第二章 新しい家

2-1:悪霊志願

 この家の夫婦は、信じてもいいんだろうか。


 とりあえず、ごはんは美味しい。ちゃんと猫の気持ちがわかっているのか、安っぽい市販のキャットフードを使わない。変にオイルで匂いをつけているものじゃなく、健康に配慮した品物をわざわざ取り寄せてくれたようだ。

 おばあちゃんが出してくれたのと同じ味。懐かしい気持ちになる。


「いやあ、パルメザンは綺麗な猫だねえ」

 哲宏がしみじみと僕を見守る。「そうね」と恵津子も目尻を下げていた。


 二人とも、優しそうな顔をしている。

 哲宏は、体が大きくて顔の形も四角い。肌の色は浅黒くて、いつもニコニコと笑っているような印象がある。


 恵津子の方は顎の辺りがまんまるで、顔全体はおむすびみたいな形をしている。

 二人とも年齢は『おじさん』と『おばさん』という言葉が似合いそうな感じ。仕事なんかはしていないのか、二人とも毎日昼間から家にいる。


 今のところ、不自由はない。僕が外に散歩へ出かけるのも、別に見咎めるようなこともしては来ない。


 僕はそっと首をめぐらし、ソファの方を見やる。


「なんだよ、クソ猫」

 目が合うと、タケユキはあからさまに舌打ちをした。


 生活そのものは快適だ。

 こいつさえ、いなければ。





 これは、『取り憑かれた』という奴なんだろうか。


「とりあえず、手当たり次第ぶっ殺してやろうかな」

 外へと出かける。タケユキはすかさず腰を上げ、僕の後をついてくる。


「あら、お散歩なの」

 近所に住んでいるおばさんが、僕の姿を見て足を止める。僕のお洒落な姿を見て、「可愛いわねえ」なんて褒めたたえる。


「何言ってんだババア! 死ね!」

 タケユキは鼻を鳴らし、おばさんの肩へと手を伸ばす。


「おーら、死ね死ね! 死ね死ね!」

 何度も何度も執拗に、僕に声をかけたおばさんに触れていく。


 正直、うんざりだ。


「じゃあね、猫ちゃん」とおばさんが手を振った後も、「てめえが『じゃあね』すんのはこの世だ!」とタケユキは悪態をつく。


 そっと振り向くと、ミズナちゃんは暗い表情をしていた。

 本当は、もっと楽しい時間のはずなのに。


「俺、決めたからな。お前に声かけてきた奴。お前のことを可愛いとか馬鹿なこと言う奴。そいつら全員、俺が呪い殺す」

 ヘヘ、と鼻を鳴らし、タケユキは得意そうにする。


「霊になったからには、自由にやらしてもらう。俺だってやられたんだ。世の中の大勢、これからぶっ殺してやるからな」





 新しい土地に来て、わかったことがある。

 ミズナちゃんは以前、『あの町』が呪われているのだと話していた。あの一帯にだけ変な幽霊がさまよっていて、近くにいる人に干渉していると。


 でも、この隣の市も変わらなかった。

 前の町ほどではないけれど、歩いていると幽霊を見つける。ミズナちゃんやタケユキのように自由に動き回れることはなく、ただじっと暗い顔で佇むばかり。


 だんだん、疑わしくなってくる。

 こんなにも幽霊があちこちにいるのでは、何が『普通』で何が『異常』なのかが曖昧になる。もしかするとずっと昔から危険な幽霊があちこちにいて、誰もがそれに気づかずに生きていただけだったんじゃないか。


「結局、どういうことなんだろう」

 小学校の前を通りかかり、フェンスの先に幽霊がいるのを見る。ミズナちゃんもそれを目にし、心配そうに眉を下げていた。


「フン」と傍らで鼻を鳴らす音がする。

 タケユキがまた馬鹿にしたように、僕たちを嘲笑った。


「まあ、てめえの脳味噌じゃ考えてもわからねえだろうな。人殺しの分際で、世の中をどうこうしようとか思ってんのか。随分とかっこいいな」


 違う、と言いたかったけれど、タケユキに説明しても仕方ない。ミズナちゃんと目を見合わせ、あえて無視することにした。


「そんなことより、お前にいいこと教えてやるよ。お前みたいなクソ猫には、世の中の心配するなんざ千年早いんだよ」


 うるさいなあ、とイライラした。


「ま、これはサービスだ。とりあえず聞いとけ」

 僕の傍らについてきて、タケユキが尚も話を続ける。


「お前、もうすぐ殺されるからな」





 タケユキはずっと、唇を吊り上げていた。

 今日は、家の中が慌ただしかった。


 哲宏と恵津子は、穏やかな人なのかと思っていた。タケユキが死んだ後、すぐに僕を引き取ることを決めた。そして今日まで丁寧に扱ってくれた。


 でも、今は暗雲が立ち込めている。

 カメラだの、変なピカピカしたライトだの、灰色のモコモコした長い棒を持った人間なんかがリビングに集まっている。


 哲宏と恵津子はソファに座り、二人でカメラに向かい合っていた。


「今日発表するのは、私の母についての話となります」

 神妙な表情で、哲宏がマイクに向けて言葉を発する。


「私の母である三山千鶴は、十五年前に『月岡馨子』という名前で霊能者として活動していました。ショコラという黒猫を連れて霊を探すというスタイルで、まだ母のことを覚えておられる方は少なくないでしょう」


 これは、どういう状況なんだろう。

 タケユキは部屋の壁に寄りかかり、笑いながら二人を見ている。ミズナちゃんはカメラがいるのを怖がって、今は隣の部屋に避難している。


 テレビの取材らしい、ということまではわかる。


「晩年、母はとても心を痛めていました。母は霊能者として、一人でも多くの人が『見えないもの』に悩む状況から救われるよう手助けをしてきました。ですが、『ある事件』をきっかけとして母を非難する声が上がり、追い回す者まで出てくるようになりました」


 これは、アツヤが語っていた話か。

 おばあちゃんは、本当に霊能者の月岡馨子だった。


「この場を借りて、はっきりと断言したい。母は、決して詐欺師なんかではありませんでした。母にはたしかに特殊な感覚が備わっており、一緒にいたショコラという猫だって本当に霊を探知することが出来ていたんです」

 真摯に訴えかけ、その途中で哲宏が声を震わせる。


「母は既に他界しましたが、だからこそ、ここで母の名誉を取り戻したい。母も、母と共にいた黒猫も、本物の霊能力を持っていたことを」

 涙を滲ませ、哲宏はソファから立ち上がる。真っすぐに僕の方へと歩いてきて、カメラを向けるようにと促した。


「証明することが出来ます。母は晩年、もう一匹の猫を可愛がっていました。その猫もまた、以前のショコラと同様に『霊を見る』ことが出来ていたのです」


 うまく、逃げることが出来なかった。


 僕は正面から、カメラや照明を向けられる。

 そんな僕を手で示し、哲宏が高らかに言う。


「紹介します。母の最後のパートナー、パルメザンです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る