明かされる一片
奉行所の応接間には、緊張が満ちていた。ロシア艦隊の司令官プチャーチンとの最初の非公式会談。一郎は通詞として、その場に立ち会っていた。
「貴国の港湾設備には、大変興味深いものがありますな」
プチャーチンの言葉を通訳しながら、一郎は彼の鋭い眼差しに気付いた。その目は、単なる外交官のものではない。技術者としての観察眼を感じさせた。
「特に、水門の制御機構。あれは、どのような仕組みなのでしょうか」
堀勘定奉行が、かすかに体を強張らせるのが見えた。
「いたって単純な装置でございます」堀は平静を装って答えた。「潮の満ち引きに合わせ、人力で操作を」
その言葉を訳しながら、一郎は違和感を覚えた。昨日の水門の動きは、とても人力とは思えない正確さだった。
会談の後、一郎は資料室で古い文書を調べていた。父の在職時代の記録を探っているうちに、一枚の図面を見つけた。寛政年間の下田港改修工事に関する文書の間に、紛れ込んでいたものだ。
図面には複雑な歯車の配置が描かれ、欄外には暗号めいた文字列が記されている。そして、その一角に「機巧堤防」という文字が。
「高瀬様」
突然の声に、一郎は図面を素早く隠した。振り向くと、そこにはお由が立っていた。
「村上お嬢様。これはまた」
「父が、資料の追加をと」お由は手帳を差し出しながら、一郎の机上を見渡した。「何か、面白いものでも?」
「いえ、ただの古文書です」
「そうですか」お由の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。「でも、古いものの中にこそ、思いがけない発見があるものですわ」
その言葉には、どこか意味ありげな響きがあった。
「お嬢様は」一郎は慎重に訊ねた。「からくりについて、詳しいのですか」
「いいえ」お由は即座に答えたが、その目は笑っていた。「ただ、物事の仕組みを知ることは、面白いと思うのです。例えば...」
彼女は窓の外を指さした。港の方角だ。
「この町にも、誰も気付いていない仕組みが、たくさん眠っているかもしれません」
その瞬間、また地面が震えた。お由は意味ありげな表情で一郎を見つめ、そして静かに立ち去った。
部屋に残された一郎は、隠した図面を再び取り出した。歯車の配置と、港の水門の位置が、妙に符合している。そして、図面の裏には、かすかに「宗弘」の文字が。父の名だ。
「父上は、いったい何を」
窓の外では、ディアナ号の煙突から立ち上る白煙が、曇天の空に溶けていった。蒸気機関の動力。新しい時代の象徴が、古い秘密の眠る港に、静かに佇んでいた。
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