修復の決意

深夜の地下機構で、一郎とお由は老朽化の進行を目の当たりにしていた。巨大な歯車の歯は摩耗し、銅の導管には至る所に亀裂が入っている。


「このままでは」お由が懸念を込めた声で言った。「大きな地震や津波が来たとき、機構が耐えられないかもしれません」


彼女の言葉に、一郎は暗い予感を感じていた。先日の高潮の際も、水門の動きはどこかぎこちなく、普段よりも大きな軋み音を立てていたのだ。


「修復は可能なのでしょうか」


「部分的にはできます」お由は図面を広げながら答えた。「でも、根本的な問題は、動力の不足なんです」


図面には、百年前の設計者たちが描いた補助動力装置の構想が記されている。蒸気を動力として利用する仕組みだ。しかし、当時の技術では実現できず、構想段階で止まっていた。


「もし、プチャーチン提督の力を借りることができれば」


一郎の言葉に、お由は驚いた様子を見せた。しかし、すぐに深い考えに沈んだ。


「確かに、蒸気機関の知識があれば...」彼女は慎重に言葉を選んだ。「でも、それは機巧堤防の秘密を明かすことになります」


その時、通路の奥で物音がした。二人が振り向くと、そこには村上源兵衛の姿があった。


「父様」


「全て聞いておりました」源兵衛は静かに歩み寄ってきた。「実は、私もここ数年、機構の限界を感じていたのです」


源兵衛は古い箱を取り出した。中には、代々受け継がれてきた機巧堤防の管理記録が収められている。


「見てください。年々、補修の頻度が増えています。このままでは...」


記録を見ると、確かに警戒すべき傾向が読み取れた。特に近年は、小規模な不具合が頻発している。いつ重大な故障が起きても不思議ではない状態だ。


「父上は」一郎は源兵衛に向かって言った。「このことを予見していたのではないでしょうか」


「ああ」源兵衛は頷いた。「宗弘殿は、新しい時代の波が押し寄せることを感じ取っていた。そして、古い知恵をその波に溶け込ませる道を探っていたのです」


お由が、父の手を取った。


「決意されたのですね」


「ああ」源兵衛の声は、強い決意を帯びていた。「この町を、この機構を守るためには、もはや秘密に拘っている場合ではない。新しい知恵を受け入れる時が来たのだ」


一郎は、父の残した和歌を思い出していた。新しき知恵と古の術、相和して道を拓かん。その意味が、今ようやく明確になってきた。


「では、プチャーチン提督に」


「ああ」源兵衛は頷いた。「ただし、慎重に進めねばならない。機巧堤防の存在を明かすのは、まずは提督一人に。そして、彼の人となりを見極めてからにしよう」


地下からは、相変わらず歯車の軋む音が響いてくる。その音は、まるで早急な対応を促しているかのようだった。


「明日」一郎は決意を込めて言った。「提督との会談の際、機会を探ってみましょう」


お由と源兵衛は静かに頷いた。古の知恵を守りながら、新しい力を受け入れる。その難しい舵取りが、今始まろうとしていた。

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