第7話 藁仕事
寒さ厳しい真冬だけど、その分太陽は低くて縁側沿いの座敷と居間を奥の方まで照らしてくれる。
雨戸を開けてガラス戸を閉め切れば、無風の日中は驚くほどぽかぽかで気持ちがいい。綿入れ半纏もいらないくらいだ。
普段着である
「少しお昼寝されますか? お布団敷きますよ」
「んー……。あかりはこれからどうするのだ?」
「わたしは日向ぼっこもかねて縁側で藁仕事をしようかと」
「じゃあわしも手伝う」
「あら、いいんですか?」
「せっかくのお天気だ。なにもせんとただ寝ていたらもったいないしの」
カカカ、と朗らかに笑うと加加姫様はいそいそと奥座敷へ行ってしまった。
姫様もいるなら、と私もお勝手へ行き戸棚からお茶の道具一式を準備をする。
お湯は羽釜のほかに囲炉裏でも大瓶がつけられているけど、一度作業を始めてしまうとそう何度もお湯汲みには来られない。
そこで活躍するのが新しいもの好きの倉橋様――倉橋家ご当主からいただいた魔法瓶というものだ。
明るい若草色のずんぐりむっくりした入れ物に銀色の取っ手と蓋がついていて、昔ながらの道具ばかりあるこの屋敷にあってはかなり異彩を放っている。
どういう仕組みかはよくわからないけど、ぐらぐらに沸かしたお湯を入れておけば半日ほど温かいままで、しかもどこへでも持ち運べるので重宝している。まさに魔法の瓶だ。
お
「持って来たぞー」
玄関から声が聞こえて、慌てて行ってみれば姫様が土間の上がり
「わ、どうもありがとうございます。わざわざすみません」
本当は姫様の手を煩わせることがあってはならないのに、養父母が亡くなってからは彼女はなにかとお手伝いをしてくれるようになった。そしてそれにすっかり甘えてしまっている自分がいる。
人手が足らないのは事実で、だからこそ九摩留に屋敷に入ってもらったのだけど、彼は今ここにはいない。どこかへ遊びに行ってしまったのだろうか。
恐縮して頭を下げると少女はひらひら手を振って居間に上がった。
「よいよい。可愛い嫁御のためだ、これくらいはせんとな」
「ありがとうございます。とっても助かります」
あらためてお礼を言うと姫様が照れたようににぃーっと歯を見せて大きく笑った。
姫様はわたしのことを「嫁」と呼ぶときがある。
それはこの屋敷の男に嫁いだ女という意味じゃなくて、文字通り姫様の嫁という意味らしい。
とはいえ祝言をあげたわけでも契りを交わしたわけでもなく、物心ついたときからそう言われていたのであまり気にしていない。
嫁と呼ぶわりに人間の男と結婚するのは構わないと言われているので彼女の考えはとても謎である。
ちなみにわたしがいつも巫女装束を着ているのも姫様たっての希望で、これもやっぱり謎なのである。
でもこの緋袴は馬乗り袴だから活動しやすくて結構気に入っていた。
二人で藁束をくくる縄を持って座布団の間に置くと、少女はどこからともなくタスキを出して袖を留めた。
「姫様はなにを作りますか?」
「わしは鍋敷きとか鍋掴みとかタワシとか……小物を作るかのう。あかりは?」
「わたしはとりあえず
「ではどちらがたくさん作れるか競争だな。負けたら勝った方の肩叩きだ」
「いいですね。負けませんよー」
二人そろって座布団に腰を落ち着け、にやりと笑い合う。
言われなくとも肩叩きなんていくらでもするのに、彼女はこうやって勝負事にするのが好きなのだ。
さっそく藁打ちしてあるそれを束から数本引き抜き、端を片足で抑えて両手で擦りあわせ、一本の縄へと
そうしてできた縄を二本使って両足の親指と人差し指の間に挟み、草鞋を編んでいく。
わたしの片足は少し不自由で走ったりつま先で歩いたりというのはできないけど、藁仕事で使う分にはなんの支障もない。
慣れた作業に手足はなにも考えなくてもすいすい動いていく。
姫様は両足を前に投げ出して座り、鳥の巣のような輪を作ると手早く一本の藁で巻いてた。まずは鍋敷きから作るようだ。
倉橋様に言えば完成したものをいくらでも用立てしてもらえるのだけど、姫様は自分でなにかを作るのが好きらしい。
本人は暇つぶし程度の量しか作らないと宣言しているけど、何気に器用で仕事も早く、暇つぶし以上の量を作ってくれるのでいつも大助かりだ。
束からまた数本を引き抜き、わたしは柔らかくなった薄茶色の藁をじっと見つめた。
思えば、生活の中で藁ほどあちこちに使われてきたものはないかもしれない。
刈り取られた稲の藁は、草履や蓑といった身に着けるものから鍋掴みやタワシなどの台所用品、
でも、村の方ではこの何年かで耕運機が広まり牛馬を使わなくなったこと、台所用品や日用品、履物などももっと軽くて丈夫な素材の市販品にかわりつつあり、各家での藁仕事は少しずつ減ってきているようだった。
