第一章 どうやったら地獄に行ける?
1-1:おばあちゃんが地獄に落ちた
僕はずっと、平和な日々を送っていたはずだった。
間違いなく、僕は今まで幸せだった。
おばあちゃんと一緒にいて、毎日がとてもポカポカとしていた。眠りから目覚めて、一日を過ごすことが本当に大好きで大好きで仕方なかった。
僕は、世界一の幸せ者だった。
それが、どうしてこうなってしまったんだろう。
「最近はさ、世の中に『変な動物』がいるらしいんだ」
低い声が聞こえてくる。
耳というのは正直者だ。
ほんのちょっとでも気になる音が聞こえてくると、途端にピクリと動き出す。すぐ傍を人や動物が通った時とか、注意すべき話が出た時とか、耳がピンと張りつめて近くの音を拾い始める。
「見てみろよ。あいつ、なんか変な感じがするだろ?」
タケユキが囁き声を発している。
怖い話でもするかのようにして、そっと僕の方へも目をやっていた。
今日は気温が少し低くて、部屋の中が肌寒かった。カーペットの上に寝そべって、僕は体を丸くしていた。
「俺、最近は怖いんだよ。あいつ、なんか『呪われてる』みたいな感じでさ」
恐る恐ると僕を見つめ、タケユキが話を続ける。
「お前も聞いたことないか。ネットとかで出てるような話なんだけどさ。噂とかそういうレベルじゃなくて、実際に報告もいくつか出てる。犬とか猫とか、あとカラスとかさ。そういう動物の中に、なんか普通とは違う変な奴が混じってるって話なんだよ。そういう動物を飼ってる家で、なぜか不幸が続いたりとか、外なんかでも交通事故が発生したりとか、色々悪いことが続くんだって」
振り向くと、タケユキと真っすぐ目が合った。隣にいる相手の方も、同じく僕をじっと見ている。
「そういう奴を飼ってると、飼い主がおかしくなるんだってさ。急に変な仕草なんかを取り始めて、『何か伝えたいのかな』って気持ちにさせる。それで色々と向き合ってる内に、飼い主もだんだん妙な考えに囚われて、家族に秘密があるんじゃないかとか、これから自分の身に悪いことがあるんじゃないかとか、考えずにいられなくなる。そうして色々とトラブルに巻き込まれるようになって、家の中が不幸になってくんだってさ」
「へえ」ともう一人が声を上げる。
名前は、前に聞いた覚えがある。
隣にいるのは、たしか『アツヤ』という名前だったはずだ。タケユキとは仲がいいみたいで、何度かこの家に来てはソファのところで一緒にゲームなんかをやってる。僕のことは気に入っているようで、近くにいるとたまに頭なんかを撫でてきていた。
「他にもさ、いきなり道路に飛び出して車の事故を起こさせるとか、どう考えても偶然じゃないような行動を取る奴がいるって。ものすごい性悪で、いきなり猫なんかが飛び出したら運転手が驚くのを知ってて、そうやって事故を起こして遊んでるような奴がいるっていう話が出てる」
どんどん、声のトーンが重くなる。
「『サイコパス・キャット』とか、呼び名もつけられてるらしい」
一瞬僕を睨むようにして、タケユキが単語を言う。
「人間だけじゃなくて、動物にもそういう『ヤバい奴』がいる。そういう動物が、人間をわざと事故とかで殺して楽しんでる。そういうこともあるかもしれないって」
アツヤの眉が下げられる。僕の姿を窺いつつ、何度か神妙に頷いた。
「その話を聞いてさ、俺、どうしても考えちゃうんだよ」
一度僕の方から目線を外し、タケユキは不安そうにアツヤを見る。
「そこにいるパルメザンの奴も、そういう『ヤバい猫』なんじゃないかってさ」
囁くような口調になり、横目にチラリと一瞥してきた。
「俺さ、一回見ちゃったんだよ。あの事故現場の辺りをうろうろしてるから。こいつ、いつも何やってるんだろうって」
もう、僕の方は見ようとしない。声がかすかに震えていた。
「そこで見ちゃったんだ。こいつが人を殺すところ」
僕の名前はパルメザン。
それが正式な名称だけれど、たいていの人は僕を『パル』と呼ぶ。
