笑いの嵐が起きますように

華霧むま

笑いの嵐が起きますように

「ほら、行こう。ユキ」

「ああ」


 4分。たったの4分のために命を懸けてきた。心晴こはるは息を深く吸い込む。


 人を楽しませたい。どうか笑ってもらえますように。


 うるさい心臓の音を気にしないようにしながら、お決まりの音楽に背を押されて心晴は観客の前に立つ。


 最大級の舞台で漫才が始まる。



 ◆


 心晴は関西の生まれではない。生まれた場所は関東であり、中学校にあがるタイミングで引っ越した。

 馴染むのには時間がかかった。小学校の校区と中学校の校区はほとんど変わらないため、周囲の関係性はできあがっていた。友達が全くできず落ち込んでいた心晴はたまたまテレビで漫才をみた。

 漫才の日本一の若手漫才師を決める大会。それは関西へ抱いていた恐怖を激減させ、希望を抱かせた。


 自分もこんなふうに人を笑顔にしたい。それは心晴が初めて抱いた夢であった。


 漫才をきっかけに友人ができ、心晴は関西に馴染むことができた。気がつけば、関西が大好きになっていた。


 年を重ねても、夢は色褪せなかった。他にも人を笑顔にする手段があることは知ったが、それでも漫才がよかった。それ以外は、考えられなかった。



 高校卒業後にお笑い養成所に通いたかったが、親からはせめて大学はでてほしいと言われた。漫才師になるという夢自体を否定するものではなく、選択肢を増やすために大学にいってほしいという親からの懇願を拒否できるほど、心晴は世間を知らないと自覚していた。


 ◆


 無事に大学に合格した心晴が、入学して真っ直ぐに向かったのは漫才サークルだった。


「東堂心晴やったっけ? 俺と一緒に組まへん?」

「え……。遠慮します」


 新入生の自己紹介が終わったあと、心晴に声をかけてきたのが、祐希人ゆきとであった。

 祐希人は新入生なのに有名だった。恋人をとっかえひっかえしていて、捨てた女の名は忘れるという。そんな人間としてはどうかと思う祐希人だったから心晴はすぐに断った。信頼できない相手に夢の半分を預けるなんてできないと思ったからだ。

 しかし、祐希人は諦めなかった。次の日に神妙な面持ちで心晴の元にやってきた祐希人はおもむろにパソコンを取り出した。


「東堂、一度話をきいてほしくて」

「なに?」

「まずはこれをみてほしいんやけど」

「え、なにこれ」

「プレゼンテーション」

「はあ?」

「それでは今から俺を相方にしたらどれだけいいことがあるかをプレゼンします」

「……はい」

「まず、漫才が大好きです。1日1本は漫才の動画をみます。それを10年以上続けています。その結果、計算するまではないでしょう。3650本以上は漫才をみているということです」


「続いて、学問分野についてです。東堂は確か社会学部でしたよね。俺は法学部政治学科です。それが何の関係があるか。専門の分野が異なれば、知識が広がり、ネタの種類が広がります」


「そして東堂は自己紹介のとき、できるだけ多くの人を笑顔にしたいと言ってはりましたよね? 俺も同じです。人を笑顔にしたい。それも多くの人を。日本中の人を」


 パソコンを机に置いた祐希人は、心晴に向かって手を差し出した。


「東堂心晴。俺と一緒にコンビを組んでください」


 心晴は圧倒された。軽そうな外見に反して、祐希人は本気だ。この男の真剣さに賭けてみてもいいのではないか、と心晴は思った。そして何より、祐希人と組むのが面白そうだ。

 心晴は祐希人の手を握った。


「いいよ。私はあんたと組む」



 コンビ名は晴れのち雪。芸名はハレとユキ。コンビ名も芸名も心晴と祐希人の名前から名付けた。



 祐希人とのコンビは想像以上に上手くいった。

 ネタだし、ネタの作成、練習。祐希人はどれも手を抜かなかった。漫才に関しては彼の軽薄さは消え去っていた。相方として不満はなかった。祐希人がおこす女性関係のトラブルに巻き込まれるのは面倒だったが。それ以外は順調だった。


