第7話 ようこそ異世界

 見た目はおにぎりだけど、中身はもしかしたら別のものかも……という不安が、途端に洋子のなかに生まれた。

 怪しい、怪しすぎる代物だ。

 こんなものを口にするくらいなら死んだ方がましかもしれない。


「やっ」

「大丈夫ですよ。これは聖食……つまり、神の加護を受けた、神聖な食事ですから。害は在りません。むしろ食べると健康になりますよ?」

「待って、それってつまり、麻薬――むぐっ?」


 嫌がる洋子の口がうっすらと開かれた瞬間を見計らって、シオンライナはおにぎりを無理やり押し込んだ。

 もしかしてそれは、まだまだ文明が未発達のころに飲んだり食べたりすると開放的になったり、異常な体力を瞬間的に持つことができた……麻薬の類ではないのか。

 正しい知識、まともな感覚、当たり前のように習った歴史観からすれば、そう考えるのが妥当だ。


 少なくとも洋子の中で、聖なる食事、とか。神様の加護を受けたとか、なんてセリフは新興宗教の唱える洗脳の文言に他ならない。

 じたばたとして抵抗するも、それを半ば無理やり口のなかに放り込まれて、ついついごくんっ、と飲み込んでしまった。


「……食べちゃった!」

「だから大丈夫だってば! ちょっと信用しなさいよ!」


 涙ぐむ洋子を見て、失礼な対応に痺れを切らしたのか、我慢の限界だったのか、リンシャウッドが吠えた。

 食感は……馴染みのあるおにぎりのそれ。お米の味がして、ちょうどいい加減で塩が振られていて、海苔は湿っているけれど潮騒の香りがした。


 胃のなかに落ち着くと、不思議なことにそれまで頭を悩ませていた重苦しい感覚が、あっという間に払拭される。

 背中の辺りにずっとへばりついていた、よくわからない重たいものが消えて、ふわっと肩が軽くなった。


 頭痛とめまい、生きることの不安、身体の各部が痛み辛かった心のぽっかりと穴が空いた感覚すらも、どこかに消え失せていく。

 幸福感に包まれるということは、多分こういうことなんだ。

 つまりこれは……。


「麻薬ね?」

「だからちがうってば!」


 元気を取り戻し、本来の溌溂とした気分で洋子が断言すると、リンシャウッドがいい加減にしろっ、と突っ込みを入れた。

 銃を再び手に持ち、その取っ手でフローリングの床をダムっと叩いて威嚇してくる。


 それは恐ろしいものだった。


「……シオンさん、リンシャウッドが怖いです」

「こら! また虐めるんだから。こんな小さい子供なのに」

「だって、子供? 本当に子供?」


 シオンライナはリンシャウッドがじっと洋子を見つめて怪しい、と呟くのを不思議そうに見つめた。

 どこからどう見ても、10歳ほどの子供だ。子供は無条件で守られるべき存在である。それがシオンライナの信条だった。


「可愛い子供じゃないですか。私が聖獣たちに助けらえたときはもっと幼かったけど」

「聖獣?」


 耳慣れない単語に、洋子が疑問を口にした。聖なる獣、というやつだろうか。

 定番だと……。


「そう、フェンリルたちです。私の忍法も彼らに教わったの。このおにぎりの出し方もそう」


 一気に怪しさが露呈した。

 聖獣なんて代物、現代世界には存在しない。あのおにぎりも何か特殊な仕掛けがしてあって、手品のように出せたに違いない。


 胡乱な目つきで険しい顔になる洋子は、ますますこの二人が信用できなくなった。


「私の鼻は、その子の年齢はもうちょっと上だって言ってますけどね」


 うっ。もし黒狼のコスプレでないとしたら、その嗅覚は恐るべき鋭敏なものといえる。

 洋子は背中に嫌な汗をかいた。


「見た目と中身が違うということでしょうか。あなた、そういえばお名前は?」

「言いたくない」

「イイタクナイ? 珍しい名前ね。私と同じ人間じゃない? 外見はよく着ているけれど別の種族なのかしら?」


 こちらは警戒しているというのに、あちらは全くの無警戒。

 それどころか、ちょっと気を許したら抱きしめてきそうなほどに、距離が近い。


 もし洋子が悪人でナイフとか隠し持っていて顔面に切りつけたら、避けられないほどの距離だ。

 不用心にも程がある。


「人間だと思うけど……。言いたくない」

「ああ、その言いたくない、か。困ったなー、お姉さん。あなたのことも面倒を見るように言われてるんだけど」


 学校の先生みたい。幼稚園の時の先生みたい。諭すように、彼女はそう言った。

 だって信じてみてもし裏切られたら、それこそ無駄じゃない。だけどここが何処くらいは聞いてもいいかもしれない。


「ここはどこなの?」


 戻ってきた返事は、やっぱりおかしなものだった。


「ここは西の大陸レノオルド。南の大陸オズワルドとの間にあるシェス大河の支流域。そのグリザイア半島の先端にあるグリザイア王国……って言えば、分かるかな?」

「グリザイア? 知らない地名だわ。大陸の名前も聞いたことがない」


 首を振る。未踏の土地だということは確実らしい。

 これが彼女たちのコスプレでなければ、異世界は……確定なの?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 21:00 予定は変更される可能性があります

とある未開の凍結事象(コールドケース)、ACT1.~聖鎚の闘姫~女神官シャナイアの消失~ 和泉鷹央 @merouitadori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画