性別はオス。記憶する限り、生まれてからは今年で四年になっている。
僕の前足と後ろ足は先っぽの方だけ毛が黒くなっている。手袋やブーツなんかを身に着けているみたいで、お洒落な感じだって定評だ。体の毛は白っぽいような少し肌色がかったような色合い。
種類としては、シャム猫とかサイアミーズなんて名前があるらしい。そこら辺にいる野良猫なんかとは違って、僕にはれっきとした血統書があって、『高級』とされる価値がある。
子猫だった頃から、僕は『おばあちゃん』に飼われていた。
優しくて、いつも僕のことを大事にしてくれたおばあちゃん。
パルメザンという名前を付けてくれたのもおばあちゃんで、子猫だった時の僕の体がチーズみたいな色だから、そこからパルメザンと名前を付けたのだと前に人に話していた。
大好きだったおばあちゃん。あたたかい部屋で一緒にごはんを食べたり、のんびりとおばあちゃんの膝の上に寝そべったりしていた。春や秋の天気のいい時に、公園の辺りまでお散歩をしたのは今でもいい思い出だ。
おばあちゃんの傍にいることが、僕にとっては一番の幸せ。
だから、今の境遇には不満がある。
タケユキと、そのお母さんが住んでいる家。今はそこで過ごさなくちゃならない。
タケユキは、人間では高校生という部類に入るらしい。アツヤもそれと同じ。学校というところに通っていて、そこで知り合ったらしい。
この家も住み心地は良かったし、食べ物にも不自由はない。場所だって、前に住んでいた家と遠くではなくて、少し散歩すれば、住んでいた家の前まで行くことはできる。
けれど、どうしても足りないものがある。
肝心のおばあちゃんが、ここにはいないから。
大好きだったおばあちゃんが、もうこの世にはいないから。
「おばあちゃんはね、死んだらきっと地獄に行くんだよ」
ある時に、そんなことを聞かされた。
公園まで散歩に行って、おばあちゃんはベンチに座った。僕はその隣に飛び乗って、おばあちゃんはやんわりと僕の背中を撫でていた。
その時に、『地獄』の話をされたのだった。
地獄というのは、とても怖いところ。
人は死んだ後に、天国か地獄かのどちらかに行くらしい。いい人は天国に行くけれど、悪い人は地獄に落ちる。生きている時に人を殺したとか、誰かを酷く傷つけたとか、そういう悪いことをした人はもれなく地獄に行くことが決まっているという。
エンマ様というものがいて、それが裁きを下して悪い人を地獄に落とすという。
おばあちゃんはなぜか、そのことをとても気にしていた。
「ごめんね、パルちゃん。おばあちゃんはずっとパルちゃんと一緒がいいんだけど、おばあちゃんは悪いことをしたから、きっと地獄に落ちちゃうの」
僕の背中にポンポンと手を触れて、おばあちゃんはしんみりとした声を出す。「ナー」と僕は声を上げたけれど、おばあちゃんからそれ以上の話は聞けなかった。
あの時、おばあちゃんは心の中でどんなことを思っていたんだろう。
どうしておばあちゃんは、自分が地獄に落ちるなんて思ったんだろう。
その答えはずっとわからない。
いつかは聞けるのかなって考えたけれど、僕にはそれを引き出す術もない。そうする内に時間が経って、おばあちゃんが暗い顔をすることが増えていった。
そしてある日、おばあちゃんは『高いところ』に行ってしまった。
前足を伸ばそうと思っても、どうしても触れることが出来ない。
朝に起きてみたら、おばあちゃんが部屋の真ん中にぶらさがっていた。首のところにロープが巻かれていて、そのままずっと動かなくなっていた。
おばあちゃん、と呼びたかった。ただ力なく、目の前に座っているしか出来なかった。
その日が、おばあちゃんとのお別れだった。
おばあちゃんは死んでしまったんだと、僕もはっきりわかっている。
おばあちゃんは、『ジサツ』というのをしたんだって。
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