婚約破棄して浮気相手と幸せになるつもりが、気づけば俺だけがすべてを失っていた

こまの ととと

愛人に全てを捧げた結果、全てを失うはめになった

 俺の名はアレン——とある小国の侯爵家の嫡男だ。


 生まれながらの地位と財産、そして容姿にも恵まれ、幼い頃から周囲とは一線を画す程の男だ。


 そんな俺には婚約者がいる。彼女の名はセリーヌ。

 伯爵家の令嬢で、美貌も才気も申し分ない。いわば非の打ち所のない相手だ。


 だが、俺にとっては退屈な女だった。


 俺が心を奪われたのは、町で偶然出会った平民の娘――リナだ。

 素朴で天真爛漫な笑顔、そして俺こそがこの世で最も尊い存在であるかのように見つめる瞳。


 その純粋さに触れるたび、俺はセリーヌの冷静沈着な振る舞いが無味乾燥に思えてならなくなった。


「セリーヌ。お前との婚約を解消させてもらう」


 ある日、俺はセリーヌにそう告げた。

 豪華なサロンに二人きり。俺は彼女が驚き慌てふためく様を想像しながら、告げた言葉の余韻に浸っていた。


「理由を聞いても良いでしょうか?」


 だが、不快にも彼女は眉一つ動かさずただ静かに問い返してきた。


「本当に愛する女――リナこそが俺には必要なんだ。彼女こそが俺の運命の人だと気づいたんだよ」


「なるほど……。そうですか」


 予想外の冷静な反応に、多少苛立った。

 しかし俺の決意が揺らぐことはない。


「リナと結婚し、新たな人生を歩むつもりだ。これからはお互い自由に——」


「わかりました」


 俺の言葉を遮り、セリーヌは立ち上がる。

 これ以上聞く必要もない、とでも言いたげだ。


(こ、この俺がわざわざ伝えに来たというのに……!)


