クリスマスイブ、待ち人来らず

月波結

◇◇◇

「あー、もうやだぁ」

 レンガ敷きの地面を蹴飛ばしてもなにひとつ飛んでいくものはなく、わたしは身体をふたつ折りにして、深いため息をついた。


 すきだと気付いたのは二学期のいつ頃だったっけ?

 まだ暑い日のことだったと思う。

 友達と盛り上がってる琉太りゅうたがある日、わたしの視線にいつだって入るようになった。

 それまで特になんにもなかったのに、ただの男友達でバカ騒ぎしてただけなのに、なんで「好き」だなんて思ったんだろう――。


 持っていた小さな箱を噴水に向かって投げようとしたその時だった。

「うわ!」

 噴水の縁に座っていた見知らぬ男の人が、わたしの投げた箱を体勢を崩しながらキャッチした。

「危なかったぁ! あの! これ落としましたよ」

 呆気にとられる。

 いや、どう考えても落としてないだろう。飛んできた方角を考えればわかりそうなものだけど。


 その人はこっちに向かってにこにこしながら歩いてきた。背が高くて髪の毛にオレンジがかったメッシュが入っている。わたしみたいな地味な女子に縁のないタイプだ。

「これ、君のでしょう?」

「⋯⋯ありがとうございます」

 ドサッと隣に座るのでギョッとする。

「来ない」

「え?」

「待ってる人が来ないんだ」


 何を言ってるんだろうか、この人は。

 わたしの言いたいこと、頭の中、丸見え?


「はぁー、バイト先の子なんだけどさ、なんていうか笑顔がキラキラしてて、いいなって思うようになってさ。俺でもいいなって思えたらここでイブの夜に待ってるからって言ったんだけど」

「⋯⋯来ないんですか?」

「まぁ、モテるからねぇ。俺以外でもバイト先で『好きだ』って言ってた男いたし。そっちに行ったのかも」


 膝の上に肘を乗せて手を組むと、頭を垂れて、その人は祈るようなポーズを取った。

「でももう少し粘ってみる。帰ろうと思ってたんだ。だけど君を見て考え方が変わった。あきらめるのは全部、終わってからだよな」

「⋯⋯何時に約束したんですか?」

「六時」

「七時半ですよ」

「いいんだよ」


 すごく優しい笑顔は苦々しいものだった。


 噴水広場には大きなツリーが立てられていた。永久とこしえに緑の大きな木に、赤や金色のリボンが結ばれている。広場全体にイルミネーションが光り、暗闇を許さない。

 噴水の周りの人はまばらになり始めた。みんな暖かい場所に移動したんだろう。


 聞こえてきそうなささやかな笑い声。


 琉太も誰かと楽しくクリスマスを過ごしてるんだろうか――?


「あの、わたしも同じなんです。奇遇ですね。好きな人に『よかったら待ってるから』って言って、約束は午後六時。ピッタリ同じで驚いちゃった」

「約束六時?」

 こくん、と頷く。

「一時間半もこんなとこにいたら冷えちゃうじゃん」

「『あきらめるのは終わってから』じゃないんですか?」

 彼の目が細くなる。ちょっと冷たい瞳の色にドキッとする。怒らせたかもしれない。


「誰かを大事にするなら、自分を大事にしなきゃダメだよ。⋯⋯行こう?」

 無理に手を引かれて立ち上がる。慌てる。だってこの人の待ってた人は?

「待って、待って! 約束してた人は?」

「今日はクリスマスイブでしょう。善行を施さなくちゃ。迷い子は返してあげなくちゃ」

「本気ですか?」

「本気、本気」


 困ったことになったなと思う。イルミネーションはまだ点灯してる。クリスマスイブは終わりそうな空気じゃない。

 この人の想い人も何か用事があるのかも。例えばバイトが長引いてるとか。⋯⋯それはないか。お互いのシフトは確認してるはずだろうし。


 この人、本当にフラれたのかな?


