1-9:何かまずいことが起こっている
幽霊の存在を認識すると、人間は呪いでおかしくなる。
僕は猫だから、大丈夫だと思っていた。でも、このところは様子がおかしい。もしかすると僕も、幽霊と同じ部屋にいるせいで悪い影響を受けているのかも。
早く、こんな状況をどうにかしたい。
「あのアツヤっていう人、何か調べてるみたいだよ」
翌日、ミズナちゃんが教えてくれた。
僕は猫だから、あんまり自由には動けない。建物の中には入れないし、こっそりと人の話を聞くこともできない。
アツヤは例の花見ちゃんという女の子と、よく一緒にいるらしかった。たまに二人で僕の様子を見に来て、その度に何かを気にするような素振りを見せている。
「一緒にいる花見ちゃんって子が、パルちゃんのことを調べてたみたいなの。『幽霊が見えてるような猫がいる』って。それで、アツヤくんと知り合って、今は一緒にパルちゃんのことを気にしてるようだった」
それが、ミズナちゃんの耳にした情報。
「なんだかね、パルちゃんのおばあちゃんのことだとか、あのタケユキって人のことも気にかけてるみたいで。裏で何かあったんじゃないかって、色々調べてるみたい」
一体、なんだというんだろう。
おばあちゃんが自殺したことなんかにも、アツヤは思い当たることがあるんだろうか。タケユキが僕を悪者扱いすることや、アツヤを殺そうとしたこと。
悔しいな、と思う。アツヤに言葉が通じれば、色々と聞き出せるのに。
「あのタケユキって人も、どう見ても普通じゃないね」
公園のベンチに腰を落とし、ミズナちゃんが呟く。
「なんだかすごく、焦ってるみたいだった」
人間っていう奴がよくわからない。
最近見てきた感じだと、あんまり好きになれそうにない。
たまに町を歩いていると、僕を珍しがって指差す子供の姿もあった。タケユキが変な噂を広めたせいか、「あの猫でしょ」なんて、僕を不気味がるような人間もいた。
おかげで、事故現場には近づきづらい。僕がいることで本当にそこが『まずい場所』だと考えて、写真撮影なんか始めようとする人間も出てくる。
もしかすると、何人かはそれで死ぬのかもしれない。
でも、別にどうでもいいって思えてきた。
元々、僕はおばあちゃんさえいれば十分なんだ。他の人間に興味なんかない。
それでも、やっぱり落ち着かない。
何か、おかしなことが起こりそうだ。
いつまで、そこにいるんだよ。
カーペットの上に寝そべりながら、僕はチラリと幽霊を睨む。相変わらず、じっと俯いたままの状態で少しも動こうとしない。
タケユキの方を見やり、僕はその場で体を起こす。
タケユキはじっと、テレビの番組に見入っている。ニュース番組を見ているようで、黒いスーツの眼鏡の人なんかが何かを発表する姿が映っていた。
そうやって、しばらくテレビの音だけが響いていた後だった。
ピンポーン、と玄関の方から音がする。
タケユキは体を震わせ、すぐにテレビのリモコンを取る。テレビを消し、早足に玄関の方へと出て行った。
「夜分にごめんなさい」と、女の人の声が聞こえる。
そっと後ろをついていくと、ドアの隙間からかすかに相手の姿が見える。タケユキがドアを開け、すぐ外側に白い服の女の人が立っているのが見える。
あいつだ、とすぐにわかった。
しょっちゅう、僕のことを睨みつけてた女の人。
長い髪をして、体全体が痩せ細っている。目は落ち窪んでいて、感じが良くない。
僕が廊下に出てきたのを見ると、途端に表情が険しくなる。
なんだよ、と心の中で毒づいた。
こいつが今度は、タケユキの家にまでやってきた。
なんとなく、嫌な感じがすることだった。
女の人から何かを言われ、タケユキは出て行った。
ドアの前まで近づいてみたけれど、話し声は聞こえない。庭の辺りで話をしているわけでもないみたいだ。
変だな、と思った。あの女の人は、前に道路のところで僕を睨みつけていた。この家の前にも立っていて、じっと何かを観察しているようでもあった。
その人が家を訪ねてきて、タケユキを連れて出て行く。
多分、これは普通のことじゃない。
どうしようか、と迷ったけれど、考えている場合じゃない。ドアは閉められているけれど、台所の勝手口はいつも開いている。そこから散歩に出られるようにしてあった。
タケユキのお母さんは仕事で戻らない。頼れる人もいないから、とりあえず僕だけでもタケユキを追いかけて行かないと。
小さな隙間を抜け、庭の裏手に出る。短く雑草が伸びた中をかき分けて行き、家の門の方へと小走りに進む。
