第1章 黄金色の夕景(2)



 さあ、そろそろ家に戻るか、と立ち上がって伸びをしたソータの目前に、それは夕陽の中からふいに姿を現した。


 西の方から、行列が近づいて来る。

先頭は人を乗せた二頭の馬、その後ろに一人乗りと思われる小さな馬車、杖を突いて脚を引き摺るように付き従う人、荷馬車……


 夕陽を背に受け逆光となっているため、それらの人びとの表情は全くわからない。

馬車に乗っているのは貴族のようであるが……

(なんか、ミョーな雰囲気やな……)


 先頭の馬上の二人は役人みたいだけど、人も馬も疲れきっているのが遠くからでも見て取れる。

馬車の後ろから杖にすがって徒歩でついて来るのは年寄りだろうか、今にもぶっ倒れそうじゃないか。

全員が肩を落とし、顔を伏せ、トボトボと進んで来る。

まるで葬式行列みたいだ……

日頃街で見かける威張りくさった貴族が放つ傲慢なオーラなどカケラも見えない。


 道の両側に並ぶのはトーノミア政庁の役所と高官の屋敷で、その門からは住人たちが顔を突き出して、もの珍しそうにこの行列を見物している。

まるで垣根から奇妙な果実が鈴なりに成ったようだ。

だが、行列の異様な雰囲気に気圧されて、声をかける者はなかった。


 そうこうしているうちに一行はソータの前を通り過ぎ、政庁前から直角に曲がって南へ進路を変える。

この路はトーノミアを東西真っ二つに分ける大路で〈サザンバード〉という名称がついている。


 間近で見ると、馬車の一行はさらにひどい有り様だった。

人も馬も馬車も、土ぼこりにまみれている。

馬車を曳く馬のヒズメは割れて血が滲み、体は鞭の跡も痛々しく、息も絶え絶えに口から泡のような涎を垂らしている。

馬車はあちこち傷んで屋根には大きなひび割れが入り、あれでは雨が降れば中の者はずぶ濡れだろう。



 ソータはふと、幼いころ祖父に聞かされた昔話を思い出した。


「夕暮れ時はなぁ、ソータ。昼と夜、この世とあの世の境が曖昧になるんじゃ。これを逢魔が時と言ってな、すべてのものは輪郭を失い、ぼんやりとした影になってしまう。その影が知らないうちにこっそりと伸びて、生きている者の中に死んだはずの者が紛れこむ。

夕暮れの街を歩いていると、おや? 向こうから誰かが手を振っている。顔はよく見えないが、なんだか知っている人のような気がする。近づいてよくよく見ると……それはもうずっと昔に死んだはずの……」


 そこまで思い出したソータの心の内に、強烈な好奇心が湧き上がった。


「死者の行列!」


 ソータは後を追って駆け出した。



        *



 南へと進んだ行列は、程なくして一軒の邸の前で止まった。

トーノミア政庁南館。それがその邸の正式名称なのだが、その立派な名前とは裏腹に、実際は荒れ果てた廃屋だった。


(あのおばけ屋敷に入って行く! やっぱ本物か?)


 朽ちて壊れた竹垣の陰で、ソータは目をキラッキラさせながら、固唾を飲んで見守っていた。

従者と見られる者が馬から馬車の長柄を外して地面に下ろし、荷物を邸の中へ運び込んでいる。

馬車の簾が恐る恐るという風に挙げられ、中の人が降り立つ……かと思われたその時、


 ゴォーーーーンン


 北東から鐘の音が響いてくるのと同時に、


 ぐもぉぉーーー!


 いぎぃぃぃーーーーー!


 へげぇっ! はぁああ! 


 奇妙な叫び声が、四方から一斉に揚がった。


 馬車から降りようとしていた人物は、その怪しい声に驚いて転がり落ちると、その場でげぇげぇと胃の中身を戻し始めた。



 それを見たソータは思わず声をあげた。


「うわ、きったねー」


 すでに辺りは薄墨を流したような宵闇が忍び寄り、夕陽は地の果てに沈む直前の、最後の弱々しい光を放つのみ。

先ほどまでの荘厳な雰囲気は霧が晴れるように消し飛んで、目の前にいるのは疲れ切って嘔吐している、ただの中年男だった。



 男は顔を上げ、警戒するようにソータをキッと睨んだが、相手が子供とわかると、その表情はほんの少し和らいだ。


「あ、あの凄まじき雄叫びは、い……いずれの群盗か、はたまた魑魅魍魎の類いなりや」


 男は言うが早いかカッと目を見開き、


「もしや、かの者の放った刺客か? 我が命運もここまでか……」と身をよじり胸を掻きむしっている。



 最初ソータは男の言葉の意味がサッパリわからなかったが、たぶん自分がコケる原因になった叫び声のことを聞いているのだろうとアタリをつけて答えた。


「もしかして、おっさんが言ってるのはサイレン隊のことかー」


「サイレン隊……そは何者ぞ」


「ニカシの街の愚連隊や。毎日キャンゼイウォン寺の夕刻の鐘が鳴ると、それに合わせてあちこちの四つ辻で吼えるんや。あと、集団で牛に乗って街の中を暴走したり……」


「何ゆえかようなことを」


「知らん。昔からやっとぉことやし、誰も理由なんか聞かねーし」


 それを聞いた男は、がっくりと肩を落として呟いた。


「ああ、なんという不条理。なんという粗野で辺鄙な田舎に流されてしまったことか……」



 男の両眼からは、ダーーっと滝のような涙が流れ落ちている。

なおも話しかけようとしたソータだったが、向こうから政庁の役人らしき人影がやって来るのを見て、(やば!)と破れた竹垣に飛び込み逃げ出した。


(なんか変なおっさん来たーー)



家路を急ぐソータは、走りながら考えていた。

(あれは死者とか鬼神とか、畏れを抱くようなもんやねーな。例えるなら、そう、まるでビンボー神や……)





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フライング・プラム 敷島 怜 @ryo_shikishima

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