1-10:タケユキの秘密
どうやら、死んではいなかったらしい。
アツヤは花見ちゃんがやってくるとすぐに、早口で目の前の状況を説明した。二人して『スマホ』という例の小さな四角いものを操作して、アツヤの方が電話をかけていた。
ピーポーの車がやってきて、女の人はすぐに運ばれていく。アツヤたちはその場に残ることにして、おばあちゃんの住んでいた家をぼんやりと見上げる。
車は女の人を乗せ、すぐにまたピーポーを鳴らして去っていった。
「やっぱり、タケユキは普通じゃなかったんだ」
家の前に残り、アツヤは何度も庭の方を振り返る。足元にいる僕を一瞥すると、隣の花見ちゃんに顔を向けていた。
二人は車と一緒には行かなかった。ここに残っていないといけないとアツヤは言い、誰かをここで待つような素振りを見せていた。
「一つ、気づいたことがあったんだよ。パルメザンと会ったことでさ」
また僕の方を見下ろす。今度は腰を屈めず、直立して話を続けた。
「さっきまでの反応でもわかると思うけど、パルメザンは頭がいい。絶対に俺たちの話を理解してる」
「はい」と花見ちゃんも共感する。
「だから、タケユキも同じなんだと思ってたんだ。パルメザンが人を殺してるとか話してた。でも、よく考えると変なんだよなって、そこを突き詰めてみて気づいたんだ」
今度は言葉が返らない。花見ちゃんは黙って僕を見下ろす。
「もし、タケユキが本当に『パルメザンは普通じゃない』って思ってたら、パルメザンが危険だっていう話を、こいつのいる部屋で話すもんなのかなって。人を殺すような頭を持ってる猫の前でそんなことを延々話したら、何かまずそうだって気がするもんだろう」
「じゃあ、ただの冗談だったとか、そういうことですか?」
「それが自然だろうけど。でも、そうすると説明がつかないことが出てくるんだ」
少々、話について行けていない。
アツヤは何かに疑問を持っている。でも、それが何かはよくわからない。
「タケユキはさ、ネットとかSNSとかでも、パルメザンがサイコパスの猫だとかって、不安を訴えることをしてたんだ。そこまでやるのは普通じゃないし、信じてないんだったら、そんな書き込みをするっていうのは色々とおかしいだろうって思う」
花見ちゃんはアツヤに目を戻し、小さく頷く。
「パルメザンはさ、現時点ではタケユキの家の飼い猫だ。その猫が交通事故を引き起こしてるなんて大々的に言うのは、どう考えても合理的じゃない」
「たしかに、そうですよね」
「それなのにタケユキの奴は、そういう書き込みなんかも大々的に出して、パルメザンがいかに危険な猫かって強調してた。自分もそれに怯えてる、なんて形でさ」
それが何か、不可解なことなのか。
「そこまでやってるのに、肝心のパルメザンの前では、警戒もせずにベラベラと話を続けてる。サイコパスの猫の話を信じてるのかどうなのか、説明がつかない感じだ」
「つまり、どういうことなんでしょうか」
問いかけられ、アツヤは右手の人差指を立てて見せる。
「考えられるのは一つ。タケユキは実際には、パルメザンに怯えてたわけじゃない。ただ、『正体がわからない』って訴えることで、『自分は何も知らない』と主張したかった」
「どうして、ですか?」
「要するにね、『隠したい事実』があったはずなんだ。パルメザンに関して、タケユキとしては一つ思うところがあった。でも、『それ』を自分以外の人間にも察知された場合、何かしらの不都合な状況に追い込まれることがわかった。だから、『サイコパスの猫』なんていう話を提示することで、世間の目がそっちに向くようにしてたんだ」
花見ちゃんの眉が寄せられる。まだ不可解そうな様子だった。
「考えてみるといい。もし、タケユキがそういう行動を取らなかったら。どうなるか」
一度頬を緩め、アツヤは問題提起をする。
「パルメザンは元々の飼い主だったおばあさんが死ぬ前後、あの事故現場の辺りをうろつくようになった。そして噂によると、『何もない空間』に向けて、やたらと鳴き声を上げるようなこともした。そういうのを世間の人たちが見たら、何を思うか」
その話、そんなに広まっているのか。
僕がそれをやったのは、たった一回くらいのことなんだけど。
「それはやっぱり、『幽霊』とか、そういう関係ですよね」
おずおずといった感じに、花見ちゃんが応える。
「そう。猫が『見えない何か』に反応するって話はあちこちにある。だからパルメザンが事故現場の近くでそんなことをやってたら、子供の幽霊でもいるんじゃないかって思う」
まあ、実際にいるんだけれど。
「それで、どうなるんですか?」
「もし、パルメザンの行動がそのままずっと続くなら。不審に思う人間がきっと何人も出てくる。連日のように事故現場へ通う猫。そういうのを見たら、そこには何かがあるんじゃないかって気にさせられる。『その手の専門家』でも呼んで、現場を見てもらおうって話だって出るかもしれない」