 サークルでは定期的にライブを行う。初めてのライブは、寝る間を惜しんで練習した自信作。


「晴れのち雪、よかったやん」

「ありがとうございます!」


 緊張しながらも噛むことはなく、練習以上の漫才ができた。全ての漫才が終わった後、晴れのち雪の賞賛が会場に溢れていた。初の漫才としては成功といえるだろう。


 高揚感はある。人に見てもらえた。笑ってもらえた。そのふわふわとした感覚は残っている。

しかし、それと同時に不満もある。もっと笑ってもらう場面を作れたのではないか。もっと多くの人に笑ってほしい。まだまだ足りない。

 心晴は隣に立つ祐希人に話しかけた。


「ライブお疲れ。楽しかった。あんたは?」

「楽しかったけど……」


 祐希人は言い淀んだ後で心晴の様子を窺いながら口を開く。


「まだまだちゃうかな、と俺は思う」

「あんた……」

「え? 怒った?」

「最高!」


 心晴は祐希人の背中をバシリと叩いた。良かった。現状に満足していなくて良かった。自分たちはまだいける。こんなもんじゃない。安堵した心晴に向かって、祐希人が口を開いた。


「ハレ。お前は何を目標にしたい?」

「それは決まってる。日本一の漫才師」

「そうやんな? 同じ認識で安心や」


ニカッと笑った祐希人に心晴は笑い返した。目指すところが違えば、祐希人は解散を言い出そうとしていたのかもしれない。


 日本一を目指すのは果てしなく、苦しい道のりだろうから。


 ◆


 大学卒業した心晴は、祐希人とともにお笑い養成所に通うことにした。厳しいルールやマナー。それでも漫才を好きな人間が周りにいるという環境は楽しかった。


 お笑い養成所に入ってから1ヶ月ほどしたころ。授業の前に席に座ってネタを考えていたら、同期が話しかけてきた。


「なあなあ、ハレ」

「なに?」

「お前、これからもユキと組むつもりなん?」

「そうやけど、なんで?」

「あいつ、女をとっかえひっかえだろう? お前もその一人なのか?」

「はあ? そんなことをするわけないやろう?」


 馬鹿にするのも大概にしてほしい。愛だとか、恋だとか。心晴達の間にはない。あるとすれば笑いへの渇望と、漫才への執念。

 こいつは心晴のことも、祐希人のことも舐めているのだろう。晴れのち雪への侮辱だ。心晴は怒りがおさまらなかった。


「ユキは確かに人間性はクズや。人に対する態度としてどうかと思うこともある。それやけど漫才に関しては信頼できる」


 祐希人がもつ漫才への思いを。心晴は知っている。


「あんた、ユキが羨ましいんでしょう? 漫才はおもろいし、女性からはモテる。そんなユキが」


 祐希人を羨むのはこの同期だけではないだろう。しかし、ただ羨むことが何を生み出すというのか。


「ユキと同じくらいの漫才への真剣さをもってからいいな」


 部屋をでて、そこにいた人物に言葉を失う。気まずそうな表情をした祐希人が立っていた。


「……」

「ハレ、ありがとな」


 そのときからユキは女遊びをぱたりと止めた。理由を聞いてみると、漫才とは無関係のことで足をすくわれるのは勘弁だから、とのことであった。


 ◆


 お笑い養成所を卒業後は、その養成所を創立した会社に所属することになる。晴れのち雪は少しずつであるが、人に知られるようになっていった。

 しかし、人に見られる機会が増えるということは、良い意見だけではなく悪い意見もあるということ。



『晴れのち雪、最近みるようになったけど、ハレってあんまりおもしろくない』

『ハレの言葉がたまに標準語が混ざるのが気になる』

『ユキの顔がいいから見てるけど、ネタは微妙』

『ユキは他の人と組んだ方がいいのに』


 SNSに流れる文字は遠慮がなかった。

 良い評価もあるだろう。しかし、目に入るのは批判ばかりだ。

 自分のせいで、晴れのち雪としての評価も下がる。心晴はそれが苦しかった。


「ごめん」

「何が?」

「私のせいで、批判されて」


 心晴の言葉を、祐希人は鼻で笑った。


「ハレ。お前は俺が見込んだ人間やで? お前はおもろい。世界がまだ気づいてへんだけや」


 その祐希人の言葉に嘘がないことは、祐希人の目を見ればわかった。この男は純粋に心晴のことを信じている。


「後悔してない?」

「するわけないやろ」


 それなら、この意見を全て塗り替えるまでだ。相方がここまで言ってくれるのだ。心晴は折れず進むことを決めた。


「なあ、ユキ。日本一絶対とろう」

「当たり前やろ」



 ◆


 待ち望んでいた舞台を前にして、心晴は深呼吸をした。自分の緊張がほぐしながら、祐希人に向かって呟いた。


「あんたは最高の相棒だよ」


 祐希人は一瞬きょとんとした後で心晴を見た後に、ニッと笑った。


「俺もそう思う。あの時お前を選んで良かった」



 心晴たちが求めるのは晴れのような穏やかな笑いでも雪のような静かな笑いでもない。そんなものでは足りない。

 嵐のような笑いが起こりますように。


「どうもー。晴れのち雪です!」

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