第6話 密やかな恋
囃した七草の載ったまな板を手にみんなでお勝手に移動し、さっそく囲炉裏を囲む。
お粥はもう作ってあるから、そこへ七草を入れて軽く火を通せばできあがりだ。
味付けにはお醤油や味噌、それから乾燥させた柚子の皮を塩と一緒にすり鉢で擦りあわせた柚子塩を出して、各自お好みで調整してもらう。
つけあわせのお漬物は歯ごたえの強い沢庵にした。
羽織の代わりに割烹着を着ると、まずは荒神様や仏様の分をお供えする。それからみんなの配膳をして、手をあわせていただきますをした。
「ん、柚子塩は風味がいいのう。七草の野性的な味わいがふんわり柚子に包まれてなんとも上品よ」
「柚子塩もとてもおいしいですが、沢庵を合わせるのもいいですよ。うちのとはまた違った味で……この甘さは砂糖じゃないよね?」
「はい。渋柿の干し皮を使ってます。なんというか、丸みのある甘さになりますよね。でも倉橋様のお宅のもとっても美味しかったですよ。先日分けていただいて……ね、姫様」
「本家は三温糖を使うと言っていたな。確かに甘さも辛さもしっかりしていてうまいが、わしはあかりの作ったほうが好きだぞ。
「僕も同感です」
「ありがとうございます。よかったらもう少しお出しましょうか? 多めに切り置きして――」
「あかりっ、おかわり! なぁなぁ泰明、早く巾着くれよー。もう二杯目だからいいだろー」
「はいはい今出すよ。あかり、僕もおかわりしていいかな?」
「はい、今よそいますね」
みんなでお喋りしながら手早く、でもしっかりと食事をとる。
たくさん作った七草粥はあっという間に空になり、みんなでそろってご馳走様をした。
泰明さんは食後のお茶もそこそこに立ち上がり、着てもらっていたお父さんの綿入れ半纏を脱ぐ。
「どうもご馳走様でした。それでは僕はこの辺で……」
「うむ、お勤めご苦労。今日も励むがよい。あかり、外まで見送っておやり」
「はい」
「九摩留もお見送りするか?」
「はっ、誰がんなことするかっつーの。オレはごめんだね」
「カカッ、そうかえ。ではここでゆーっくりくつろぎや」
「……なんか気味の悪いお姫だな」
囲炉裏端でお茶をすする姫様と九摩留をおいて、わたしは泰明さんと屋敷を出る。
玄関戸を閉めたところで泰明さんが小さく笑った。
「うーん。姫様にはお見通しか」
「え?」
「実はまだ時間に余裕があるんだ。少しだけお喋りに付き合ってもらってもいいかな」
庭の塀近くに停めてある自転車の前で、泰明さんは腕時計を見てからにっこり笑う。
「でしたら中の方があったかいですし。屋敷に戻りましょうか」
「あはは、それはやめとこうかなぁ」
言いながら彼はさっとコートを脱ぐとわたしにかけてしまう。厚手の生地に残る人肌のぬくもりと泰明さんの匂いに包まれて全身が一気に熱くなった。
「だ、だめです、泰明さんが風邪引いてしまいます」
「大丈夫だよ。七草粥食べたし、それに女の子が身体を冷やしちゃいけないからね」
返そうとする手を押さえられて、マフラーまでぐるぐると巻かれてしまう。
鼻の下まで巻かれたそれからいっそう彼の匂いが強く香って、なんだかお湯にのぼせたような心地がした。もしかしたら頭のてっぺんから湯気が出ているかもしれない。
恥ずかしいやら申し訳ないやらで、つい視線が下がる。
こんなことなら半纏を着てくればよかった。
「泰明さんはもう少しご自分を大事にしてください」
コートの端を握りつつ抗議すると、彼は手袋に包まれた拳を口元に当てて小首をかしげた。
「んー。それじゃあ僕のことはあかりが大事にしてくれる? で、僕はあかりを大事にすると。それならちょうどいいよね」
「な……ふざけないでくださいッ」
「あはは、ごめんごめん。ちゃんと気をつけます」
楽しそうな笑い声があがり、こちらもつられて笑ってしまう。
