第五話 決意が揺らぐ
日ノ倭国という異世界に飛ばされ、神力という異能を身に宿してしまった。おまけに、この世界には妖怪なんてものも存在するらしい。そして夜が明けると、志乃は間宮家という場所に連れていかれる。最悪の場合、いつ決まるかもわからない次期当主の誕生まで牢屋に押し込められて監禁。
最後は志乃の勝手な想像だが、問いかけたときに否定されなかった。可能性はあるということだ。
冗談じゃない。納得できるか。
叫びだしたいのをこらえて、志乃はすっかり闇に包まれた小屋の中空を睨む。どうしても落ち着けずに、潰れた煎餅のような硬い
いや、刀を見てびびる志乃に、晴時は言っていたじゃないか。ここで彼が志乃を斬ったりしたらお上から咎めを受けると。それなら少なくとも、五体満足で過ごすことはできるはずだ。
それならいいか……なんて、思えるわけがない。当たり前だ。
自由に外は歩けない。最初に晴時たちにされたように、縄で縛られるかもしれない。厳しい監視もつくだろう。そしてそれは、いつまで続くかはわからない。
志乃は着物を蹴っ飛ばして起きた。
「無理、耐えられない!」
そもそも異世界なんてどこのおとぎ話だ。神力なんて意味わからない。妖怪なんて馬鹿馬鹿しい。家に帰れないなんて、そんなわけがあるか。雰囲気に流されてすっかり殊勝な態度で聞き入ってしまったが、あんな荒唐無稽な話を信じろという方が無理だろう。
眠りの体勢に入ってから、体感でかなりの時間が経っていた。すでに里中が寝静まっているはずだ。逃げるなら今しかない。今ならまだ、母や祖母から「帰りが遅い」と説教をもらうだけで済む。ぼろ神社のことも、晴時のことも、神力だの何だのも、ぜんぶ夢だと笑って流せる。
志乃は暗闇をまさぐって扉を探し当てた。
建てつけが悪いのか、ちょっと引いただけでは戸は動かなかった。何度かがたがたと動かして、ちょっと持ち上げたところでようやくスライドする。ギリギリ頭が通るか否かというほど細い隙間だけを開けて、志乃は静かに夜空の下へと滑り出した。
月が思いのほか明るかった。
田舎だからか、瞬く星もよく見える。解放感にぐっと伸びをして、振り返った。戸を元どおり閉めておこうと思ったのである。
小屋の壁に背を預けるようにして、人がいた。
志乃は両手を使って己の口を押さえた。すんでのところで悲鳴を呑み込む。深呼吸を繰り返し、体中を暴れ回る心臓をなだめた。
冷静に考えれば見張りがいるのは当たり前だ。いくら事情を説明された志乃が一応の納得をしたからといって、すぐに監視を解くことはない。志乃が渋々頷いただけなのは目に見えて明らかだし、実際、こうして逃走しようとしている。
怒られるだろうか、と肩を落として待つこと数秒。
(……あれ?)
いつまで経っても何も言われない。まさか志乃が抜け出したことに気づいていない? そんなことあるか。目の前で戸を開けたのに。
そっと顔を覗き込んで、志乃は気づいた。
この人、寝ている。
(あ、昼間の……)
晴時に命じられて志乃を縛り上げた、栗色の髪の青年だった。腕を組んで、物置小屋に寄りかかったまま、目を瞑って寝息を立てている。立ったまま寝るとは器用な芸当を……と感心している場合ではない。
ラッキー、ということで志乃は音を立てないように扉を閉め、忍び足で屋敷の前に寝そべる大通りに出た。
足元でなめらかに揺れる影にどきりとする。犯人は道端にたなびくすすきだった。月光を浴びたすすきたちは、皆一様に白銀に輝いていた。
幻想的な光景だ。こんなときでなければ見惚れていただろう。
(さて、どっちに行けばいいんだろう)
神社に行けばすべてが終わるはずだ。志乃が来たのもそこなのだから。
ところどころに焚かれた常夜灯の助けもあり、周囲を観察するのに苦労はしなかった。目的地はあっさりと見つかった。
右手にずっと行った先、突き当たりから長い石階段が伸びている。
外に人がいないのを注意深くたしかめて、志乃は歩き出した。さすがに堂々とする勇気はなかったので、すすきの影に隠れるように身を屈めて道の端を進む。これで身を隠せているとはさすがに思わないが、心の持ちようの違いだ。
夜空に向かって伸びた階段は、志乃を手招きしているようだった。
風に揺られる木々に促され、ステップに足をかける。振り返って再度人がいないことを確認し、追手もないと確信してから登り始めた。
