カルテット

レベッカ

第1話  食事会への誘い

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。それと同時に、教室の空気が一気に緩む。今日は金曜日。皆、いつもより浮わついてるみたいだ。

「じゃあ、エプロンの提出が出来ない人は宿題ね。片付けが終わった人から帰って良いよ」

 アナ先生の一声で、みんな一斉に動き始めた。

 ソーイングセットを片付け始める子がほとんどだけど、残ってやっていく子もチラホラいるみたい。

 あと一息ってところなのかも。

 それを横目に、作業台の上に広げている数学のプリントをファイルにしまった。

 課題のエプロンは、前回の授業時に提出済み。だから今日は、珍しく出された宿題を片付けていたのだ。

 本当は、まだ出来ていない子を手伝った方が良いのだろうけど……大抵は仲の良い友達同士で助け合うし、このクラスには一人、家庭科が得意で、愛想も良い子がいるから、その子の方に聞きに行く。

 まあ、私としてはゆっくり宿題が出来たから都合が良かった。おかげで、全部終わったもの。ミスの確認までバッチリだ。

 これで土日はのんびり過ごせる。何をしようかな?

 立ち上がって、お気に入りのリュックを背負う。

「あ、セーラちゃん待って!」

 慌てたような声がした。振り向くと、金髪の女の子がスマホを片手に駆け寄ってきた。

 名前は、カレンさん。

 話をしたことはない。私の名前、知ってるんだ。

「どうしたの?」

「今、ルーク君から連絡があってね、『図書室で待ってる』だって」

 ルーク。その名前に、思わず眉をひそめた。

「い、嫌そうな顔だね。でもまあ、伝えたから! また来週ね!」

 カレンさんは軽く手を振って、裁縫を続けてる子達の所へと戻っていった。

 居残り組にアドバイスをしているみたいだ。

 授業中もずっと教えてたのに、すごい。

 面倒見が良いのか、お人好しなのか。……どっちでも良いか。関わる事なんて、ほとんどないし。

 それよりルークの件だ。どうしよう。

 廊下を歩きながら考える。足が重たい。

 本音を言えば、行きたくないし、顔を合わせたくない。いっそのこと、このまま帰ってしまいたい。けど、それはそれで後が面倒臭い。

 前に呼び出しをすっぽかしたときは、翌朝、私が家を出る時間に合わせてわざわざ家の前で待っていた。あれじゃあ回避のしようが無い。朝一で顔を合わせる、なんてことは御免被りたい。(そもそも、なんで家を出る時間を知ってるんだ)

