2-2:三山千鶴と呪われた猫
三山千鶴には、幼い頃から不思議なものが見えていた。
うっすらと、風景に溶け込むような形で『半透明の人間』みたいなものが町を歩いていることがある。
それが『幽霊』と呼ばれるものだということは、かなり早い段階で気づいていた。しかし、自在に見ることが出来るという程には至らない。壁の沁みだとか、木目の中に人の顔に見えるものが混ざっているのと同じように、風景を眺めている中でふと、『違和感』のようなものが芽生えるという程度のもの。
霊能力と言ってもいいのだろうが、それはあまり強いものではなかった。
だから、特に何かの役に立てるとは考えたこともなかった。
でも、ある時に変化が訪れた。
彼女が五十歳を迎えた時のこと。
「捨てられた猫なんだけど、引き取ってもらうことはできない?」
保護猫活動をしている友人から、一匹の黒猫を見せられた。まだ生まれたばかりの子猫で、両手の平に乗せられるほどの小さな体をしていた。
胸が締めつけられた。この弱々しい命を、自分が守りたい。夫にも先立たれたし、長女と長男もそれぞれ結婚して家庭を持つようになっていた。
製菓会社で働いていた千鶴は、新作のお菓子として『フォンダンショコラ』なるものが売りに出されたのを目にしていた。その真っ黒なチョコレートの色が、ちょうどこの猫とそっくりな色をしている。
「じゃあ、あなたの名前は『ショコラ』ね」
名前をつけてやると、「ミ」と短く返される。
ふわふわの黒い毛が可愛らしかった。それを飾るために、黄色いスカーフを繕ってやる。ショコラもそれを気に入って、いつも元気に跳ねまわっていた。
それから、一年ほどが経った後だった。
「ナァーオ、ナァーオ」
何もない空間へ向けて、ショコラが鳴いているのを見た。「ショコラ、何してるの?」と千鶴が問うが、それでも何もない空間をじっと見据え続ける。
もしかして、と目を凝らしてみた。
「やっぱり」と嘆息し、その場にいる『霊』の姿をまじまじと見た。
それからは、ショコラの仕草に注目するようになっていった。
「本当に、ショコラにははっきりと幽霊が見えてるのね」
これは、いいコンビなのではないかと思った。
千鶴一人では、はっきりと幽霊を見ることは出来ない。目を凝らせばわかるけれど、そもそもの存在を感知できずに見逃してしまうことが多い。
ショコラは幽霊を見つける能力に長けているが、言葉を発することもできず、霊に対してどう振る舞えばいいかがわからない。
互いが互いを補い合えば、霊という存在としっかり向き合える。
「もしかしたら、困っている誰かを救えるのかも」
それから千鶴は、様々な霊と向かい合っていった。
動物の霊の時もあったし、家族の霊が土地に留まっていることも。それらを指摘してやることにより、人々は救われた顔をした。
「しっかりと、死後の世界での幸せを祈ってあげてください。死後に安らかでいると強く信じてあげることで、霊は救われるものですから」
数年間、霊能者の元で教えも受けた。霊と向かい合うには何が必要か。それを人々に伝えることで、少しでも誰かの心を救えればいいと思った。
ショコラが霊を見つけ、千鶴が霊の素性を探る。そのコンビネーションは定評となり、どんどん名声も獲得していった。やがてはテレビ番組にも呼ばれるようになり、千鶴は霊能者の『月岡馨子』として名声を獲得していく。
数年後、『ある事件』が起こるまでは。
「どうしても、疑わしいという話があるらしいんです」
番組プロデューサーから、ある日そんな言葉を投げかけられた。
「ショコラくん、本当は月岡先生が『芸』を仕込んで、決まった場所でそれっぽい素振りをしてるだけなんじゃないかって。先生が霊視するっていうだけではインパクトが弱いからって、動物をダシに使ってるだけなんじゃないかって、番組に投書が来るんですよ」
「そんな」と千鶴は眉を下げた。
「そういうわけでして、今度の番組の企画ではショコラくんだけをお借りして、心霊スポットでの霊視を行おうと思うんです」
半ば強引に話を進められ、千鶴は渋々承諾した。
ここ数年で、妙な話の頻発している土地が存在しているという。山小屋に泊まった人間が不審な自殺を遂げた他、奇妙な声が聞こえるなど。そこへ行って帰ってきた人間が事故に遭って死んだり、知人とのトラブルで人を殺したりすることも起こっている。
「木更津(きさらづ)燐火(りんか)が霊視に向かった先で自殺した件もあって、今は霊能関連に注目が集まっています。だから先生が本物だということを、是非ともはっきりさせておきたいんです」
嫌とは言えない空気があった。
だから、ショコラとはしばし離れることになる。
「絶対に、怪我をさせないで下さいね」
出発前に何度も、スタッフには念を押した。
それからの出来事は、うまく把握しきれていない。
『芸能事務所で火事。在籍していたタレントに多数の死傷者』
『超常番組の収録中、音声スタッフが突然の病死』
『女優タカハシエーリ、交際していた男に刺されて死亡』
『テレビ局スタッフ。家族を殺害した上で焼身自殺』
次々と、訃報が報じられていった。
リポーター役だった女優や、局のカメラマン。その他に番組の撮影のために向かったクルーやタレントたちが相次いで死亡する事態が起こった。
唯一無事だったのは、『一匹の黒猫』だけだったという。
現地に辿り着いてから、ショコラはあちこちで『何か』の気配を察知した。それらを人々に伝えていき、クルーもすぐにカメラを回す。
その直後に、体調不良を訴える者、幻覚を見る者、中には山奥へと向かっていき、投身自殺を遂げた者も出た。
人々がパニックに陥る中で、当の黒猫だけは涼しい顔をしていたという。
その日から、全てが変わってしまった。
この事態を引き起こしたのは誰だったのか。
「あの猫が、きっとみんなを呪ったんです。悪い霊が取り憑いて、おかしな行動を取るようになったんです」
リポーター役のタカハシエーリは、帰還直後にそう訴えていた。その姿は電波に乗せられ、全国的に報じられることともなった。
「ココロの神様、ココロの神様。どうか、わたしを助けて下さい」
彼女は怯えた様子で呪文らしき言葉を唱え続ける。
その翌日に、彼女は交際相手の男に刺し殺された。
世間は急激に、千鶴を悪者扱いするようになった。
霊能者として、この事態にはどう説明をつけるのか。
マイクを向けられても、『わからない』としか答えられなかった。
では、連れている猫はなんなのか。
それもまた、『わからない』としか答えられなかった。
だんだん、千鶴には悪い噂がついて回るようになる。
呪いがその後も蔓延していき、霊に怯える人々が出てきた。そんな人々の不安に付け入るようにして、千鶴が金銭を要求するようなことをしたという。
やがて、千鶴を『詐欺師』と糾弾する声も上がり始める。
だが、猫だけは特別だった。
ショコラが鳴き声を発したことで、大勢が死んだことだけは事実。そのことから、ショコラの呪いだけは疑う余地もないものだと認識した。
数日後、千鶴は姿を消した。
マネージャーとして共に事務所を経営していた家族と共に、以後は行方をくらますことになる。
ショコラとは途中ではぐれてしまい、千鶴は以後、相棒に会うことはできなかった。
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