1-3:この町は呪われてるんだよ
何が起きた。
意味がわからない。あの半透明の奴が動き出して、おばさんの体に触れた。おばさんがそのせいでおかしくなって、いきなり道路に飛び出した。
多分、あれは助からない。
救急車がすぐに来て、辺りに人も集まってきた。例の半透明の奴はまた元の場所に戻っていって、じっと俯くだけの状態になっている。
とりあえず、もうここには居たくない。
あいつらがいない場所。あの『半透明な奴』が見えない場所。
でも、また一体見つけてしまう。
曲がり角を曲がった後も、やっぱり半透明の男がいた。かなり歳を取っていて、また暗い顔で俯いている。
「ナオ」と声をかける。当然、反応はない。
でも、今度もしつこく声をかけた。同じく前足で叩いてみようとした。
その途中で、僕に近づいてくる足音があった。
「君、何をやってるの?」
不思議そうな様子で、僕の顔を覗き込む。
中学生くらいの女の子だった。左右で二つにおさげにした髪で、学校帰りなのかセーラー服姿をしている。
どうしよう、と僕は体の動きを止める。
さっきのおばさんは、僕に注意を向けていたせいで『あいつ』に襲われた。もし、ここで同じようなことを続けていたら、この子にも悪いことが起こるんじゃないか。
考えた瞬間、体が動いていた。
素早く後ろ足で地面を蹴り、セーラー服の子から距離を置く。「あ」と声がしたけれど、振り向くつもりはなかった。
怖い。何がなんだかわからない。
正体のわからない奴らがいて、そいつらが人に触れたら、途端に人が死んでしまった。
逃げよう、とひたすら足を進めた。
安全なところ。そう考えて、あの公園へと向かっていった。
前に、おばあちゃんとよく来ていた場所。昼間にこの公園のベンチに座り、よく日向ぼっこをしていた。
僕にとっての、一番幸せな思い出の公園。
大丈夫かな、と敷地の中を見る。夕暮れで薄暗くなっているけれど、あの半透明の奴の姿はない。僕は体の力を抜いて、いつものベンチの上へと飛び乗った。
ここなら、もう安心してもいいだろうか。
そんな風に思い、ゆったりと体を伸ばそうとする。
でも、休んではいられなかった。
音もなく、半透明の影が近づいてきた。公園の入り口に来たかと思うと、真っすぐに僕の方へと歩み寄ってくる。
「ニャア」とすぐに四本の足に力を入れた。
逃げなくちゃ、と思った。
今度は子供の姿をしていた。真っ白なワンピースを着て、早足に近づいてくる。
すぐにベンチから飛び降りて、逆方向へと逃げようとした。
「待って!」
次の瞬間、後ろから声がかかった。
「逃げないで。わたし、何もしないから」
半透明の子供が、僕にそう呼びかけてくる。
足を止め、僕はゆっくりと振り返る。
まだ幼い女の子。多分、年齢は七歳か八歳くらい。
真っ白なワンピースを着て、髪はおかっぱ。目がまん丸としていて、可愛らしい顔をしている。
少しだけ、さっきまでの奴らと違う。
「ねえ。わたしの姿、見えてるよね?」
女の子は僕に近づき、早口に問いかける。
まだ警戒は解けず、じっと相手を睨みつけた。
「怖がらないで。わたしは、他の幽霊とは違うから」
自分の胸元に手を当てて、女の子は僕に訴える。
「わたしの名前は、『ミズナ』って言うの」
僕は今、ホッとしている。
「わたしも幽霊なんだけど、他の人とは全然話ができないの。生きてる人にはわたしの姿が見えないし、ずっと、寂しかった」
隣には今、ミズナちゃんがいる。
ベンチに腰掛けて、これまでの感慨なんかを語っている。たまに僕の方へと手を伸ばし、頭を撫でるようにそっと触れた。
もちろん、『幽霊』だから触れられない。
あの半透明の人間たちは、全員が既に死んだ人間。幽霊としてこの世の中をさまよっているらしかった。
そしてそれは、ミズナちゃんも同じ。
「ねえ、あなたの名前は?」
ひとしきり話を終えた後、ミズナちゃんが僕に問う。
でも、どうせ言葉は通じない。
それでも一応、質問には応える。
(僕は、パルメザン)
「ニャオ」と声には出す。
うんうんとミズナちゃんは頷き、にっこりと微笑んだ。
「パルメザン、って言うのね」
あれ、と僕は首をかしげる。
(僕の言葉、わかるの?)