「多分、それが自然でしょうね」
「そこで、思い当たる話があるんだ。『動物が幽霊を見てる話』ってことで、詳しそうな人間。結構前に、テレビでももてはやされてたらしいんだけど」
話を示唆され、花見ちゃんが首をかしげる。
僕は、一つの名前を思いついた。
「月岡馨子っていう霊能者が、昔いたらしいんだ。もう大分前に引退したみたいだけど、一匹の黒猫を相棒にして、幽霊の居場所を察知していたって」
やっぱり、その名前が出てくるのか。
「それで、何が問題なんですか?」
花見ちゃんは家を見やり、左右に首を振る。
たしかに、良くわからない。僕が目立つ行動を取ったことで、月岡馨子が呼ばれる。
それの何が、不都合なのか。
「これはさ、結構裏で言われてる話なんだけど」
一つ息をつき、アツヤが説明を続ける。
「月岡馨子ってのは本物の霊能者なんかじゃなかったんだ。実際には人を不安にさせてお金なんかを巻き上げるようなことをしてる。いわば『詐欺師』の部類だったって」
こっくりと、花見ちゃんは相槌を打つ。
「多分、相棒の猫も同じだったんじゃないかな。何もない空間に反応してみせるように、日頃から訓練されてた。そういうのを利用して、その場に霊がいるように思い込ませて、人を不安にさせる。そういう風に猫を道具として使ってたっていう話がある」
「じゃあ」と花見ちゃんが僕の方を見る。
「パルメザンは、少し前までおばあさんに飼われていた。そして、そのおばあさんが死んだ直後に、『見えない何かに反応する猫』が町をうろつくようになった。こういう事実まで見た時に、世間の人はどんなことを考えるかな」
「それって、つまり」と花見ちゃんが肩をすぼめる。
「調べたけど、月岡馨子は生きてれば七十前後。タケユキのおばあさんも、そのくらいの年齢らしい。だから多分、これは偶然じゃない」
花見ちゃんはアツヤの方に顔を向け、神妙に頷く。
「つまり、この家の人は」
「つまり、死んだおばあさんこそが、『月岡馨子』本人だった」
ひときわ声を高め、アツヤが結論を言う。
え、と僕は首を巡らせる。
おばあちゃんの顔を思い出す。あの優しいおばあちゃん。
それが、月岡馨子だったって?
「今は引退したのかもしれないけれど、かつては多くの人を騙し、金品を奪った。そして隠遁生活をしていたけど、つい最近亡くなった。でも、本人が死んだってかつての罪は消えない。今でも恨みに思っている人はいるだろうし、居場所がわかったら財産を取り返そうって迫ってくる人間も確実に出る。本人だけじゃなく、それは家族も同じだ」
間違いだろう、と問いたかった。
でも、二人はどんどん話を続ける。
「だから、そこで……」
庭の方へと、花見ちゃんは顔を向ける。
「さっき運ばれていった女の人は、きっと月岡馨子の被害者か、その関係者だった。パルメザンの話を耳にして、どこかに本人がいるんじゃないかって察知した。それでタケユキに会いに行ったけれど、ここで本人に頭を殴られるか何かした」
じっとうなだれ、花見ちゃんは言葉を噛みしめる。
僕もただ呆然と、二人のやり取りを見上げ続けた。
「でも、おかしくないですか?」
少しして、花見ちゃんが口を開ける。
「パルメザンの行動が問題なら、あえて引き取る理由がわかりません。そのせいで変に目立つのが嫌なら、保健所にでも引き取ってもらえば良かったのに」
嫌なことを言う子だ。
「そうだろうね。そこは俺も考えた」
軽く口元を緩め、アツヤが同意を示す。
「でも、多分それじゃダメだったんだよ。もしも、誰かがパルメザンを引き取って、その先で『霊が見える素振り』なんてされたら。そこからやっぱり怪しまれる可能性が出る。それよりは手元に置いておく方がいいって思ったんじゃないかな」
花見ちゃんは応えない。重い表情で顔を俯かせる。
「だから、タケユキは精一杯に怖がってる振りをしたのかもしれない。パルメザンが幽霊でも見える素振りをしていたのは、おばあさんがそういう訓練をしたからかもって疑ったのかもしれない。だから、『自分は何も知らない、こいつが不気味に思えてならない』って主張することで、月岡馨子の一件とは関わりないって訴えたかったんじゃないか」
本当に、そういうものなのか。
それでタケユキは、僕をずっと悪者扱いした。
「パルメザンに霊が見えてるかは、俺にはわからない。でも、悪い奴だとも思えないんだ」
アツヤは腰を屈め、僕の頭に軽く触れた。
「こいつは、そういう被害者だったんじゃないのかな」
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