 冷たい侮蔑を、その目に浮かべているようにも見えた。

 やはり、この女は不快だ。


「アレン様。どうぞお好きになさって下さい。わたくしは大人しく身を引きますので。……では、ごきげんよう」


「あ、おい!?」


 こちらの静止も知らぬ顔でその場を去る彼女。

 サロンから姿を消すのに数秒と掛からなかった。


「ちっ、まあいい。これからの人生を思えばなんという事はない」


 俺は不愉快な感情を打ち消すように勝利の余韻に浸る。

 これで俺は真に自由だ、リナと共に幸せを築ける。



 それから数週間後、俺とリナは盛大な婚約発表の場を設けた。

 貴族の集う社交界で、公然と新しい愛を誓う俺達。

 リナもまた、眩しいほどの笑顔を浮かべていた。


 だが、その場に現れたのは——思いも寄らない人物だった。


「久しぶりですね、アレン様」


 そこに立っていたのはセリーヌ。


 だが、その姿は以前の彼女とはまるで違っていた。

 高貴な気品に加え、どこか余裕すら感じさせる笑みを浮かべていた。


 俺の心に奇妙な不安を呼び起こした。


「……何の用だ、セリーヌ」


「繋がりのある貴族ですので。当然、ご挨拶にと」


 それだけ言うと、チラりとリナを横目で見る。

 リナは怯えたように俺の後ろに隠れた。

 俺はその手を握り返し、彼女を守るように立ちはだかった。


「もう関係ないだろう。俺とリナの間に割って入るな!」


「これは妙な事を、何故私が? 固く結ばれたお二人の間に割って入るつもりはありません。これからのお二人の幸せを……心より願っておりますわ」


 その言葉に、俺は背筋が凍るような感覚を覚えた。

 だが同時にそんな馬鹿げた挑発に乗るつもりはないと笑い飛ばした。


「ふん、お前の祝辞など結構だ。俺たちは好きに幸せになる……お前には関係ない」


 セリーヌはただ微笑みを浮かべ、貴族達の注目を浴びながらその場を去っていった。



 その後、俺はリナとの新しい生活を送る事になる。

 それはまるで夢でも見ているように潤いのある生活だった。


 だが、次第に奇妙な噂が流れるようになった。リナが金目当てで俺に近づいたとか、俺がセリーヌを捨てた結果、家門が多くの貴族たちから信用を失ったとか。


「アラン様、みんな私達に嫉妬しているようで……。正直怖いくらいです」


「どうせ根も葉もない噂だ、すぐ聞こえて来なくなるさ」


 怖がるリナを抱きしめながら、俺は下らない事であると慰めていた。

 そうだ。リナさえいれば、どんな困難も乗り越えられる、と。



 だが……その思いは、やがて足元から崩れていくことになる。



 自信満々だった俺の計画が、今や跡形もなく崩れ去ろうとしている。


 父の許可も得ない婚約破棄、そして身分の低い恋人を勝手に作ったことで怒りを買ってしまった。

 この件で他の貴族からも信用を失ってしまったのも原因らしい。

 おかげで跡取りから外れるどころか、勘当処分。


 それがすべての始まりだった。


 リナとの生活は、蜜月どころか苦難の連続だった。

 そう彼女が愛していたのは、金と地位を持つ“侯爵家の跡取り”としての俺であって、個人としての俺ではなかったのだ。


「アレン様、あなたのせいで私もこのザマよ!」


「な、何を!? そもそもお前が!!」


 リナは以前の甘い声色を失い、俺を突き放すように冷たい目線と言葉を浴びせるようになった。


 俺たちが落ちぶれた途端、彼女の態度は豹変した。思い返せば、すべては俺がセリーヌを捨てた瞬間から歯車が狂い始めていた。


 家族や周囲の者たちに見放され、侯爵家の後ろ盾を失った俺には、もはや資金力も影響力もなかった。


 彼女が望む華やかな生活を提供することはできず、日々の生活費に追われる惨めな日々が続いた。


 追い詰められた俺は、何とか金を工面しようと知人に頭を下げる日々を過ごした。だが、かつて侯爵家の権威を笠に着て横暴な態度を取っていた俺を助ける者は誰もいなかった。


 リナもついに耐えかねて俺の元を去り、金持ちの商人と再婚すると言い出した。


「あなたにはもう利用価値がないわ」


 その言葉を聞いた時、俺の中で一線を容易く超える怒りが沸き上がった。


「……ふ、ふざけるなぁあああ!!!」


「ッ!!?」


 気づくと、俺はテーブルに置いてあった花瓶を手に取り、リナの頭に向かって何度も何度も振り下ろしていた。


 俺の体は血に染まり、だがそれ以上にリナの姿は無惨なものへと変わっていった。


「はっ――ははっ……」


 正気を取り戻した時には、かつてリナだったものが床の上に転がり、辺りを真っ赤に濡らしていた。


 利用価値がない。


 彼女の最後の言葉が、それ以来頭の中で響き続けることになる。



「アレン様、これがあなたの選んだ道の果てですか」


 ある日、ひょんなことからセリーヌと再会することになった。

 殺人を犯し、収監された先の施設での事だ。


「わざわざ面会に来たのか。お、俺の為に」


 彼女は以前と変わらぬ優雅さと気品に包まれていたが、その瞳はより冷徹な光が宿っていた。


「ええ、わたくしを犠牲にしてまで選んだ道がどういうものかを確かめるために。おかげで、こちらも満足ですわ」


 嘲笑すらもなく、淡々と告げられた言葉は、俺の過ちを鋭くえぐるものだった。

 セリーヌは俺たちが窮地に立たされていることを知りながら、決して見下したりはせず、ただ事実を述べるだけ。


 だが、それこそが俺の胸を深く抉った。



 俺はすべてを失い、囚人としての日々を送るしかなくなった。


 あれ以来、セリーヌが訪れる事は無かった。

 だが、噂では新たな婚約者と出会い、近々式を挙げるそうだ。


 目を閉じると思い出す。

 あの横顔は眩しく、手の届かない存在であることを思い知らされる。


「あの時、間違っていなければ……」


 そうだ、リナに騙されていなければ……。

 後悔の念が募るが、もはや何も取り戻すことはできない。



 かつての栄光を夢見ながら、一生償い続ける人生を歩むことになった。

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