病室
さき
病
ここはとある街の小さな病室。外ではセミが騒がしく鳴いている。
「具合は、大丈夫?」
そう尋ねるのはセーラー服を着た中学生の女の子、結衣。
「うん、今は元気だよ」
そう答えるのも同じ中学生の私。ベッドのそばにあるハンガーにはまだ一度も着たことのないセーラー服がかかっている。
「どう?学校。二年生だから、修学旅行があるんだよね」
「もうすぐある。沖縄に行くみたい」
「そっかぁ。いいなぁ、楽しいだろうな。行きたかったなぁ……」
私は生まれてからまだ一度も見たことのない海を想像する。
「……楽しくなんか、ないよ」
いつも明るい結衣が急に暗い顔をした。楽しくない?学校が?
「楽しくないわけ無いでしょ。冗談が下手だよ?」
「冗談だと思ってるの?」
結衣がじっと大きな瞳で私を見つめてくる。本気で言っているのかを確かめるように。
「どういうこと?楽しくないって……」
「学校は、楽しくない。話も合わないし、趣味も合わない」
信じられなかった。これまでは楽しいよ、といっていたのに。
「これまでは知ってほしくなかったから言わなかっただけ。沖縄にも行かない。クラスに友達いないから」
「どうして……」
意味がわからない。怒りがふつふつと湧いてくる。
「どうして楽しくないなんて言えるの?結衣は学校に行けてるんだよ?私は行きたくてもいけないのに、どうして?」
何度も学校に行く夢を見た。元気なときは教科書を見て勉強もしている。制服も着てみたい。だから結衣が話してくれる学校の話をいつも楽しみにしていた。
「最初は一年生の三学期には行けるって言われてたのに今も行けてない。もう二学期なのに……」
悲しさと悔しさで涙がポロポロと溢れてくる。結衣は黙ったままだ。そんな結衣を見てますます怒りを感じる。
「結衣は、元気だからわからないんだよ。私だって結衣みたいに普通に生きてみたいよ!」
八つ当たりなのも結衣を傷つけてしまったのもわかっている。でも、謝る気にはなれない。
「私が……」
結衣が口を開いた。いつもの軽やかな声ではなく、か弱く小さくすぐに消えてしまいそうな声で。
「私が、普通に生きてると思ってるんだ。たしかに私はあんたみたいに体のどこかが悪いわけじゃない」
「どう、いうこと?」
体が悪くない。つまり健康ということ。一体何を言っているのだろうか。
「私はあんたみたいに目で見える病気じゃない。心の病気、だから」
心の病気?昔読んだ漫画に心の病気を持つ登場人物がいたような気がする。
でも結衣が?どうして?
その人と結衣は見た目が違いすぎている。でも結衣が嘘を言うとは思えない。
「一年生の頃は楽しかった。友達もいたし担任の先生も良かった。だけど今は嫌。クラスの人も、先生も」
私はハッとした。結衣は一年生の頃は楽しそうにクラスであった出来事を話してくれていた。でも、今は。二年生になってから結衣は自分から学校の話をしなくなった。
「あんたと話すときは、クラスのこと忘れられた」
「そう、だったんだ……」
何も気づかずに学校の話を聞かせてと頼んでしまっていた。
「私は羨ましかった。親にも心配されて学校にも行かずにただ、学校は楽しいものだと信じきっているあんたが。同じ「病気」なのになんで扱いが違うの?」
結衣はうつむきながら独り言のようにつぶやく。彼女の瞳は乾いていた。まるで涙は枯れ果てたように。
「結、結衣。あの……えっと……」
私は今まで自分で気づかないうちに酔っていたみたいだ。病気と戦いながら健気に学校へ行くことを夢見ている自分に。
だから気が付かなかったのだ。自分よりも病気と戦っている人物が身近にいることに。私が今彼女にしなければいけないことはただ一つ。
「ごめんね、結衣。私、自分のことばっかりで結衣のこと何も知ろうとしてなかった」
「いいよ、別に。私も隠そうとしてたから」
結衣は私を見て微笑む。とても幸せそうな顔で。なぜこれまで気が付かなかったのだろう、なぜ結衣を責めてしまったのだろうと後悔した。
「これからも……来ていい?」
だめに決まっている。結衣を傷つけておいて、そばにいてはいけないこともわかっている。でも…
「うん!来てほしい!これからは苦しかったこととか私に話してほしいな!」
今、私にできることは結衣の相談相手になること。ただ、それだけだ。
「ありがとう。……あ、もう帰らないと」
時計を見ると、お見舞いの時間は過ぎていた。
「それじゃあ、また今度。絶対に元気になってね!」
彼女はそう言い残して帰っていった。
静かな病室にパタン、と静かにドアの閉まる音が響く。
「絶対に元気になってね、か……」
布団の中からそっとスケジュール帳を取り出す。ほぼ開かない手帳の中には一つだけ何度もひらいて確認したために跡が残ったページがある。
「あと、三ヶ月なんだけどね……」
私の寿命は残りわずか。私がこの世からいなくなる前に、結衣の病気をできるだけ軽くする。私ができるのはそれだけだから。さっきまで鳴いていたセミたちはいなくなっていた。
病室 さき @saki_09
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