少年は監獄(病室)に入る
常陸乃ひかる
串にささって だんご だんご
みっつならんで だんご だんご
しょうゆぬられて だんご だんご
だんご三兄弟
それは、『少年』を苦しめた呪文である。
1 真夏の夜の悪夢
時は平成。
ひとりの少年は、勉強から目を背け、歳相応の学力さえ身に着けずに生きていた。特に活字は彼にとって暗号のように感じられ、一冊の本を最後まで読みきったことなんて一度もなかった。
少年の母親は、読書習慣を身につけさせようと、幼少の頃に何冊か本を買い与えたが、彼は読解力にも忍耐力にも欠けており、【エルマーの冒険】でさえ、本のページをめくった瞬間に挫折してしまうほどだった。
皮肉なことに、エルマーと似たような服を着た、【ウォーリーをさがせ!】は、しょっちゅう読んでいたようだが。
そんな非文学少年の名はNといい、気づけば下の毛が生えてくるような歳になっていた。ビデオゲーム三昧の生活を送り、季節はすっかり七月下旬。始まったばかりの夏休みを謳歌し、楽しいあすを望んでいた。
ある夜。
家の明かりが消えて、しばらくすると、Nは胃酸が込み上げるような腹痛に襲われ、目を覚ましてしまった。原因を思い出そうにも、腹部のそれによって頭が回らない。タオルケットを一枚かけて、ベッドで丸まっていようにも、右
加えて全身の倦怠感も相応で、冷や汗ばかり噴き出てくる。Nはもう、ひとりではどうにもできないと判断し、家族が寝静まった平屋を這いずり、居間へと移動した。
2 壮絶げーげー&緊急搬送
このままでは、朝まで呻き続けることになってしまう。Nは全身の力を振り絞り、天井を仰ぎ、立ち上がろうとした。その瞬間、胃から、食道から、口内から――臓器を逆流した『糧』が、『汚物』と化し、文字どおり宙を舞った。
Nの頭の中では、弧を描くキラキラの残像と、その傍らでぶっ倒れ、絶え絶えの息を紡ぐだけの自分を俯瞰した様子が、悪夢のように何度もリピートされていた。それでも彼は、『生』を掴むように指を動かし、畳をトントン叩いて、自らの存在をアピールし続けた。
しばらくすると、隣の寝室で寝ていたNの母親が、目を擦りながら起きてきて、
「――ッ!」
「――っ?」
異なる肉声が重なった。
息子の惨状を目の当たりにした母親は、驚きと焦りで言葉を失いながらも、すぐに
ほどなくNは自家用車に放り込まれ、病院へと運ばれた。車から降りたそこは、控えめな照明があちこちに影を作り出し、いかにもな空気を醸していた。
時間外受診だったため、対応に当たったのは経験の浅い医師だった。これで少しはラクになる――Nが安堵したのも束の間、その若い医師は簡単な診察を行い、申し訳程度の点滴を施すと、早朝には自宅へ戻るよう促してきたのだ。
3 ただの体調不良?
日が昇る頃合い。自宅に戻ったNの症状は、一向に改善せず、素人目にも、ただの体調不良ではないことは明らかだった。Nは朝一で、ふたたび病院を訪れると、まともな医師からある病名が告げられた。
それは世界的に見ると高額な手術費がかかることもあり、最悪の場合――命を奪う恐ろしい病だった。
診断の結果は、急性
要するに、ただの盲腸である。
その日のうちに、Nは入院。
その日のうちに、彼は恰幅の良いベテランナースに陰毛をツルツルにされた。
その日は記念すべき、人生初の医療剃毛プレイをした日になってしまった。
入院した翌日、Nは手術台に寝かされ、全身麻酔で意識を持っていかれ、あられもない姿で、体をあれやこれやされてしまったのだ。
4 小児科という監獄
術後。
Nが目覚めたのはストレッチャーの上で、病室へ運ばれる途中だった。朦朧とする意識の中、腹部に鈍い痛みを感じたが、抗えない眠りに引きこまれていった。
午後。
Nは、とんでもない腹部の痛みに目をこじ開けられた。
「い、あっ……!」
最初に発したのはセンテンスに満たない肉声で、逆に言えばそれしか発せず、ただの呼吸でさえ傷口に響いていた。間違いない、これは意識がないうちに右下腹部がザックリと開腹され、虫垂が切除された証である。
ベッドの上で、寝返りすらままならず、起き上がるなんてもってのほかで、力を入れようものなら、腹部の激痛が波のように全身へと広がってゆく。
これでも鎮痛剤を打っているというのだから、本当に笑えない。
「じご、く……だ……」
そんな
Nにはさらなる悲劇が待っていた。彼はまだ中学二年生で、十五歳に届いておらず、病院側の都合によって小児科にぶちこまれてしまったのだ。その大部屋はカーテンで仕切られた小さなスペースとベッドが、八つほど確保されており、出し抜けに窓側から響いてきたのは、
「ぴぎゃあああぁ!」
という黄色い声。加えて、
「あっはっはっ!」
という甲高い談笑だった。
Nは、声の正体が『ちびっ子 with ヤンママ』であることを悟った。
――悟るとともに確信した。そこは病室ではなく、アンビエントミュージックになり損ねた彼らの愉快な咆哮が響く、野獣の檻なのだと。
Nの居住区域は、入口に一番近いベッドで、先人たちと最も離れた位置だったが、それでも『声』という圧倒的な狂気(凶器)は、部屋を反響し、チクチクと傷口を攻め立てた。
ぶつけようのない苛立ち、不安、諦観は心にじわりじわりと浸透してゆき、たった一週間後が、とてつもなく遠い未来に思えた。
5 だんご……?