 となると、行くしか無くなるわけで……。

「はぁ」

 ため息が出た。いくら自分を納得させようと、嫌なものは嫌だ。

 いまだかつて、図書室に向かう足がこんなに重かったことはない。お気に入りの場所なのに……。

 なんて思っていたら、図書室はもう目の前。いつもは何とも思わない〈開館中〉の文字が、今、この瞬間だけは恨めしい。

 ――いや、うだうだしてないで、さっさと用件を済ませてしまおう。じゃないと、嫌な時間はどんどん延びていく一方だ。

 よし。

 半ばヤケになって、ドアを開けた。すると、入ってすぐの学習スペースにルークの姿が見えた。一心不乱に鉛筆を動かしている。

 宿題? でも、ルークがあんなに必死になるなんて、珍しい。大抵のことは、そつなくこなすのに。

 少なくとも、主要科目で苦戦している姿は見たことがない。

 何の教科か気になり、こっそり背後に回って、覗き込んでみる。ノートと一緒に、絵画やら宝石やらの資料が広がっていた。

「どうしたの、これ?」

「うおっ!?」

 ルークの声が図書室中に響いた。近くにいた数人の生徒の視線が集まる。

「すいません!」

 ルークが謝ると、生徒達は苦笑し、それぞれの作業へと戻っていった。

「図書室で騒がない」

「驚かすからだろ!」

「こんなに近くに来たのに、気付かない方が悪いでしょ。それで、どうしたの? これ」

 資料を指差すと、ルークは顔を掻きながら口ごもった。

 普段の、バカ正直で、聞いたらスマホのパスコードでさえ教えてくれそうなルークからは想像が付かない。あまりにも歯切れが悪い。

 まあ私としては、コイツが美術品について調べてるのが物珍しくて聞いてみただけで、本人が答えたくないなら、それはそれで良い。

「で、何の用?」

「そうだった。ちょっと待ってて」

 ルークはいそいそと片付けを始めた。

 プリントの上下や順番を整えずにノートに挟み込んでる。

 その様子を眺めていると、周りのささやき声が耳に入ってきた。

「アイツら、仲良いよな」

「それな。何だかんだで、一緒にいること多いし」

「あの子、手伝ってあげれば良いのに」

「セーラちゃんだから仕方ないよ。いっつもお高くとまってるじゃん」

 色々な声が聞こえてくる。こちらを睨むような視線も感じる。やめてよ。不快でしかない。

 ルークに憧れている子は沢山いる。

 カッコ良くて、優しくて、頭も運動神経も良い。先生方からの信頼だって厚い。これだけ揃っていれば、学校の人気者になるには十分だ。

 その人気者が、可愛げの欠片も無いヤツとつるんでたら、そりゃ、良い気分にはならない。

 それに、話しかけたくても出来ない子がいることも、知ってる。オドオドして、結局勇気が出せなくて諦めた子を何度も見てきた。嫌味の一つや二つ、言いたくなるだろう。

 けど私だって、一緒にいたくているわけじゃない。ルークがうるさいくらいに構ってくるだけ。

 言いたいなら嫌味だって何だって言えば良い。でも、あまりにも理不尽で、モヤモヤするのだ。

「セーラ、お待たせ!」

 ルークが、リュックを背負いながら言った。何にも聞こえてなかったのか、柔らかい笑みを浮かべている。

 私の気持ちなんて、一切わかりませんって顔。

 イライラする。

「人を呼んどいて、待たせないでよ」

 いつもよりきつい声が出た。自分でも分かる。

「ゴメン、ゴメン。……早く行こ」

 ルークは気にした様子もなく、私の手を引いて歩き出した。

 廊下はさっきよりも大分、騒がしくなっていた。

 捕まれた手首を、そっと外す。

「……で、どこ行くの?」

「オレの家。実は昨日、母さんが帰ってきたんだ。それで、良かったらセーラも一緒に夕飯食べないかって」

 ルークの声は、いつもより明るい。喜んでいるのが伝わってくる。

 それもそのはずで、ミシアさんが家にいることはほとんどない。何の仕事をしているのかは分からないけれど、世界中を飛び回ってるのだ。

 去年は帰ってきたと思ったら二、三日でまた仕事に行ってしまったらしい。私は直接会えなくて、後からルークがミシアさんからのお土産とメッセージカードを届けに来てくれた。

 いらっしゃるなら、もちろん会いたい。

「うん。そういうことなら、行きたい。でもその前に、何か手土産を買いたいんだけど、良い?」

「時間はあるから構わないけど、そんなに気を遣う必要はないと思うぞ?」

「気を遣うとか、そんなんじゃない。マナーの話。余所の家でご飯をいただくのだから、これくらいは当然」

 それに、日頃のお礼だってしたい。

 けっこう頻繁に電話やメールをくれるし、現地からお菓子や小物を送ってくれることもある。たいそうなことは出来ないけど、せめて、ありがとうございますっていう気持ちだけは伝えたい。

 それなのにルークは不満げだ。

「マナー、ね。セーラがそうしたいならそうすれば」

 何よ、その言い方。

 ムッとして睨み付けると、ルークも口を尖らせてこっちを睨んでいた。完全に拗ねてる。

「どうしてそんなに、不機嫌になるわけ? マナーはマナーでしょう?」

 言いながら、生徒玄関のドアに手を伸ばした。すると、ドアノブに手をかける前にドアが開いた。

「どうぞ。マナーはマナーだからな」

 つっけんどんに言いつつも、ドアを手で押さえて、私を先に行かせようとする。

「……ありがと」

 外に出て、腕時計を見ると三時半になろうとしていた。

「夕食会は何時から?」

「六時。だから、急がなくても良いよ。家でゆっくりしなよ」

 そうは言っても、五時半にはルークの家に着いていたい。食事の準備を手伝わないと。せめて、お皿を並べるくらいはさせて欲しい。

 あ、その前に、手土産は何にしよう。カップケーキが王道だけど、日持ちしにくい。

 クッキー、とか?

 そしたら、家とは反対方向だけど街の方に専門店がある。その隣は本屋さんになってて、多分、誘惑に負けて寄り道しちゃうだろうけど……。いざとなったら、バスに乗れば間に合う。

「じゃあ私、クッキー屋さんに行ってくる」

「ん? もしかして〈工房・フラワー〉? オレも行きた……冗談だって! そんなに睨まなくても良いじゃんか!」

 笑える冗談と笑えない冗談ってものがある。

 コイツと出かけるとか笑えない。極力、一緒にいるのは差し控えたい。

「じゃ、私行くから」

「ああ。また後でな」

 校門を出て、ルークとは反対方向に足を向けた。工房はここから歩いて三十分かからないくらい。巡回バスがあるから、帰りは出来ればそれに乗りたい。荷物を持って歩きたくないし。何時に来るかは見当もつかないけど。時刻表なんて、あってないようなものだ。

 のんびりと歩きながら周りに目を向ける。

 街はチラホラと、ハロウィーンの色に染まりつつあった。小さい物から大きい物まで、色々なジャック・オー・ランタンが飾られている。

 紫や黒、オレンジの電飾やリボンも華がある。

 そっか。もう、そんな時期なんだ。

 ふと、学校帰りと思われるグループが、いくつか目に入った。背が高くて私やルークよりも雰囲気が大人っぽい。

 高校生くらいかな?

