激震

安政元年十一月四日、未明。


「急いで!」


地下機構の中で、一郎の声が響き渡った。振動計の針は、もはや制御不能なほどに揺れている。


「あと十分」お由が必死に計算を続けていた。「いえ、もっと早いかもしれません」


プチャーチンは、即座に対応を開始していた。ディアナ号の乗組員たちに避難指示を出し、同時に補助蒸気機関の準備も進めさせる。


「父上」一郎は宗弘の方を振り返った。「これほどの振動は」


「安永の記録にも、ない」宗弘は古い記録を見ながら答えた。「間違いなく、未曾有の」


その言葉が終わらないうちに、最初の衝撃が走った。


地面が大きく揺れ始める。まるで大地が、千年の眠りから覚めたかのような轟音と共に。


「機構を始動させろ!」


源兵衛の声に応じて、お由が主制御装置のレバーを引いた。古い歯車群が、軋みながら動き出す。


「水門を全開に!」


プチャーチンの指示で、ロシアの技師たちが補助動力を全開にした。蒸気機関のピストンが、全力で稼働を始める。


しかし、地震の揺れは、誰も予想しなかったほどの強さだった。


地下室の天井から、土埃が降り注ぐ。壁には、無数の亀裂が走る。そして何より、機巧堤防の歯車が、悲鳴のような音を立て始めていた。


「このままでは!」


お由の叫び声が聞こえた時、一郎は既に走り出していた。地下の最深部、主機室に向かって。そこには、機構の心臓部がある。先日の修復で補強はしたものの、まだ完全ではない部分が残されていた。


「一郎!」


背後から父の声がする。しかし、もう引き返すことはできない。このまま機構が止まれば、町は確実に大津波に飲み込まれる。


主機室に辿り着いた時、一郎は目を見張った。巨大な主歯車が、軸から外れかけていたのだ。


「下がれ!」


振り返ると、そこには父の姿があった。宗弘は一郎を押しのけ、自らが歯車に向かって走り出す。


その時、二度目の大きな揺れが襲った。


天井から大きな石が落ちてくる。それは、まさに宗弘に向かって...。


「父上!」


一郎が叫んだ時、横合いから影が走った。お由だった。彼女は、間一髪で宗弘を突き飛ばす。石は、二人の間に落ちた。


激しい揺れの中、三人は必死に主歯車を支えた。お由が応急の楔を打ち込み、宗弘が歯車の位置を調整する。そして一郎は、全身の力で軸を押し戻す。


「港が!」


誰かの声が響く。地上では、巨大な波が町を襲おうとしていた。ディアナ号は、大波に翻弄されながらも、必死に船位を保とうとしている。


「頼む、動いてくれ!」


三人の懸命の努力が実を結んだのか、主歯車がゆっくりと正位置に戻り始めた。それに合わせて、他の歯車群も少しずつ本来の動きを取り戻していく。


「水門が応答し始めました!」


港では、長年の眠りから覚めたかのように、古の機構が動き出していた。新旧の力が一つとなって、町を守ろうとする。人々の知恵と努力が、百年の時を超えて一つになる瞬間。


しかし、それは同時に、新たな試練の始まりでもあった。

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