無価値な二つ名
かなぶん
無価値な二つ名
「いっそのこと退学させてくれ!」
この絶叫を聞くのは何度目か。
持ってきた不合格通知の紙ごと拳を机に叩きつけ、頭まで追って突っ伏した婚約者に、イツカはため息をつくとその赤い髪を撫でてやる。
「んなことできませんって。技能資格なしの卒業生なんて学園にとっては前代未聞ですから。ちゃんと合格して、卒業してください」
「……言われなくても分かってる」
避ける手が添えられ、髪から手を離せば枯葉色の不満げな目が前を向く。
「学園の方だって、四期必要なところを一回合格でいいって特例にしたんですから」
「それも分かってる」
「……分かってるのに、どうして合格できないんですかね」
「どうして……なんだろうなぁ。俺が聞きたい」
言って椅子の背もたれに体重を預けて仰向く青年のぼやきに、イツカは何とも言えない顔で眉を寄せた。
親のゴタゴタに子どもを巻き込みたくない――。
そんな名目で、お世話になっていた家の息子トーカの婚約者になったイツカ。
今になって他人事として聞いたなら、結局巻き込んでんじゃんと言いたくなる話ではあるが、イツカには今も昔も特に不満はなかった。
たぶん、相手がトーカだったからだろう。
婚約者という名目が付いても変わらない日々は、思春期諸々を迎えた今も継続中で、それらしい振る舞いを求められたこともないのだから、進展も後退もなく、距離感も変わらないまま。
それでも変わったところを上げろと言われれば、それはやはり、今二人が在籍している学園に、トーカが入学した七年ほど前だろうか。
村で暮らす分には、本来、国立の学園に入学する必要性はない。学園で取得できる技能や証明も、村の生活範囲ではそれほど重要視されないからだ。
だというのにトーカが村を出ることになったのは、先に述べた親のゴタゴタ――由緒正しい家柄なんちゃらのせいである。
詳しいところはイツカも今もって知らないのだが、トーカの父親がそれらしいところの出身だそうで、だから学園を卒業しなければならない、卒業したら後は好きにしてよい、ということらしい。 それなら最初から好きにさせておけよという話ではあるが、由緒正しいなんちゃらには呪いのような決まり事があるため、後々の面倒を避ける意味でも従った方が良いのだとトーカは言い、村を出て行った。
当時のイツカは、その背を見送りながら婚約者の役割の終わりを感じて、少しばかり寂しいという感傷を抱いたものだ。世間一般の色恋の雰囲気は欠片もない間柄ではあったものの、居心地の良さは手放すには惜しかった。
そうして手紙の一つもない日々が続いたなら、やはり役割は終わったのだと実感していった五年後。父方の祖父の関係で、何の因果かイツカもトーカと同じ学園に入学することになり、そこでイツカは懐かしい顔に迎えられた。
五年という年月と彼自身の能力を考慮すれば、とっくのとうに卒業して、家庭でも持って、子どもでもいておかしくないはずなのに。
――「赤点のトーカ」。
決して赤い髪が原因ではない二つ名の持ち主は、成長期の終わりでも変わらない空気感でもって、ただし、見たこともない気まずそうな顔で「よお」と片手を挙げた。
それから二年経った現在。
「来期からは学年が同じになっちゃいますね、先輩」
「そうだな」
基本的に学園の入学から卒業までは三年間の猶予があり、この間に卒業条件を満たせなかった学生は、三年次を繰り返すことになる。
「同じ学年なら先輩って言うのもおかしいんで、なんて呼びましょうか」
「別にどうとでも。村にいた頃みたいに呼び捨てでいいんじゃないか? 正直、イツカの先輩呼びは、なんというか……気持ち悪い?」
「ひどっ!」
「だって言うほど気持ち入ってないだろ?」
「それは否定しないですけれども……」
(割と助けられてはいる、とは言いにくい)
いくら空気感が変わっていないとはいえ、五年間の空白は大きい。努めて以前のように気安く絡んではいるものの、時折知らない部分が垣間見えたなら、どう接してよいか分からなくなってしまう。だからこそ「先輩」という呼び方は、ほどほどの距離感を保つ上で大事だったのに。
そんなイツカの気持ちを知ってか知らずか、再び背もたれに体重を預けたトーカは、息を吐くように短く笑った。