泰明さんのことは、それこそ物心つく前から知っているし、幼い頃は一時期一緒に屋敷で寝起きもしていた間柄だ。
でも一年ほど前までは彼はずっと村を離れて生活していたので、その間は基本的に週末のごくわずかな時間しか会っていなかった。
特に戻って来る前の一、二年は週末の帰省すらままならなかったようで、半年に一回会えればいいほうだったように思う。
いや、最後の一年はもしかするとまったく会えていなかったかもしれない。
この数日は毎晩一緒に夕食をとり、たくさん話をするようになって、今まで知らなかった一面も見えるようになってきた。
優しくて紳士的なのは変わらないけど、たまにこちらをからかってきたり子どもっぽいところもあったりして。それまでなんとなくあった堅苦しさが取り払われて、人懐こい部分が見えてきた気がする。
「――泰明さんは学生のころも七草粥、食べてましたか?」
「うん。下宿先で出てきてたね。でもさすがに向こうでは囃したりしてないと思うな」
「村でもちょっとずつ簡略化しているお家が増えてるみたいですよ。今は手早く包丁で刻んで、そのときちょっと歌うくらいだとか」
「そっかぁ。うちでも屋敷ほど作法にのっとってないだろうし……ここで霊験あらたかな七草粥を食べれて本当によかった」
何気ない雑談でも、泰明さんは興味深そうにうなずいたり笑顔を見せてくれる。
久しぶりに明るい場所で見る彼は美しい姫様の血を色濃く引くだけあって、とても綺麗な顔立ちをしていた。
切れ長の涼し気な目元に通った鼻梁、ほっそりした輪郭は美しい磁器人形のようでもあり。
かすかに青みがかってみえる艶やかな黒髪と透けるような白い肌は、この村や町どころか大都会でもそうお目にかかれないかもしれない。
老いも若きも関係なく村中の女性が優しくて格好良い彼に惹かれているし、学生の頃もきっとさぞモテたに違いない。
彼が誰かと結婚したら、わたしの心にも平穏が訪れるだろうか……。
「あ、そうだ。はいこれ新作」
そう言ってコートの内ポケットからおもむろにハンカチを取り出す。
包まれていたのは水引で作られた美しい
薄紅色と黄緑色の紐が数本帯状に伸び、その片端では複雑に編まれた花が咲いている。大小の円を連ねた花弁は外に向かって同心円状に先端を伸ばしていて、可愛らしくもとても華やかだ。
「わ、すごく素敵ですね。どうもありがとうございます」
「おいしいごはんのお礼だから、気にしないで」
この栞はなんと泰明さんのお手製だった。
はじめてお礼をいただいたのは泰明さんが大学に進学後、久しぶりに下宿先から戻ってきたとき。
でもそのときは栞ではなく、高価そうなネックレスだった。
当時はお母さんと料理を作っていたし、そもそもそんな高価なものをいただく理由もなかったので固く辞退したのだけど、そのあとの長い押し問答を経て、最終的に栞なら……とお礼を受け取ることになったのだった。
いただいた栞は大事にしつつも、しっかり活用させてもらっている。
ふと泰明さんが腕時計に目を落とした。
「そろそろいかなきゃだ。また今夜、来てもいい?」
「はい。姫様も喜ばれます。ごはんを作って待ってますね」
マフラーとコートを返すと一気に身体が冷えていく。
泰明さんはなにか言いたそうに口を開けたけど、結局なにも言わずに防寒に徹すると自転車にまたがった。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。お気をつけて」
門を出て坂道を下る彼の背中が雑木林に覆われるまでお見送りをする。
こうやってお見送りできる機会は、あとどれくらいあるだろうか。
ぼんやり思いながら、わたしは屋敷へ逃げるように足を急がせた。
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