第1章 黄金色の夕景(1)



 その日のトーノミアの夕焼けは、空全体をぼんやりした黄金色の薄絹が覆っているかのように神々しい光に満たされていた。


 だがその浮き世離れした光景は、観る者の心を「ありがたや~」と浮き立たせるというよりも、あたかもこの世のものならぬ、見てはいけない何かを見てしまったような後ろ昏い気分にさせ、畏れを抱かせるようなものであった。


 朝から降り続いていた雨はようやく止んでいたが、空気中にはいまだ微細な水の粒子がふるふる漂いながら街を包み込んで人びとの衣を重く濡らし、見上げれば不安定な大気の間隙を幾千万ものキラキラした黄金の光の矢が刺し貫いてゆく。


「こんなすげー夕焼け、見たことねー」


 川の土手に、ひとりの少年が座り込んで、口をポカンと開けたまま空を眺めていた。

この黄金に染まる空は、ここイノムラサキの地ではごく稀に出現する自然現象である。

だが今年十歳になるこの少年ソータにとっては、生まれて初めて見るものだった。


 もっとも、街全体が黄色く見えるのは夕日のせいだけでなく、海を渡った遥か西方の大国カラにある砂漠の砂が、強烈な西風に乗って飛んでくるためでもある。

今は三月の初めで、春は黄色い砂の襲来が最も激しい季節だった。


 ソータは刺すような黄金の光と砂埃に目を瞬かせながら、奇妙な夕景に見惚れていた。



 目の前を流れてゆくのはミカソ川。

灰色のサギが一羽、寒そうに背中を丸めて川の中ほどをうろついていたが、やがて寝ぐらへ帰るものか、ツィッと飛び立った。

サギの眼下に広がるミカソ川は、東のボーマン山から流れいでてトーノミアの北部を西へと横切り、その先で北へと蛇行して、下流はキュウコク北端のカタハのみなとへと流れ込む。



 トーノミアからカタハにかけて広がるイノムラサキ平野は、トーノミアの北西約2キロメートルのところで東からサングン山系、西からシプリ山系が押し迫って巾着の口のようにすぼまる。

〈ニカシのくびれ〉と呼ばれる場所である。


 最も狭いのはサングン山系のオーギ山の麓とシプリ山系のギュウトウ山の麓を結ぶ1.2キロメートルのラインで、ここにはいにしえから土塁が盛られて、北の沿岸地帯から攻めて来る外敵の侵入を阻む防塁の役目を果たしていた。

土塁の内と外には水濠が設けられているので、水の城という意味で〈ミズキ〉と名付けられた。ミズキの真ん中には水門があり、ミカソ川が悠々と流れている。



        *



 川岸でサギの行方を追っていたソータは、ミカソ川の北岸に並ぶ壮大な建物に目を移した。

マアト朝廷のキュウコク統治の基盤となる〈トーノミア政庁〉だ。

政庁の最高責任者たる長官には、ヘーアンの都から派遣された貴族がおおよそ三から五年の任期で就く決まりになっていた。


 現在の長官は一年ほど前に赴任してきたのだが、ソータのような一般庶民にとっては天上の月のようなものだ。

いや、月ならば夜空を見上げれば観ることが出来るが、長官の顔を拝むことなど一生ないに等しい。

だから月よりも遠い存在だった。


 トーノミアの街並みは、カラの都チャンアンに倣って碁盤の目のように整然と正方形に区切られた区劃が並ぶ。

もちろん、チャンアンと比べれば、その規模ははるかに小さいのだが。

トーノミアの南には、ニカシという市場と温泉で知られた街が広がっている。


 太古の昔から、イノムラサキの国には海の向こうの大国カラやその東の半島にあるコーリーの国からの客が頻繁に訪れた。

それは国から正式に派遣された使者だったり、交易目当ての商人だったり、時には略奪を目的とした海賊だったりもした。


 カラは三百年近い歴史を誇る大帝国で、その領土は西に向かって何千キロも続いている。

文化、経済、軍事力のどれをとってもイコクとは桁が違う。

大昔のイコク王は貢物を携えた使者を大陸に送り、当時の皇帝から臣下として認められていたという。

(その頃の国の名はカラではなくウェイと言った)


 ヘーアンの都のマアト朝廷の権力者たちも、定期的に学業優秀な学者や僧からなる使節団を結成してはるばる海を越えたカラへと送り、大国の文化を学びとろうと躍起になっていた。

当然のことながら、ヘーアンの都もチャンアンをマネして正方形である。


 だが、トーノミアの街を行き交う人びとにとっては、同じイコクの都ヘーアンも、異国の都チャンアンも、どちらも遥か遠くにあることに変わりはなく、自分たちの暮らしとは切り離された別の世界としか思えなかった。


 ソータもこの四角い街で生まれ、街とその周辺の小さな集落しか知らずに育った。






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