天つ空人〜古の記憶〜

入江 涼子

第1話

  その昔に空人そらびとと呼ばれる種族がいた。


 空人――ある星の創造主の血筋だと伝えられている。空人は長い間、宇宙と呼ばれる空間を彷徨い続けた。彼らは地球と呼ばれる星に目をつける。この星の物質を用いて神を生み出す研究を始めた。幾年もの時をかけて最初は両性具有――半陰陽体を生み出す。だが、これでは空人にとっては都合が悪い。

 地球の生き物は半陰陽体でなく雌雄がはっきりと別れていた。なので次に行われたのが完全なる女性体――女神を生み出す事だった。長い長い時を経て彼らは同じ血筋同士での婚姻を繰り返したり地球で生まれた女神を迎えたりする。そうして空人の血筋の完全なる女性体――女神が誕生した。


 女神にはローセッタという名前が与えられる。彼女は箱庭の「エデン」も与えられた。ローセッタは宇宙での過酷な環境でだと生きられなかった。空人達は彼女を地球と同じ環境のエデンに住まわせたのだった。


 空人達も長い間に権力争いに明け暮れるようになっていた。そんな彼らは空人の純血らしいローセッタを忌み嫌う。特に地球から嫁いできた女神達はそれが顕著だった。


「……あの女。また、男神達を侍らせている」


「ほんにのう。忌々しい女子じゃ」


 いつもローセッタの周りには男神達がいた。といっても元は半陰陽体の神々であったが。特に彼女と近しい仲だったのがユーリウスとダリウスだ。二人はいとこという間柄だった。ちなみに女神達は知らないようだが。ローセッタとダリウスは許嫁いいなずけ同士。それもあり二人はよく一緒にいた。ローセッタはダリウスを慕ってさえいる。ダリウスも彼女を憎からず思っていた。


「……ローセッタ。そんなに走ると転ぶよ」


「大丈夫よ。ダリウスもこちらに来て!」


「仕方ないなあ。どれどれ」


 まだ幼い少女であるローセッタにダリウスは穏やかに笑いながら遊び相手に興じる。エデンに咲く名もない草花を摘んではダリウスに捧げた。他の男神達よりも背が小柄で華奢ながらも優美な彼を気に入っている。見かけによらず、剛毅でさばさばとした性格のダリウスは面倒見も良い。この時までは二人とも幸福であった。それが壊されるとは誰も予測はしていなかった。


 あれからまた、長い年月が流れてローセッタは成人女性の年齢になった。時折、エデンを抜け出しては地球に降り立ち散策をするのが日課になっている。実行しては父神や母神、ダリウスらに怒られていた。この際に地球の男神――オールフェンに見られて執着されている事に彼女は気づいていない。この日もローセッタは舟を使い、地球の陸地に降り立つ。目指すは野花の咲く草原だ。地球も永久の時を経てローセッタが着の身着のままでいても平気なくらいには温暖な気候になっている。気が赴くままにそぞろ歩く。


(……ユーリウスやダリウスにもこの景色を見せてあげたいわ。けど。彼らは来ないでしょうね)


 どこまでも青く澄み渡る空に穏やかに照り渡る日の光。ピチチと囀る小鳥が飛び交い、綺麗な野花が咲き乱れる広大な草原は見る者を魅了する。とても素晴らしい光景だ。エデンでずっと過ごすなんてつまらない。宇宙空間はただ暗く寒々しい場所だ。自身が生きていくには過酷過ぎる。ローセッタはそれをよく理解していた。しゃがんで草花をまた摘み始める。後ろからいきなり羽交い締めにされた。


「……!!」


「……静かに。あなたがローセッタか」


 口を手で塞がれる。目線だけを動かしながら相手を確かめた。そこには真っ黒な髪と瞳の筋骨隆々とした背の高い男神がローセッタを食い入るように見つめている。


「私はオールフェン。あなたを一目見た時から惹かれていた。我が妻になっておくれ」


「……」


「……大きな声を出さないなら手を離そう」


 ローセッタは必死にこくこくと頷いた。オールフェンはゆっくりと口を塞いでいた手を外す。


「……オールフェン神でしたね。私には許嫁がいます。あなたの想いには応えられません」


「そうか。残念だ」


 ローセッタがきっぱりと言うとオールフェンはひとまず羽交い締めにした身体を開放してくれた。が、にっと笑った彼は腕を振り上げる。頭に強い衝撃がきた。視界が真っ暗になる。