身を屈め、鉄製の門の真下を潜り抜ける。そうしてアスファルトの道に体を出した。
外は真っ暗。高いところでライトが光っているために、目の前の道は照らされている。でも、両脇を見てもタケユキたちの姿は見当たらなかった。
なんのために、と考えている余裕はない。ただ、走らなきゃ。タケユキがどこかへ連れて行かれて、きっと何か悪いことが起こる。
理屈じゃなくて、そういう予感がしてならない。
そうやって必死に通りを走り続けた時だった。
交差点に差し掛かったところで、目の前にスニーカーが現れた。
咄嗟に足を止め、衝突するのを避ける。相手もビクリと体を震わせて、僕の方へと体の正面を向けてきた。
「パルメザンか」と相手はぼんやりと呟く。
見上げると、アツヤが立っているのがわかった。少し遅れて、例の花見ちゃんも走ってくるのがわかる。
「お前、どうしてこんなところにいるんだ?」
息を切らせながら、アツヤが腰を屈めてくる。僕も大きく空気を吸い込みながら、じっと相手の顔を見つめ返す。
質問なんかされたって、僕には答えを返せない。ただその場で前足を整え、行儀よくアツヤを見上げることしか出来なかった。
そのまま、アツヤと黙って目線を交わす。相手は何度も瞬きをしていた。
やがて、彼は大きく息を吐き出した。
「タケユキに、何かあったのか?」
肩を上下させながら、短く問いが発せられた。
どうやら、言葉は必要ないらしい。
行き先は大体わかっている。
おばあちゃん、と心の中で呼ぶ。
アツヤたちも、おばあちゃんを気にしていたという話だった。おばあちゃんに関して何かがあって、それがタケユキの様子がおかしいのとも繋がっているんじゃないかって。
そして、あの女の人と一緒にタケユキがどこかへ向かった。
そうなれば、思いつく場所は一箇所しかない。
先導しようと思ったけれど、アツヤたちもかなりの速度で走っていた。ほとんど僕の真横を走るような形になっていて、道案内するような感じでもなかった。
アツヤも多分、同じことを考えている。
どうして、二人がここへ来たかはわからない。でも、アツヤたちもタケユキのことを探っていたらしいから、何かが起こるって気づいたのかもしれない。
振り返ることはせず、考えた場所へと向け、真っ黒なアスファルトを駆けて行く。
大きな通りに辿り着き、アツヤたちと共に信号を渡る。ちょうど青い色になったので、迷わずに先へ進むことができる。そのまま細い道へと入り、記憶する通りに薄暗い道を駆け抜けて行く。
このところは、来る回数も減っていた。
おばあちゃんと暮らしていた家だけど、ここの前へやってきても、結局おばあちゃんに会うことはできない。日向ぼっこをした縁側も、おばあちゃんがせっせと草むしりをしていた庭も、かつては僕の居場所だった。
でも今は草も伸び放題になっていて、僕の顔の高さくらいまで緑や薄茶色の草が繁っている。だから最近は近づくこともしなくなっていた。
「門が開いてる」とアツヤが息を切らせながら手をかける。花見ちゃんは走るのが苦手なようで、まだ道のずっと先の方でふらふらとしているのが目に入る。
気が乗らないけれど、アツヤに続いて庭の中に入る。草に体を包まれて、行く先は良く見えない。けれど、アツヤがどんどん先を行くので、立ち止まってはいられない。
それに、ここはそんな広い場所でもない。
数歩進んだところで、アツヤもすぐに足を止める。庭の奥の方をじっと見下ろし、深々と吐息をつくのがわかった。
「遅かった」と、やがて呟くのが聞き取れた。
花見ちゃんはまだやってこない。待っていることも出来なくて、アツヤの足のすぐ手前まで、草をかき分けて進んでいった。
そこで、真っ黒なものが目に入った。
草の上に黒っぽいものが広がっていて、近づくと絡みつかれそうな感じだった。
庭先には外灯の光があまり入らない。アツヤは周囲がうまく見えないのか、懐に手を入れて、小さな四角いものを取り出す。そこから光が発せられ、目の前にあるものがはっきりと照らし出された。
人間だ、というのははっきりとわかる。
真っ黒な髪を投げ出して、草の上に倒れている。顔はよく見えないけれど、着ている服の感じなどから、誰なのかは見て取れた。
不健康な感じの痩せ細った姿。真っ黒な長い髪。
でも、あまり嫌な感じはしなかった。
いつも僕を睨みつけている目は、今はしっかり閉じられている。
頭から血を滲ませて、あの女の人が倒れていた。
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