「ま、さっきも言った通り、呼び方はなんでもいいさ。好きに呼んでくれてかまわない。それより目下の問題は次の試験をどうやって合格させるか、だ。でなけりゃ、”保留のイツカ”も俺の二の舞で三年次になっちまうからな」
「それは……さすがに嫌ですね」
実のところ、イツカもあと一つ試験を通れば学園を卒業でき、これは早い段階――一年生の頃から決まっていることだった。要は資格はなくとも、資格が取れるほどの知識と技能が、入学前から備わっていたという話である。
それが今の今までずるずる引き延ばされているのは、偏にトーカの婚約者という役割のため。由緒正しいらしいトーカの親族のメンツの問題と、ともすれば自主退学しそうなトーカを留める学園側の思惑のために、イツカもまた「保留のイツカ」という妙な二つ名でもって学園に知れ渡ってしまっていた。
ある種、特例中の特例の只中にいる二人は、だからこそ宛がわれた自習室兼教室で、思い思いにため息をつく。
――と。
「不純異性交遊はんたーい!!」
やる気のない声とは裏腹にドンっと響いた重い音。
併せて教室の扉が倒れたなら、不純そのもののような顔をした男女が五人、ニヤつきながら入ってきた。
これを迎えた二人は、頭痛を堪えた顔をする。
「イツカ、前回はいつだった?」
「……確か、秋季試験後ぐらいでしょうか」
「合否ハイってヤツか。毎度毎度、飽きもせずに」
「ああ? なんだその反応は! ゴチャゴチャうるせーぞ!!」
自分たちの出現に怯える二人――そんな構図を期待でもしていたのだろうか。
五人の内、リーダー格と思しき男が声を荒げ、手にした棒を床に打ち付けた。
「鉄の棒……わざわざ持ってくるなんて」
呆れたイツカが首を振れば、どう受け取ったのかリーダー格が鼻で笑う。
「こっちも別に暴力沙汰にしたいわけじゃねぇからよ。な? 悪いことは言わねぇ。赤点と保留なんて似合いの二人の邪魔はしねぇから、俺らにココを貸せよ」
「すでに邪魔なんだが」
「はあ!? 万年赤点野郎が合格者様に盾突くなんていい度胸だな!!?」
「しかも合格したヤツかよ。先が思いやられるな」
どれだけ威圧しても効果のない様子に、リーダー格の顔が赤くなっていく。
「お前に心配される先なんかねぇよ! いいから退け! 俺らはこれからココで、合格を祝うっつってんだろうが!」
「そうそう。本当なら人数合わせに保留の子も置いてけってとこだけど……地味な上にズボンって女捨てすぎなんだもの。いらないわー」
ケタケタ笑う、確かに派手な格好の女にイツカは「どうも」と小さく会釈する。
肩口で切り揃えた癖のある黒髪と黒い眼は、地味と言われれば地味なのかもしれないが、それで除外されるならありがたい話ではある。
(まあ、そもそも出ていく必要がないから、どうでもいい話だけど)
おおよそ見当のつくこの後の展開に一歩彼らから離れると、ひっそり結界を張っておく。一応、合格者らしいため、どのくらいの被害になるかは分からないが、現状維持できれば問題はないだろう。
そうこうしている内に、頑ななトーカの態度に痺れを切らしたリーダー格が、両手に雷の力を纏わせ始めた。囃し立てる周りに応じるような笑みを浮かべ、手にした鉄の棒を構えるなり、それは雷光の槍と変じる。
「まぶしっ」
トーカが率直な感想を口にしたなら、これを恐れとでも受けっとたのか、リーダー格が凄みのある笑い顔になった。
「今更五体満足で出ていこうったって許さねぇ」
「おいおい、学園に知られたら――」
「いいや、平気さ。そこの保留女共々消し炭にしてやれば、誰も知らねぇだろ!」
振り上げ、振り下ろす。
それだけで周囲に飛散する雷は、リーダー格の仲間たちにも及ぶが、トーカを標的と定めた目と耳には気づく余地もない。
(今回は私の出番は
複雑な動きを見せる雷の軌跡を正確に読み、事も無げに最小の動きで避けるイツカは、そっとため息を一つ。
(せっかく合格したのにこの人たちも、前の人たちもなんで気づかないかな。トーカは試験に落ちてるだけなのに。本当は、
言ったところで信じはしないだろう呼びかけを胸に、イツカは注意深くトーカの動きを観察する。
うっかり彼が修復不可能なほどモノを壊すことがないように。
無価値な二つ名 かなぶん @kana_bunbun
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