今度は声に出さず、心の中で問いかけた。
「うん。なんだかわかるよ。心の中で思ったことが、テレパシーみたいにして伝わってるのかな」
不思議そうに、ミズナちゃんは首をかしげる。
へえ、と僕は一度立ち上がり、体の正面をミズナちゃんに向ける。
心の中で思うんじゃなくて、『喋る』感じを意識した。
「何が起きてるのか、全然わからないんだ。急に幽霊が見えるようになって。そして、幽霊に近づいた人が死んじゃうのを見たんだ」
一応口だけは動かし、思っていたことを伝える。
「前から、見えてたわけじゃなかったの?」
「もちろんだよ。道路の辺りを歩いてたら、急に男の子の幽霊が見えたんだ」
「ああ」とミズナちゃんは何度も頷く。
「あいつらは一体なんなの? どうして、何も言わずにただ立ってるんだろう」
「それは、わたしもわからない。他の幽霊を見つけても、ほとんどが怖い顔をして立ってるだけで、話しかけても全然応えてくれないから」
「他に、ミズナちゃんみたいな幽霊はいないの?」
聞くと、ミズナちゃんは首を振った。
「今は、いない。今までに何人か、ちゃんと話せる人とは会ったことはある。でも、死んだばかりで何がなんだかわからないって人ばっかりで。その人たちも次の日になったらどこかへいなくなってて。結局また、わたし一人になっちゃってたの」
どういうことなんだろう。
幽霊の大半は、なぜか喋ることも動くこともしない。恨めしそうな顔で町の中に佇んでいるだけの存在。
そんな中で、ミズナちゃんだけは普通の人間と同じように動くことが出来ている。
まだまだ、わからないことばっかりだ。
「僕が気づかなかっただけで、この町はずっと前からこんな感じだったのかな。ああいう奴らがいっぱいいて、それが、たまに人に『何か』をしたりする」
うまく表現できない。あのおばさんが事故に遭って死んだ。タイミングを見る限り、あのスーツの男が手を触れたせいで、あの人はあんなことになった。
「ねえ。これって、『普通』のことなの?」
尋ねると、ミズナちゃんは大きく首を振る。
「どうだろう」
少しして、ただそれだけ口にする。
しばらくの間、ミズナちゃんは何も言わない。
やがて、ゆっくりとベンチから立ち上がる。数歩前まで歩いていき、ミズナちゃんはゆっくりと公園の外へと目を走らせた。
今のところ、近くに変な幽霊はいない。
「これは、わたしが生きてた頃に聞いた話なんだけど。もしかしたら、それが町にいる『あの幽霊たち』と関係してるのかもしれない」
小さく眉を下げ、ミズナちゃんが言う。
「多分、というか絶対、間違ってないと思う。わたしも幽霊になってみて、この町の中にたくさんの変な幽霊がいるのを見つけた」
僕もベンチの上で立ち上がり、ミズナちゃんを真っすぐに見る。
「今、この町では何かが起きてる。でも、生きてる人たちはみんなそれに気づいてない」
ミズナちゃんは声を低めて、僕に対して頷きかける。
「きっと、この町は『呪われてる』んだよ」
どこへ行くんだろう。
ミズナちゃんはどんどん先へ行ってしまう。かなりの早歩きになっているため、僕もほとんど走るような速さにならないといけない。
「パルちゃんに、見せたいものがあるの」
だんだん夜が近づいてきて、辺りは暗くなってきていた。ミズナちゃんはジメっとした薄暗い道へと入っていき、その先にあるものを指差した。
「そこの神社の中。パルちゃん、階段は登れる?」
ミズナちゃんに聞かれ、僕は応える前に石段に飛び乗る。段を一つ一つ上っていくのは面倒なので、その脇にある坂になった部分を歩いて行った。
「ほら、あそこだよ」
白い鳥居をくぐり、境内の奥へと進む。辺りは背の高い木々が植えられていて、それに囲まれる形で小さな本殿が作られていた。
そんな本殿のすぐ横を、ミズナちゃんは指差した。
「あれって」と僕は問いかける。
ご神木のすぐ前に、ぼんやりとした影が見える。
目を凝らすまでもなく、『幽霊』だとわかった。
くたびれた感じの男の人。年齢は四十かそこらくらい。
やはり、暗い表情をしていた。そうしてじっと俯いている。
「パルちゃん、見えるでしょ。あそこにいる幽霊」
そこから先へは近づかず、ミズナちゃんは声を上げる。
「わたしは、あの幽霊に殺されたの」
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