1-2:なんなんだよ、お前らは
消えてしまいたいと、僕はいつも思っている。
おばあちゃんがいない。もう二度と、おばあちゃんが僕に話しかけてくれることはない。もう、優しく僕を撫でてくれることもない。
だから、もう何もかもが嫌なんだ。
おばあちゃんに会いたい。
「なんだよこいつ、また残したのか」
タケユキが舌打ちをする。
やっぱり、こいつはあんまり好きになれない。僕のことを撫でたことなんて一度もないし、食事を出す時も手つきが荒っぽくて、「さっさと食え」なんて苛立った声を出す。
タケユキは意地悪な奴だ。
その感じは顔に出ている。眼鏡をしていて、顔は細長い。何かある度に「ふん」と鼻を鳴らす癖があり、テレビのワイドショーなんかを見ている時は、出ている人の言葉を嘲笑い、『馬鹿な奴』なんて悪態をついていた。
そして、嘘つきだ。
「こいつ、薄気味悪いんだよ」
僕のことが、よっぽど邪魔なのかもしれない。そのためか、僕に対してのあることないことをよく人に聞かせている。
『僕が人を殺している』なんて。
どうして、そんなことを言うんだろう。僕はただ、おばあちゃんが死んで悲しんでいるだけなのに。それでただ、食べ物が喉を通らないだけなのに。
「こいつが、ばあちゃん殺したんじゃないのかな。こいつ、事故現場の辺りとかうろうろしてるみたいだし、事故で人が死んだ後も、それをじっと見つめてたらしいんだよ。こいつが何かやったんじゃないかって、不気味でしょうがないんだ」
また、そんなことを言う。
僕は一度だって、事故現場なんかに行ってない。もちろん、誰かを殺したことなんて一度もない。
もう嫌だよ、こんな場所。
タケユキのお母さんは、割と良くしてくれている。
僕のお気に入りの青いスカーフもちゃんと洗濯もしてくれて、いつも綺麗な状態で僕の首に巻いてくれる。
おばあちゃんがプレゼントしてくれて、僕のことをお洒落だって褒めてくれた。おばあちゃんに大事にしてもらった僕。おばあちゃんに可愛がってもらった僕。そんな幸せな時間がこのスカーフには詰まっている。絶対になくしちゃいけないものだ。
でも、タケユキは嫌いだ。僕がこの家に来てからずっと、僕の悪口ばかり言っている。
その度に、僕は何度も思ってしまう。
おばあちゃんに会いたい。
おばあちゃんの傍にいたい。
もう、いいんじゃないか。
食べ物もおいしくは感じない。体が痩せてしまって、まともに力も入らない。僕の綺麗だった体の毛も、だいぶ抜けてしまったのがわかる。
フラフラと、僕は家の外へと出ていく。
少しでも、思い出に浸っていたかった。おばあちゃんと歩いた場所。一緒に行った公園。同じ道を辿っていけば、もしかしたら『あの時間』に戻れるんじゃないかって気がする。
夕方の時間。町がオレンジ色に染まっている。僕の影が長く地面に伸びていて、僕が足を踏み出す度に、同じく長々とした足を動かしていく。
細い路地を抜けて、車がビュンビュンと走る大きな通りへと出た。
レンガ模様の舗道の上に佇んで、僕はじっと車が走る姿を見つめ続けた。
やっぱり、『こうするべき』なんじゃないか。
車が走っている道路の方へ、僕はゆっくりと歩いていく。目の前には白いガードレールがあって、そこに緑色の筒が括りつけられている。
筒の中には、花が供えられていた。
ここは、『事故現場』なんだ。
僕にだってわかる。誰かがこの場所で車にはねられ、そこで死んだ。おばあちゃんと散歩をしている時に、野良猫なんかが道端で潰れているのを見たこともある。
車は怖いもの。だから道路を迂闊に渡っちゃいけない。おばあちゃんからは何度もそう教わってきていた。
でも、今ならいいんじゃないか。
僕が帰るべき場所は、タケユキたちの家なんかじゃない。
僕がいるべきは、『おばあちゃんの隣』なんだ。
一歩、車道へ向けて前足を踏み出す。
おばあちゃんは死んでしまった。おばあちゃんの言葉の通りなら、きっと今頃、おばあちゃんは地獄にいるのに違いない。
地獄。
どうして、おばあちゃんがそこに行ったのかはわからない。
けれど、そこがどんな場所かは知っている。
そこに行った人たちは、『鬼』というものに酷い目に遭わされるらしい。
それなら、僕が傍にいてあげないと。
地獄の鬼に苦しめられて、おばあちゃんは火に炙られる。でも、僕も一緒だったらきっと苦しいのも半分になる。おばあちゃんの隣で僕は『焼き猫』になろう。
針の山を一緒に登って、体中を穴だらけにされよう。おばあちゃんの体が傷ついたら、僕がペロペロと舐めて癒してあげるんだ。
血の池の地獄を一緒に泳ごう。僕は泳ぎがあまり得意じゃないけれど、ドロドロの血だってサラサラの血だって、おばあちゃんとガブガブと飲み干してやる。
そこが怖くて、痛くて苦しい場所だってことは知っている。
けれど、おばあちゃんの隣がいいんだ。おばあちゃんのいない寂しさよりは、地獄に落ちた方がずっといい。
だから、このまま道路に出よう。
きっと、痛くて怖いに違いない。走ってくる車のタイヤでぺしゃんこになれば、僕のお気に入りのスカーフも血でベタベタになって、見るのも嫌なものに違いない。
