機巧の真価
地震の揺れが収まった直後、一郎は地下機構の主制御室から状況を見守っていた。
「第三水門、正常に機能!」
お由の声が響く。彼女の手は、古い制御盤の上を素早く動いている。その仕草は、まるで琴を奏でるかのようだった。
「第四水門も応答しています」源兵衛が続く。「しかし、これは...」
制御盤の振動計が、新たな警告を示していた。地震の後に来る、より大きな脅威。津波の到来である。
「第一波、まもなく到達!」
プチャーチンの声が、通信管を通じて地下まで届く。ディアナ号からの警告だ。
その時、機巧堤防の中枢部が唸りを上げた。百年前に組み込まれた予知機構が、かつてない大きな反応を示している。
「父上」一郎は宗弘の方を振り返った。「この反応は」
「想定を超えている」宗弘の表情は厳しい。「しかし、機構は確実に働いているぞ。見てみろ」
主制御室の壁に設置された導水管が、規則正しい振動を刻んでいた。それは、港内の水位変化を伝える重要な指標だ。
「蒸気圧、最大まで上げました!」
ロシアの機関士の声が響く。プチャーチンの差し向けた補助動力が、古の機構と完璧な調和を見せ始めていた。
「来ます!」
お由の叫び声と同時に、地下全体に低い震動が走った。第一波の到来である。
港内では、機巧堤防の水門が次々と連動して動き出す。新たに組み込まれた蒸気機関の力が、古い歯車に新たな命を吹き込んでいた。
「見事だ」プチャーチンの感嘆の声が聞こえる。「これぞ、東洋の知恵と西洋の力の融合」
波は、予想以上の高さで襲来した。しかし、幾重にも組み込まれた防御機構が、それを効果的に制御していく。波のエネルギーは、巧みに分散され、導かれ、そして最後には港を守る力へと変換されていった。
「港内の船が!」
ディアナ号も、大きく揺さぶられていた。しかし、機巧堤防の働きにより、その揺れは徐々に収まっていく。
「父上」一郎は宗弘に向き直った。「あの和歌の意味が、今ようやく」
南無や、月影の、いわおとどろに。それは、この瞬間のための導きだったのだ。月の引力による潮の動き。岩を打つ波の力。そして、それらを制御する古の知恵。
「そうだ」宗弘は静かに頷いた。「先人たちは、この日が来ることを予見していた。そして、新しい力との融合の時を待っていたのだ」
その時、お由が叫んだ。
「第二波!」
より大きな波が、町を飲み込もうとしていた。しかし今や、機巧堤防は完全な力を取り戻している。古の知恵と新しい力が、見事な調和を示しながら、町を守護する盾となっていた。
地下の主制御室では、新旧の技術者たちが力を合わせて機構を操作していた。ロシアの機関士たちの手際の良い動きと、代々受け継がれてきた日本の技術が、今や一つとなって働いている。
その光景を見ながら、一郎は思った。これこそが父の言う「新しき知恵と古の術、相和して道を拓かん」の真意なのだと。
外では夜が明けようとしていた。暴風と波濤の合間から、かすかに朝日が差し始める。それは、まるで新しい時代の幕開けを告げるかのようだった。
しかし、彼らの戦いは、まだ終わっていなかった。
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