大部屋にはテレビが設置されておらず、ラジオから流れてくる音質の悪いBGMが時報の代わりだった。それこそが朝、昼、夕、決まった時間に流れる童謡で、
【くしに ささって だんご♪】
入院前に、何度かメディアで耳にしていた大ヒットソングだった。
【みっつ ならんで だんご♪】
それが毎日、風に乗ってNのもとへ速達されるのである。
【しょうゆ ぬられて だんご♪】
最初こそ気に留めなかったが、彼の意志とは裏腹に聴かされ続けるのだ。
【だんご さんきょうだい♪】
頭の中が団子まみれになるのに、そう時間はかからなかった。
夢現。
入院初夜、Nは激痛に叩き起こされる。子供たちが窓辺で寝息を立てている中、ナースコールに手を伸ばし、鎮痛剤を求めた。
『鎮痛剤の量があってぇ――はーい、鎮痛剤はまた明日です――』
しかし、ナースにはいとも簡単に見捨てられてしまった。
闇に溶ける、Nの嘆き。
闇に聴こえる、団子の余韻。
6 追加コンテンツ
翌日。
七時。病室の窓辺に棲む小さな怪獣たちが起床し、静寂は破られる。
八時。食事は、味のしない粥と、薄味おかずと、わずかに冷たい牛乳。
九時。家事を終えたであろうママたちが登場し、
『アッハッハッハ!』
『ぴぎゃあああああぁぁ!』
『だんご さんきょうだい♪』
昨日の再放送が始まる。
十三時。生理現象も苦痛になっていた。
小さいほうは尿瓶でどうにかなるが、大きいほうはベッドですることができない。Nは痛みに耐えながら、点滴を引きずるようにトイレへ行き、和式しかない個室へ入り、どうにか試みるが――
「いっ……!」
腹を切られてまだ一日しか経っておらず、力めない地獄に苛まれた。つまり慢性的な便秘になってしまったのだ。
十五時。ところで、生物がくしゃみをする時はどうするだろうか?
大体の生物は息を吸って、お腹に力を入れて――ハックション!
これが、固定された動作パターンだろう。
しかし、腹を切ったばかりの人間がこれをすると、
「はっ……ハックシ――っ、うっ……痛っぅ……!」
右下腹部の激痛によって動作がインターセプトされ、呼吸が一瞬止まる。体は濁音交じりの悲鳴とともに硬直し、電流のような衝撃に耐えるしかないのだ。
「くしゃみが出せない……」
十八時。不味い夕食 with 夕方だんご。
二十一時。小児科、就寝。
二十二時――病室には、あの曲が聴こえてくる。
こんな時間まで流すなんて、非常識にもほどがある!
Nは怒りに任せて目を開いたが、病室は静まり返っていた。
いちばん うえは ちょうなん♪
いちばん したは さんなん♪
あいだに はさまれ じなん♪
「だ、だんご……三兄弟……」
どうやら非常識だったのは、耳の穴に団子が詰まっている中学生のほうだったらしい。幻聴の追加コンテンツによって、Nのストレスは加算されていった。
7
入院から三日も経つと、ベテランナースによって辱められた下の毛が生えてきて、傷口とは別の場所がチクチクし始めていた。
Nへの苦行は、まだまだ増えてゆくのだろうか? 終わりの見えない日々を過ごす中、見舞いに訪れたNの母が一冊の小説を買ってきた。表紙に『たくさんのタブー』と書かれた、250ページほどの文庫本だった。
「俺、小説なんて読まないって……」
「せっかく買ってきたんだから、それ読んでな」
「えぇ……?」
半ば無理やり
Nは両手でパラパラとめくり、次第に慣れない活字へと意識を沈めていった。文体が独特なのか、不思議と非文学少年でも読み進めることができ、また話が盛り上がったところで、しっかりオチがつくのだ。
それはNの知らない世界だった。この時、初めて『ショートショート』というジャンルを知り、初めてひとつの物語を読み終えたのだ。
彼は満足感というか、自信を得ていた。そうして次が読みたいと、新しい物語に没頭していったのだ。今まで毛嫌いしていた本が――活字が――もう、Nのよりどころになっていた。
彼は毎日、文庫本にかじりついた。一度読んだ話を何度も読み直し、ちびっこ、ヤンママ、団子は眼中から消え、気に入った表現を何度もなぞった。
8 それから
一週間後。
無事に退院したNは、夏休みを安静に過ごし、始業式には、歩いて登校できるまでに回復していた。
Nはのちに、『そして
そこまでにしておけば良かったものの、彼はその快感に味を占めてしまい、富士見ファンタジア文庫を買いあさり、剣とか銃とかでドンパチやるような話の真似事をノートブックに広げていった。
高校に上がると本格的に『小説家になる』なんて戯言を口にしながら、やはり勉強もせずに小説を書き続ける人生を選んでしまったのだ。
――あぁ、嘆かわしい。
そのため現在は重度の、
【物語を書かないと、頭おかしくなっちゃう病】
に
これは虫垂炎に比べてかなり厄介な病で、現代医学では治せないそうだ。
そんなNは現在どうしているかと言うと、某Webサイトにて、
『
というペンネームを使用し、ニッチでまあまあ面白い話を書き続けているそうだ。
まったく、そんな奇妙なWebサイトが本当に存在するのだろうか?
あるなら実際に見てみたいものだが――あるわけないか。
だんご♪
了
少年は監獄(病室)に入る 常陸乃ひかる @consan123
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