と石ころと、異物の混じった砂浜を歩く。
波の音が心地よかった。
月は高く、小さくぽつんと浮かんでいた。
海側を歩く君は小さく夜空に溶けるような笑顔で、あなたが波に攫われるといけないから、と言った。
足が取られて躓きそうになっても、君が腕を引いてくれた。まるでエスコートされているみたいだった。
本当なら、僕が君をリードするべきなんだろうけど。
友達なんだから、そんなの関係ないよ、と君が言う。
僕は微笑んで、確かにそうだね、と返した。
傍から見れば、僕らはきっと幸せそうなカップルに見えたかもしれない。でも僕と君は今日初めて会って、はじめて連絡をとったのだって先週だ。
海辺を二人で歩きながら、僕たちはこれからの予定を立てた。
どこかいきたいところはある? と僕が聞いて、君は少し悩んでからカフェと短く答えた。
風が吹いて月が揺蕩んだ。君の瞳に月が浮かんでいたから、明日はカフェと月が見えるレストランに行くことにした。
明後日は水族館に行って、そこで僕が君に告白することにした。台詞を決めて、君は小さく頷いて、はにかみながらそこで僕たちは初めてハグをする。
来週には二人で住む部屋を選びに行って、再来週は映画を観に行く予定を立てた。来月に行く遊園地はもうチケットを取ってあった。
君は楽しみ、と言って笑って、その横顔があまりにも美しかったから、僕は言葉を出すことも忘れた。
君の手が冷たくて僕は寒い? と尋ねた。
すると君は大丈夫と白い息を吐きながら言って、僕はほんの少しだけ世界が広く感じた。
一通りの予定を立て終えて、あたりは波の音がするだけだった。これから死ぬんだと改めて思って、あまり実感は湧かなかった。
それどころか何を考えればいいのかも分からなくて、これが現実なのかも分からなくて、隣を歩く君の手に温度を感じないのが少し不気味だった。
きっと、心なんてないんだと思った。
理由なんてなくて、それはただの後付けで、言葉は論理的に見えてもそれはただ表面を綺麗に整えているだけで、中身はなかった。
だから、意味なんてなかった。死にたい理由も、死にたくない理由も、君と一緒にいる意味も。
それでもやっぱり人間はおかしな生き物で、なんでもいいから、そこに言葉があれば心は丸く収まった。
誰も言ってくれなかったその言葉を、誰も付けてくれなかった理由を、誰も説明してくれなかったこの心を、君がくれた。
世界は無意味で、どこまでも澄んでいて、彩るものなんてなかったから。
桟橋を歩いて、三方を海に囲まれた。
どこへ行くのかな、僕たち、と尋ねる訳でも無く海に捨てるように言った。
君は面白がって波の下にも、と言ったから、僕もそれがおかしくて笑った。
少しの間、ゆらぐ星を見ていた。決心がつかなかったわけじゃないけれど、君が口を開くのを待っていた。
怖いくらい静かで、虚しかった。
再来週に見に行く予定の映画のことを考えていたらいつの間にか長い時が過ぎたみたいで、されど世界は変わらなかった。
ねえ、と君が言った。
波の音はノイズのようだった。あたりは暗くても、君の顔だけはしっかり見えて、視線が交差して、ぷっくりと膨らんだ真っ赤な唇が小さく動いた気がした。
君が息を吸うのが分かった。
それから、君は小さく、だがはっきりと言った。
「私と、死んでください」
次の更新予定
月光 天野和希 @KazuAma05
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