「……ふん。女神のくせに生意気な。最初から俺の言う事を素直に聞いていればいいものを」


 オールフェンの蔑む声を聞きながらローセッタはゆっくりと草花の上に倒れ伏した。そのまま、意識を手放したのだった。


 ローセッタは顔にかかる冷たい何かの感触で意識が浮上する。ぽちゃんと落ちてきたのは水滴だ。目線だけで見上げると石で出来ているらしい天井から一粒ずつ水滴が床に落ちている。そして声を出そうにもできない。布を口に噛まされているからだ。いわゆる猿ぐつわをされて両手首を後手に縛られている。どうやらここは洞窟のようで彼女は石床と呼べる場所に転がされているようだ。


(何てこと。私をあの男神は無理に捕まえたのね。そしてここに気を失った私は連れて来られた)


 そう考えると不思議と冷静になる。頭が冴えわたるというか。もがきながら縛られていない両足で立とうとした。が、なかなか上手くいかない。それでも転んだり着ていた衣服をあちこち汚しながらも立つ事に成功した。平衡感覚が正常でないまま、洞窟の出口を探す。だが、迷路のようになっていて進みようがない。仕方なく諦めて元いたらしい場所に戻る。ふうとため息をついた。石床はひんやりとしていて身体を冷やしてしまう。ぶるりと震えながらも途方に暮れたのだった。


 しばらくしてから自身を囚えたらしい者が近づくのに気がついた。ヒタヒタと足音がして目を凝らすとそこには意識を失う前に見た男神が佇んでいた。確かオールフェンといったか。男神は近づくとローセッタが目を覚ましたのに気がついたらしい。少し驚いたような表情を浮かべている。


「目が覚めたのか。ここは俺の住処だ。今日からお前の住処にもなる」


「……あなたは。私を囚えてどうするつもりですか?」


「囚えたとは人聞きが悪い。俺はお前を気に入ったからここに連れてきた。それで十分じゃないのか」


 ローセッタは話しても無駄だと即座に判断した。けど。自身が戻らなかったらダリウスやユーリウス、両親が心配するだろう。どうにかして連絡を取る術を探さなくては。それを考えながらオールフェンに従うふりをしようと決めたのだった。


 そうして洞窟で過ごすようになってから二月が経った。オールフェンと本当の意味で夫婦にはなったが。ダリウスの事が忘れられない。彼らは今頃自身を探している事だろう。けれど洞窟には細工がしてあるのか出ようと思ってもなかなか出口に辿り着けない。仕方なくオールフェンを受け入れる日々が続いた。この日も彼は珍しい宝石や食べ物を持ってくる。


「ローセッタ。今日は金剛石と木苺の実を持ってきたぞ。ほら」


「ありがとうございます」


「やはり女神は着飾るに限るな。金剛石がよく似合う」


 ローセッタは美しい真っ直ぐな黄金の髪と淡い翡翠色の瞳の可憐な女性の姿をしている。だが本性は闇と水の女神であり可憐なだけではなかった。オールフェンはまだそれに気がついていない。ただ、小さな子供が珍しく新しい玩具を手に入れたような感じで気に入っているだけだ。ローセッタは共に過ごす内にそれに気がついていた。いずれは私にも飽きるでしょうね。胸中で呟きながら冷めた目で夫を見た。


 また、数十年という長い年月が流れた。ローセッタはオールフェンとの間に二人の子宝に恵まれる。二人とも男の子だ。兄がローエン、弟はタイタンと名付けられていた。ローセッタは相変わらず洞窟から出してもらえない。いつになったら戻れるのか。焦燥を抱えながらも子供達の世話に明け暮れていた。