 ブティックのショーウィンドウを覗いてみたり、アイスを片手に写真を撮ったり。

 とても楽しそう。

 私は、あんな風に過ごしたことはない。そもそもの話、友達がいた記憶がないんだ。だから、ああやって過ごしているのを見ると、小説を読んでいる気分になる。

 現実味がないっていうのかな。

 ルークは……何かと構ってはくるけど、友達とは違う気がする。幼馴染みとか、腐れ縁とか、そういう言葉の方がピッタリ。

 友達がいたらどんなかなって、考えなくもない。

 いなきゃいないで十分に生きていけるし、今までだって、差し障りなく過ごしてきた。

 けど、もしも……って。

 モヤモヤした気持ちで歩いていると、食欲をそそられる甘い香りが漂ってきた。いつの間にか工房に着いていたみたい。

 ――気にしてても仕方がないか。ないものはないんだから。

 気を取り直して、扉を開けた。チリンチリンと、高くて澄んだ音が鳴る。さっきよりもずっと強い甘い香りが、私を包んだ。

「いらっしゃいませ」

 店員さんが笑顔で言った。

 ショーケースに目をやると、「私を見て」といわんばかりに、色とりどりのクッキーがたくさん並んでいた。

 さすがは専門店。種類が豊富。ちょっと楽しくなってきた。

 どれにしよう。

 一つ一つに目をやりながら悩んでいると、ケースの端の方に、詰め合わせになっている物を見付けた。

 ストロベリーに抹茶、バターにチョコチップ。色々な種類が入ってる。

 へぇ、限定フレーバーも入るんだ。今月は、ブルーベリー味とパンプキン味。

 ちょっと面白そう。量も丁度良いし、これにしよう。

「すみません。これ1つ、お願いします」

「はい。かしこまりました」

 会計を済ませて外に出た。1つ手前の信号に、青いバスが止まっている。

 あれは、多分周回バスだ。ちょうど良かった。本屋さんは……うん。今日は我慢、しよう。

 足早に近くのバス停へ向かうと、そこには気ままにお喋りを楽しんでいるおばさま方がいた。

 持ってる袋はバラバラだから、グループではなさそう。

 待ち時間が暇だから話し込んでるといったところかな。この辺の人達は気さくな人が多いし、こういう事は珍しくない。ちょっと時間があるときに、近くにいる人とお喋りする姿はよく見かける。

 この間なんか、公園のベンチに座ってたら犬を連れた知らないお婆さんに話しかけられた。

 ちゃんと返事ができていたのかは、怪しいところだ。

 知らない人に話しかけるなんて、私には到底無理。

 バスが来て、乗り込んでも会話を続けている。

 巻き込まれたら、やだな。少し離れて座ろう。

 おばさま達の賑やかな話し声をBGMに、窓の外を眺める。坂を上って行くにつれて住宅が多くなっていく。

 学校前のバス停に止まり、おばさま方は降りていった。そのまま誰も乗り込むことなく、バスが発車する。

 乗客は、私一人だけ。エンジン音だけが静かに響いている。

 さらに坂を上ると、家も人通りも少なくなった。

「間もなく、オールドローズ前、オールドローズ前」

 あ、降りなきゃ。

 降車ボタンを押すと、バスはゆっくりと止まった。運転手にお礼を言いながら下車する。

 時間を確認すると、まだルークと別れてから一時間しかたってなかった。

 1回家に帰って、お茶を飲むくらいはできそうかな。

 私の家は奥の方で、ルークの家はその斜め向かい。急ぐ必要はない。

 袋を右手に持ち替えて、広い通りを歩く。

 ここはいわゆる高級住宅街で、家と家との間隔がけっこうある。つまり、庭が広くて住宅の数自体は多くない。だからその分、人の通りも少ない。

 それがわりと、居心地よかったりする。

 余計なものを見聞きしないですむから。

 自由な感じがするっていうのかな?

 ちょっと前、ルークに話したら、理解できないって反応をされた。

「誰かと騒いでる方が絶対楽しいね!」

 という事らしい。

 それでいて、私にちょっかいかけて来るんだから、尚更。騒がしくしている方が好きなら、態々私に構わなくても良いじゃないか。

 せっかく、一緒にバカ騒ぎできる友達が沢山いるのだから。

「おーい、セーラ!」

 急な大声に驚いて、立ち止まった。

 声のした方を見ると、ルークが家の二階から身を乗り出している。下手すれば落っこちそう。

「どこ行くんだ? お前の家、そこだろ?」

「え……? あ……」

 家の門を過ぎてしまっていた。

 つまらない考え事なんてしてるからだ。

 しかもルークに見られてたなんて……最悪。

「気ィ付けて歩けよー!」

 ニカッと効果音を付けたくなるような笑顔を浮かべて、ルークは家の中に戻っていった。

 しっかりしなきゃ。

 あれこれ考えるのは、今日はもうやめ。ろくな事にならない気がする。

 少し昼寝でもして、気分切り替えよ。

 私は家の門をゆっくりと開いた。

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