屋敷では姫様の身の回りのものを除き、作れるものはなるべく自分たちで作って暮らしている。
「そういえば泰明にまた縁談の話があったそうだ。これで五回目かのう」
姫様が手を止めることなく何気なくつぶやいた。
一体いつの間にそんな情報を仕入れたのだろう。
「…………そ、うですか」
「んふふ。気になるかえ?」
気にならないと言ったら嘘になるけど、でもあれこれ聞くのもためらわれる。
それに、わたしには関係ない話だ。
「今回は、うまくいくといいですね」
「カーッ! おぬしはまたそういうことをしゃあしゃあと抜かしおって。そろそろ素直になったらどうだ」
「なんのお話しをされているのかわかりかねます」
「おぬしもようやく自分の気持ちに気づいたのであろ? わしにはお見通しだぞ」
ギクッと身体が揺れて手が止まりそうになる。
バレてる? いやでもまさかそんなはずはない、という思いがぐるぐる頭を巡る。
確かにわたしは、自分の気持ちに気づいている。
それは泰明さんが村に戻ってまだ間もない日のことで。
彼に縁談があったらしいと姫様に聞かされて、雷に打たれたような強い衝撃が走ったことをよく覚えている。
そこから数日は頭が真っ白になり、しばらくなにも考えられなくなった。
縁談の話はなくなったと知りようやく気持ちが落ち着いた頃、そこではじめてわたしは泰明さんのことが好きなのだと理解したのだった。
もちろんそれまでも漠然と好きだとは思っていたけど、一人の男性としていつの間にか恋をしていたのだと気づかされた瞬間だった。
――気づいたからには、終わらせなければいけない恋だったけど。
「わたしは姫様のお嫁さんですよ? わたしの気持ちは姫様にしか向いてません」
「んんっ、それはうれしいぞ! ありがとう! でもそうじゃない、そうじゃないのだ!」
こちらに向き直った姫様は作りかけの藁細工をじれったそうに揉みつぶしてしまった。
せっかく完成近かったのにもったいない……。
「おぬしが本当に好いた相手なら屋敷に迎えてよいと言ったであろ。これまでも世話役は代々夫婦で仕えてくれたわけだし、それに夫婦どちらも
「ケンキ?」
「視える者のことだ。ほれほれ、この村にも一人だけおるだろう?」
「…………実際には十二人ですね」
姫様の血を受け継ぐ倉橋家には、数世代に一人だけ視える者が現れる。
でもそれは厳密に言うとちょっと違う。
倉橋家は、実は三歳までは全員が視える者なのだ。でもそこから成長とともに視えなくなって五歳を過ぎるころには普通の人と同じになる。
倉橋の本家分家には五歳未満の子が総勢十二名ほどいるのだった。
突然、姫様が口元に手を当ててのけぞる。
「えっ……この流れでおチビたちを数に入れるなんて。まさかおぬし、小さい子にしか興味がないとな?」
「そんなわけないでしょう! なんてこと言うんですか」
「カカカ! 冗談冗談。あかりはすぐムキになるから面白いのう」
カラカラと笑う姫様にもはや怒る気も失せ、草履作りを再開する。
「――大体、姫様はご存じでしょう。わたしは結婚に向かない人間なんです」
さっと強い視線が向けられる。
でもわたしは意地でも顔をあげなかった。
「…………あかりよ、我が裔を見くびるでないぞ。あれはおぬしがどんな者であろうと気にしない」
それまでのふざけた調子から一転、ひどく静かな声音に肝が冷える。
怒らせてしまったかと焦るが、すぐに彼女は明るい調子で続けた。
「ま、安心するがよい。わしは余計な口出しはせぬよ。
ぴた、と手が止まってしまった。
心臓の音がいやに大きく耳につく。手足がすうっと冷えて、胸の内に黒い雨雲のようななにかがじわりと広がった。
いけない。早く
「へぇーそうですか。それはとても喜ばしいことですね。めでたいめでたい」
「カカッ。おぬしは本当に可愛いのう。ほれほれ、かき餅食べてヤキモチ収めや」
小さな手が無理やりわたしの口にかき餅を突っ込んでくる。
濃い目の塩気と新鮮な油、そして芯まで揚がったおかきの香ばしさにちょっと気持ちがほだされる。
もごもごザクザクと無心で嚙み砕き、口の中が空になったあたりで湯呑を渡された。
これではどちらが世話役かわからない……。
横を見れば、姫様も鼻歌交じりにかき餅をつまんでいる。
その傍らにはいくつもの藁細工が転がっていた。
姫様にはかなわない。
いろんな意味で、わたしの負けだった。
巫女さんの昭和古民家なつかし暮らし ~里山歳時記恋愛譚~ さけおみ肴 @sakeomisakana
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