でも、今から地獄に行くのを考えたら、そのくらいの痛みは我慢しなきゃ。
目の前がぼんやりする。眠くなる直前みたいになって、周りにある全てに真っ白な膜でもかかっているように見えた。
心の中が冷たい。体の感覚もほとんどない。寂しいって気持ちだけがはっきりと自覚できて、その気持ちが僕にとっての全てになる。
スゥっと、体から力が抜けていくようだ。もう、僕の中から魂が抜けて、そのまま別の場所へと行けてしまうような。
そんな風に、道路へ向かおうとした時だった。
ふと、何かが立っているのが目に入る。
ガードレールのすぐ後ろ。ちょうど花が供えられている場所に、真っ白な人影が佇んでいるのが見えた。
足を止め、僕はぼんやりと『それ』を見上げる。
男の子だな、とは判別できた。体はあまり大きくない。多分、小学生くらいだ。
明らかに、生きている人間とは違う。体が半分透けていて、男の子の姿は見えているのに、その先にある道路や建物も目に入ってくる。
「ナー」と僕は声を出してみた。なんだなんだお前は、と、意思を込めて。
でも、男の子は応えない。
ただぼんやりと立ち尽くし、じっと顔を俯かせている。
嫌な感じがした。真下から見える男の子の表情は、とても暗くて薄気味悪かった。
「ナ―」と威嚇を込め、僕は再度声を発した。
一体、これはなんなんだろう。
目の前がぼんやりしたと思ったら、急に町の風景が変わってしまった。
あの男の子だけじゃない。目を凝らすと他にも何体も、似たようなものが発見できる。
僕は早足になりながら、必死に町の中を駆けていく。
他にも、道路脇に『半透明の人間』がぼんやりと立っている。やはり暗い顔をして、じっと俯いたままでいた。
動いている奴もいた。赤い服を着た女の人が道の向こうから歩いてくる。でもやはり半透明で、ぼんやりと口を半開きにしていた。
よくわからない。
どうして急に、こんなものが見えるようになったんだろう。
体が寒くなってくる。あいつらの姿を見ているとどんどん体温が失われていって、頭の奥に冷たいものが入り込んでくる心地がする。
なんだんだよ、お前らは。
横断歩道のすぐ前に、男の人が立っているのが見えた。黒いスーツを着ていて、やっぱり無表情に顔を下に向けている。
「ナァーオ! ナァーオ!」
僕が声をかけたって、こいつらは少しも反応しない。でも、何もしないではいられなかった。こいつらの正体がわからない。でも、こいつらが町にいることは、なんだかとても悪いことのような気がする。
「ナー! ナー! ナー!」
毛を逆立てて、スーツの男を睨みつけた。何度か前足で男を叩こうとし、何も手ごたえが得られずに終わる。
でも、諦められなかった。「シャー」と声を高め、しきりに相手を引っ掻いた。
何か言えよ。少しは動けよ。
頭の中にふつふつと熱が籠り、僕は必死に前足を振り回す。
その時だった。
「猫ちゃん? 何してるの?」
ふと、立ち止まる影があった。僕のすぐ真後ろに立ち、不思議そうに声をかけてくる。
振り向いてみると、中年のおばさんの姿があった。花柄模様のトートバッグを手にして、中からゴボウや大根が覗いている。
「ミャア」と、僕は必死に声を高めた。
いい機会だ。人間になら、これが何かわかるかもしれない。
僕は視線を『半透明の奴』に戻し、しきりに前足で叩き続けた。同じく鳴き声も発し、目の前にいる男を睨みつける。
「どうしたの? そこ、何かあるの?」
おばさんは心配そうな声を出し、僕の向かっている先を凝視した。
見えるだろう、と僕は示そうとする。
チラリとおばさんと一瞥し、その後もずっと男を睨み続けた。
「あ」と声が出される。おばさんは一歩ふらりと後ろに下がり、僕から離れようとする。
振り向いてみると、青ざめた顔をしていた。
姿が見えているのかどうか、傍からだとわからない。でも、『何かがいる』ということだけは察知したみたいだった。
そうしてまじまじと、『半透明の男』がいる場所を見やっていた。
しばらく、その場から動かない。おばさんが眉をひそめ、怖々とその場を凝視する。
その直後に『変化』が起こった。
今まで身動きをしなかった男が、ゆっくりと顔を上げる。そうしてユラリと身じろぎをしたかと思うと、おばさんの方へと歩いていく。
その手がゆっくりと、おばさんの体に伸ばされた。
なんだろう、と目を見開くことにしかできなかった。
半透明の奴に触れられた途端、おばさんの表情が変化する。不安そうに眉をひそめるのをやめ、どこか呆けたような顔になった。
数秒後、おばさんはクルリと体の向きを変えた。
よろよろと、横断歩道の方へと歩いていく。信号は赤色のままだった。
でも、足は止まらない。
そのまま車道へと踏み出して、呆然とそこに立ち止まった。
けたたましい、クラクションの音が鳴り響く。
後はもう、瞬きするほどの時間もなかった。
ドン、と激しい音が響く。
続いて、周囲から悲鳴が聞こえてきた。
次の更新予定
2024年12月22日 12:02
パルメザンのちっぽけな祝福 黒澤カヌレ @kurocannele
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