二十歳の誕生日

かわの

二十歳の誕生日

 窓を開けてベランダに出る。深呼吸。凍てついた空気が肺に満ちる。気持ちの良い爽やかさが気分をいくらか楽にする。

 もう一度、深呼吸。あるいは半分は溜め息か。既に清涼感の効力は失われていた。私は冬の夜空を見上げる。


 夥しい程の青い光が蠢く変質した夜空を。

 この星を遍く照らす悪魔の光輪を。


 衝動的に自分の髪を引き千切りたくなる。あの光と全く同じ、鮮やかな青色。私はこの色が嫌いで、憎くて、仕方なかった。

 もし責任を取れるのならば、何でもする。


 ぶち、ぶちぶち。何度目かの無為な自傷。そのうち痛みに夢中でいられなくなると、今度は罪悪感が皮膚を這い回る。

 全ては6年前だった。子供だったこと、馬鹿だったこと、何も出来なかったこと。

 景色と記憶が混濁し、足場が消えたかのように錯覚する。私はその場に転倒した。


 視界が硬い床で埋まって、指に纏わり付く毛髪を払う気力もない。このまま凍死でもしようか。

 出来もしないことを言い訳にして固まっていると、玄関の扉が開く音を耳が捉える。また、見られてしまう。動けない。最初は僅かに聞こえていた足音はすぐに大きくなって近付いてくる。私は人形のように抱き起こされた。


「アヴィ、大丈夫!?」

「……朔月さくげつ


 言わなければならないことは数え切れない程あった。でも、そのどれもが遅すぎて、そもそも間違いであるという恐怖が消えず。結局、いつものように私はただ彼の名前を応答に使った。


「なんだ。めっちゃ寝相悪い日かと思った」


 白い長髪を掻き上げながら、にこりと笑って彼は言う。心配させてしまったと私に思わせないための配慮だと、私は知っている。

 大切な人の笑顔で苦しくなってしまうようになったのは、いつからだっただろうか。


「風邪ひいちゃうよ。部屋入ろう」


 朔月が私の背中を摩りながら促す。彼はよたよたと歩く私がソファに倒れ込んだのを確認すると、ベランダへの窓を施錠する。それから、分厚いカーテンを閉めた。


「ふう。なんとか間に合った」


 朔月の独り言とも会話ともつかない言葉が流れてくる。私の視界の中で、彼が着替えたり暖房を入れたり荷物を整理したりといった動作が行われている。


 ゴミやら衣服やらで少々散らかったアパートの一室。電気代節約のため普段はあまり使われないエアコンが室温を上げようと努力している。その音が頭の中でただ響いていた。


 そのうち、無理な体勢でソファに寄りかかっていることが辛くなった私は、部屋の真ん中に位置する足の低いテーブルの前に移動した。肘を置きつつ胡座をかいて座る。

 手持ち無沙汰なので床にある靴下を部屋の端っこに投げる。あれの片割れは暫く見ていない。靴下も相手がいないと不安だろうな。


 ことん。


 唐突に、靴下に思いを馳せている私の眼前にデジタル時計が置かれた。朔月に意図や意味を確かめることもせず、私はただテーブルの上のデジタル時計を眺める。秒を表す数字が音もなく増えていく。57、58、59……00。表示がゼロゼロへと戻り、分が1つ進む。12月22日23時59分04秒。それが現在時刻だと、液晶の黒い線たちは主張していた。


 もうすぐで日付が変わるのか、なんてことをぼんやりと考える。ふと何かを忘れているような感覚を覚える。視線を感じて左隣を見やると、こっちを向いて悪戯っぽく笑う男が1名。