一段、また一段と踏みしめるペースが早くなる。
絶えず耳に届く葉擦れと風の音。心の隙間に忍び込むような宵闇。勝手に抜け出した後ろめたさ。そういうものが、志乃を追いたてる。
足を速めると余計に怖くなった。
最後には足音が響きわたるのにも構わずに、一段飛ばしで駆けていた。
鳥居をくぐったとき、志乃の息はすっかり上がっていた。その場に倒れるようにしゃがんだくらいである。首元に一気に熱が上ってきて、サウナに入ったような熱気に包まれた。額にじわりと汗が浮く。志乃は制服の袖で乱暴に顔を拭った。
落ち葉のかかった石畳から、ほんのりと冷気が上ってくる。思わず手を伸ばした。火照った体から熱を吸い出されているような錯覚に陥る。寝転びたい衝動に抗って、志乃は顔を上げた。
手入れの行き届いた境内が、星空の下で静かにたたずんでいる。
一陣の風が吹き抜けた。濡れた額や首元をさらっていく。心地いい秋の風だった。残暑が厳しい九月の頭とは思えない。どうやら志乃がいた町とは季節が少しだけずれているようだ。
だんだん息が整ってきて、志乃はようやっと立ち上がった。ぽたり、と汗の雫が石畳に染みをつくる。その上をローファーがまたいだ。かかとを控えめに鳴らしながら、ゆっくりと参道を進む。
掃き清められた石畳といい、綺麗に均された玉砂利といい、新築同然の本殿といい、やはり志乃が学校帰りに入ったぼろ神社とは似ても似つかない。違う場所なのだと痛感した。
(……いやいやいや、弱気になっちゃ駄目。何のために抜け出してきたの)
両頬を思いきり叩いて気合を入れる。強く叩きすぎてひりひりした。切り傷の上に貼られた布が手のひらに触れる。おかげで、志乃が置かれている状況が紛れもない現実だということを再確認してしまった。
同時に、本当に帰れるのだろうかという不安が胸を満たし始める。
駄目だ、どうしても気が滅入ってしまう。感情が負の方向に引っ張られる。夜という時間帯のせいだろうか。不気味な音まで聞こえてきそうな感が――。
いや、本当に聞こえる。
風の音でも枝葉が揺れる音でも、ましてや志乃の足音でもない。
たとえるならば、カエルの鳴き声。かなり大きいやつの低い音だ。それがぶれて幾重にも重なったように、鼓膜を不快に震わせてくる。
志乃は音の正体を探した。どこから聞こえてくる。方向が定まらない。四方八方から届くようにも思えた。ふらふらと視線をさまよわせ、志乃は境内の端……山の奥へと続く木々を見とめる。
月の光も届かない山深く。底なしの闇をたたえた枝葉の隙間に、赤いランプがきらめいた。まるで枝を伝って幹を下るように、その光は移動した。ひとつだけじゃない。ふたつ、四つ、六つ。必ず二対で動いている。
目だ、と思った。
動物の目が赤く光っているのだ。そして絶えず聞こえてくるカエルの鳴き声は、彼らが発しているものなのだ。
逃げるべきか否か。志乃が迷っている間に、木から降りたちいさな生き物たちは、次々と月明かりの下へ姿を現した。
ひゅ、と志乃の喉が鳴った。
醜い動物だった。動物と呼んでいいのかもわからない。しわがれた黒い体は、つかまり立ちをする赤ちゃんくらいの大きさだ。ふさふさの髪に、短い角が乗っている。
鬼、という単語が頭にひらめく。小鬼。そう小鬼だ。
境内にはい出てきた小鬼たちは、小さな口を開いた。細かく鋭い歯がびっしりと並んでいる。
「妖怪がいる」という晴時の言葉が思い出される。
本当だった。今、志乃に迫ろうとしている小鬼たちは紛れもない妖怪だ。そうとしか言えない見た目をしている。人間ではあり得ない。普通の動物でもあり得ない。
木と木の間から続々と吐き出されてくる黒い体に、志乃は本能的な恐怖を覚えた。
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本日の更新はここまでです!!!!明日からは一日二話か一話ずつ投稿していきますので、作品フォローしてお待ちいただければ幸いです♡お星さまや応援コメントも待っています♡
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触る紫苑に祟りあり~神力少女、異世界に落ちる~ ねずみもち月 @hisuigetsu
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