「あの、ここでいいです」

 そのまま手を繋いでいたピンクのムートンのミトンを離してもらう。彼は素手で、その手はとても冷たそうだった。

「あ、ごめん。手、繋いじゃって」

「そうじゃなくて」

「カイロと飲み物でも買いに行こうか。何もないよりマシじゃない?」


 ◇


 その人は加納かのうさんと言った。大学の三回生だと。バイト先は流行りの大手の雑貨チェーンだと言っていた。

「俺、仕事遅くて、パートのオバサン達に嫌な顔されてたんだけど、その人はある日、そっと仕事のコツを教えてくれたんだよ」

「めちゃくちゃいい人じゃないですか!」

「そう、だからバイト先で密かに人気がある。天然だから気付いてないけど」


 それは競争率が高そうだ。

 わたしなら、引いちゃう。⋯⋯ううん、琉太だって好きな子がいるって噂があったんだ。


「好きな子ちゃんが、君かもしれないじゃん」

「七瀬です」

「七瀬ちゃんかも」

 わたしはずーんと身体を低くして俯いた。

「ないです。多分、同じ部活の子」

「どうしてそう思うの?」

「⋯⋯だって、わたし、いつも男の子みたいにしてるし」


 加納さんはわたしから身を引いて、座ってる上から下までじーっと見た。点検。

「今日はどこから見ても女の子だよ」

「⋯⋯ほんとですか?」

「髪のリボンもかわいいし、ピンクの手袋、すげーかわいい。それがポイントになってるシンプルなデザインのコートもかわいい」

 赤くなるしかなかった。いや、でもこれは点灯してる赤い光のせいで。


「加納さんはそのままでカッコいいですよ。なんか、大人の男の人、な感じ」

「そりゃそうだよ。七瀬ちゃんと幾つ離れてると思ってるの?」

「そうかもしれないけど、見た目で他の男性に劣ってるとかないですよ」

「ああ、フォロー入れてくれてるんだ」

「違います!」


 変な空気が流れてる。

 時計の針は七時四十七分、微妙な空気。

「八時になったら帰るか」

「え!?」

「七瀬ちゃんも帰るんだよ」

「加納さんは」

「あきらめるよ、もちろん」


 あと十三分。

 十三分のうちに来る可能性は低い。

 あ、わたし、帰りたくなくなってる。

「加納さん、これ、よかったらもらってください」

「え? 高くないの?」

「高校生に買える程度のものです」


 中身はシルバーアクセだった。よくある、革紐にリング。同じような形のものが多くて、すごく迷った。男の子の趣味――とりわけ琉太の趣味はわからなかった。


「もらえないよ」

 ああ、あと十一分。

「捨てようとしたのを拾ってくれたから」

「あれはバスケやってた時の名残り」

 そうなんだ、と笑う。ふふ、と笑ったのがツボに入ってしまって大笑いしてしまう。


「七瀬ちゃん、ひどいなぁ」

「だって、終わっちゃう。わたしのクリスマスイブ⋯⋯」

 その時だった。向こう側からサッパリした印象の背の高い女性が走ってきた。血相を変えて。

「加納くん!」

逢坂おおさかさん⋯⋯」

「ごめん! こんな時間まで待っててくれたの? わたし、仕事が押しちゃって」


 ほら、加納さんにはああいう人が似合うんだ。

 時計はあと七分で八時。

 わたしは小さい声で「ありがとうございました」と言って席を立った――。


 ◇


 八時が来て、わたしのクリスマスイブは終わった。

 ツリーを見上げる。

 来年はいいことがありますように。

 backnumberの『クリスマスソング』が聴こえる。

 ああ、わたしも同じだなぁ。は今頃、どうしているだろう?


「七瀬ちゃん!」

 その声にピョンとなって振り返る。

「七瀬ちゃん!」

「加納さん⋯⋯上手く行きました?」

「ああ、ありがとうって言いたくて。七瀬ちゃんは帰るところ?」

「加納さんと約束したから」

 いい子だね、と頭を撫でられる。髪が乱れる。


「嘘なんだ」


 なにが⋯⋯?

「一緒に帰る人が他にいるんだって」

「嘘」

「嘘。どこへ帰るの? 駅? 改札まで送るよ」

「嘘なんですか?」

「送るのは本当。一緒に待ってくれてありがとう。でも上手く行かなかったんだ」


「でもバイト押したのにわざわざ走って⋯⋯」

「そういうところが好きだったんだよ。待ってる男がいるのにね」

 はは、と笑った加納さんは肩を落とした。


「なにか奢ってあげたいところだけど、どこもいっぱいだしなぁ。マックでも行く?」

「⋯⋯あ、お腹空いたかも」


 失恋したってお腹は空く。わたしは心の中の琉太にさよならをする。もう、一片も心に残さないように。

「何がすき?」

「アップルパイ」

「それサイドじゃん。俺、ビッグマック」

「わたしも好き」

「その口であの大きいの食べるんだ?」

「好きなんだから、いいじゃないですか?」


 たわいもないことを喋りながら、わたしたちはマックに吸い込まれるように歩いていく。きっとすごく混んでる店内を思う。それでももう少し、加納さんと話せるかなぁ?


 わたしは恋をしていない。

 失恋したばっかりだ。

 でも、恋が始まらないとは限らない。

「どうしたの? 顔に何かついてる?」

「目と鼻と口」

「こら!」

 軽いデコピン。


 これが今年のクリスマスイブ。

 失恋したクリスマスイブの話だ――。


(了)

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