「気付いた?」

「何が」


 私はぶっきらぼうに一言だけ返す。発せられた3文字の声に反して、脳内は後悔の喧騒で騒がしい。

 何の日だっけ?、そう言えばよかった。

 不機嫌なわけじゃない、そう言いたかった。


 結局何も言わずに、顔を腕にうずめる。優しさを踏み躙った罪がまた1つ増える。

 いつか罰を受けるのかもしれないなと思った。例えば、明日からずっと独りで生きていくとか。頭に銃弾1発なら、むしろプレゼントだろう。


 私は再びデジタル時計を見る。特に何かをするでもなく、架空の刑罰が執行されるその時を待つ。やがて、液晶上の日付が12月23日になる。


 ぱん。乾いた音が響く。目の前が赤に――青や、金にも変化する。カラフルなテープがひらひらと落ちていく。


「誕生日おめでとう、アヴィ!」


 クラッカーの残骸と火薬のにおい。朔月が「やばい、デカすぎた」と騒ぎながら箱から出した苺のホールケーキ。それらを見ても、私はまだ目を丸くしていた。


「私……今日が、誕生日だったっけか」

「まさか本気で忘れてたの……? まあ、ちゃんとお祝いするのって今年が初めてか」


 俺達は色々あったからねえ。朔月は冷蔵庫からお酒の缶を2つ取り出しながらぼやく。テーブルの前に戻ってくると片方を私に手渡す。


「アヴィも二十歳はたちになるんだし飲んでみなよ。飲みやすいやつだからおいしいよ」

「……お前は私の1つ下だから19歳だけどな」


 まあまあまあ……と、有耶無耶にしようとする朔月を見て、口元が弛む。楽しいな。随分と忘れていた感情が湧いてくる。


「じゃあ改めて。誕生日おめでとう、乾杯」

「……ありがとう。乾杯」


 それから、久しぶりの楽しい食事が始まった。一応一緒に暮らしているとはいえ、私と彼で家にいる時間が合うことは少なかった。このご時世、私たちができる仕事なんて物騒で過酷で汚いものしかない。

 まあ、世界を救い損ねた戦犯にはお似合いの末路か。以前朔月がそう自嘲していた。珍しく朔月の方が弱っていたので、よく覚えている。


「……アヴィ、まだ辛い?」

「いや、考え事してた。ありがとな」


 黙りこくっていたせいでまた心配されてしまった。誤魔化すように私はケーキを口に運ぶ。その甘さと、そこに込められた想いも味わう。時間も金銭面も、きっとかなり無理して調整してくれたに違いない……それにしても大きなケーキだ。


「……なんで2人で食べるのにこのサイズのケーキ買ったんだよ」

「いやほら、大きい方がいいでしょ、何事も」


 乾杯から十数分後、私たちは大きすぎたケーキに苦しめられていた。朔月は「明日クリスマスイブだし最悪また明日でも」と諦めはじめている。私はその様子が可笑しくて、また笑って……。


 不意に、ガラスを引っ掻くような耳障りな高音が耳をつんざく。分厚いカーテンを貫通して輝きが部屋を照らす。


 始まった。が。よりによって、今。


「はっ、あ、ハァっ……」

「大丈夫、大丈夫だからね」


 息がうまく吸えない。震えることしかできない私を、朔月が抱き締めて落ち着かせようとしてくれる。私は彼に縋り付く。


 ……5分程が経過し、光と音が収まった。光輪は1ヶ月に一度、無作為に一千万人の人間を消滅させる。

 今夜は、一体どんな人が犠牲になったのだろうか。その人にも家族がいるだろうに。


「アヴィのせいじゃないよ」


 アヴィのせいじゃない。もう一度、朔月が私に言い聞かせるように、はっきりと話す。私を抱き締める腕の力が少し強くなる。

 私は、それに押し出されるように言葉を零す。


「私って、人生を笑って楽しんでいいのかな」

「当たり前じゃん」


 質問の内容を知っていたのかと疑ってしまうくらい素早く回答される。私は思わず朔月の顔を見る。


「全部が嫌になることくらい誰にでもあるよ。利用されたのが偶然アヴィだった……それだけだと思う」


 俺も独りだったら耐えられない日があるし。朔月はそう続けた。


    ◇


 6年前のあの日、泣き腫らした君が座り込んでいた。「射たされた」とだけ繰り返す君の遥か上で、真夜中の筈の空は眩く光り輝いていた。


 俺達は光輪を止めるために命を賭して戦った。それでも届かなくて……色々なものを失った。それから、君は殆ど喋らなくなった。俺のことも拒絶するようになってしまった。


 だとしても、君のそばに居たかった。

 君が俺のそばに居てくれたように。


    ◇


「俺達が自分を許せる日は一生来ないかもしれないけど、それでも」


 朔月の鼓動が伝わってくる。


「お互いだけはずっと隣に居て、お互いのことを、全部受け入れて……許してあげたくない?」

「ふっ」


 急にしどろもどろになる朔月に、私は思わず噴き出してしまう。


「なんだそれ! 下手くそ!」

「こんな状況で上手く喋れないよ!」


 私も朔月も耐えきれずに笑い出す。そうそう、昔はこんな感じでくだらない言い争いをよくやったな。懐かしい。

 私は朔月の腕から抜け出して、正面に向き直る。真っ赤になっている朔月の顔を見たら、私も急に恥ずかしくなってきて。でも、目を逸らしたらコイツに負けた気がして。


「な、なんでもいいだろ……こういうのは」


 私渾身のアドバイス。朔月が軽く咳払いをする。


「アヴィ、俺と――」


 その言葉に私は頷く。多分初めて、私の方から抱きついてみる。いつもより温かい気がする体温が心地良くて、私たちはいつまでもそうしていた。

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