「お母様。タイタンがね、珍しいお花を摘んできたんだよ」


「まあ。綺麗ね。けど。危ない場所には行っては駄目よ」


「わかった。そろそろお父様が来るね」


 ローエンがさり気なく教えてくれた。タイタンと一緒に外へ行ってしまう。入れ代わりにオールフェンがやってきた。


「……ローセッタ。今日は折り入ってお前に話がある」


「どうしたの。あなた」


 小首を傾げながら訊いた。オールフェンは一気に顔をしかめる。


「お前の居場所をあいつらが見つけたようだ」


「え。もしかして。ダリウスやユーリウスが?」


「……ふうん。お前。そいつらと一緒に帰るつもりか?」


 いきなり言われて驚いてしまう。オールフェンは真っすぐにローセッタを睨みつけた。憎しみに満ちた目をむけられて身が竦む。思わず、後じさりした。


「ローセッタ。逃げられると思うなよ。お前をあちらに帰すつもりはない」


「……あなた。だから私をずっとここに閉じ込めていたのね。私はずっとダリウスを忘れた事がなかった。身体はあなたの物になっても。心はあの人に捧げようと決めていたわ」


「……何だと。じゃあ、俺に靡くふりをして。欺いていたのか!?」


 オールフェンは怒鳴り散らしてローセッタの両肩を掴んだ。ぎりぎりと強い力で骨が軋みそうになる。私は間違ってしまったのだろうか。ダリウス、何故来てくれないの。そう思ったらはらはらと目から雫が流れてきた。涙だと少しして気がつく。ああ、私はダリウスを本当に愛していたのね。涙を流れるに任せた。


 オールフェンは強烈な嫉妬と怒りに苛まれた。やはりこの女は俺を見ない。身体は手に入れられても心までは無理だというのか。せっかく、他の女神達よりも大事に扱ってやったのに。本妻として迎えてやったというのに他の男神にうつつを抜かすとはな。腹立たしいにも程がある。完全に手に入れられないなら壊してしまえばいい。そうすれば、永遠に俺のモノになる。そんな暗く歪んだ考えに彼は囚われてしまった。


 オールフェンは黙ってこの場を去っていった。あまりの不気味さにローセッタは不安感が押し寄せてくる。嫌な予感がしてならない。それは奇しくも当たるのだった。


 ローセッタはしばらくしてやはり洞窟を出ようと立ち上がる。たどり着けなくとも構わない。もしかしたらダリウスに再び会えるかもしれないわ。逸る気持ちを抑えながらも歩を進めた。が、後ろから気配がして振り返る。そこには短剣を手に持ったオールフェンがいた。


「……どこへ行くつもりだ。ローセッタ」


「……あ。お願い。私をここから出して」


「出すつもりはないと言っただろう。お前は聞き分けがないな」


 そう言うとオールフェンは昏いくら笑みを浮かべた。一歩ずつ近づいてくる。ローセッタは反射で駆け出した。だが、背中を向けて逃げ出したのは間違っていた。知らない間に洞窟の奥へと進んでしまっている。それに気がついた時には遅かった。


「……逃さないよ。ローセッタ」


 にたりと笑みを深めたオールフェンは行き止まりの場所にローセッタを追い詰めた。

 ゆっくりと近づき、ローセッタの身体を抱き寄せた。左胸の辺りに焼け付くような痛みが走る。少しずつ、短剣の刃先が自身の胸に沈み込む。


「……かっ。はっ!」


「ずっとお前は俺のモノだ」


 睦言を囁くように耳元にて言われた。ぽたぽたと紅い雫が石床に落ちる。身体が傾ぐとオールフェンが抱きとめた。熱くて途轍もなく痛い。同時に身体が急速に冷えていく。瞼が徐々に重たくなっていた。……ダリウス。助けて。

 そう呟いたのを最期にローセッタは息を引き取った。洞窟内では狂った男の笑い声が響いていた。


 ローセッタは地球のギリシャという地にて生涯を閉じた。ダリウスやユーリウスも彼女を探して回ったが。結局、見つからなかったという。後にローセッタはインドの地にて新たに生まれ変わる。人の赤子としてだ。彼女は成人してから数奇な運命を辿ったある女神の事を知る。大いに同情し、彼女はローセッタに毎日祈りを捧げたという。

 これはまだ人が神を知らなかった頃の話だ……。


 ――完――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天つ空人〜古の記憶〜 入江 涼子 @irie05

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画