喜劇
細胞は長くて一年、短くて一ヶ月ほどで変わってしまいます。
胃の粘膜が三日で入れ替わり、皮膚が一ヶ月で入れ替わり、数ヶ月後の私は今の私と同じでしょうか。
テセウスの船のようだと思いますが、ただ違うのは脳の細胞は入れ替わらないということです。
私は少し肩を落としました。
もし変わっていればと思いました。そしたら、それならこの一日や二日、酷い時には数分でだって定まらないこの鬱々としたシナプスの伝達が、嘘みたいに思えるからです。
宇宙のことを考えて、壮大な出来事を思って、自分の悩み事などちっぽけだと言う人がおります。
あんまりではないでしょうか。
その大きさと、その小ささは、比べられるようなもの同士ではないでしょうに。自然を考えたら、自分はいなくなるのです。
ちっぽけなんてものじゃなく、象られて、私は私でなく観測者に落ちます。
観測者は変わりません。数ヶ月経てど、数年後も、充分時間が過ぎても、観測者は観測者であり続けて、それ以上でも以下でもないのです。
今の自分が良ければそれで良いと思います。今の自分が良くても数日先の自分が嫌なら良くないとも思います。
それからやはり、数年先のことは嫌だと思っても体は動かないものです。
矛盾を孕み、生み出し、育てて、見上げるほどに成熟した矛盾は天を突き破って私を飲みます。肩に乗って旅をします。この旅に人生だとか名前をつけるほど、私は滑稽ではないし、それほどおもしろいものでもありません。
一歩一歩ただ前にある障害を避けていくだけです。目的地はありません。
巨人の肩はビルよりも高く、降りることなど叶いません。飛び降りたら死ぬかもしれません。
どこからかやってきたものが私を下ろしてくれるかもしれません。よく見ると、それは「嘘」そのものでした。愛の形をしていたり、家族の形をしていたりします。
未来を思っても仕方ないのだと思います。私は変わってしまうから。
観測者と、それが見る自然と違って。なるようになるのだと思います。悪魔はそう囁き、神は与えられたことしかしません。
神の投げるサイコロに、イカサマはありません。
次に「嘘」が来るのはいつでしょうか。考えても仕方ありません。
自分が産んだ「嘘」は、小さく非力です。私は死にました。私は死にました。私は死にました。
私は死にました。
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