ずるずる

夢幻

第1話 その音

 音が聞こえた。それは奇妙な、小さな音だ。なにが奇妙なのかと言えば聞こえてくる場所だ。その音は、見つめる天井の向こうにあった。


「だから!ねえパパってば、私の話ちゃんと聞いてる?」


 凪見響歌は咥えたポッキーを上下に動かして言った。


「聞いてる聞いてる!ちゃんと聞いてるって。音だろ?ネズミか何かの」


 響歌は片手で顔半分を隠した。呆れている。


「誰がネズミって言ったの?違うでしょ?変な音って言ったの!」


 父親の凪見大介は天井を見上げた。


「でもな、普通はネズミしかいないだろ?天井裏だぞ?他になにが居る?ゴキブリか?」

「ゴキはあんな音しない!」

「あんなって?」


 ポッキーを噛み砕いて響歌は立ち上がった。


「ほら!やっぱり聞いてないじゃん!ネズミとかゴキみたいな軽めの音じゃなくて、もっとこう……ズ……ズズ……みたいな」


 言っていて気味悪くなった響歌は口を尖らせた。大介はため息を零した。


「まあ、家が鳴るってのも普通にあるし、もう少し様子見てご覧。ところでパパはもう行くけど、学校の方、頑張れよ。留学も狙ってるんだろ?パパが出来る援助はするから」


 言われた響歌は今しがたの勢いもどこへ行ったのか、大介に抱きついた。


「やっぱパパが一番だわ」

「ママに言うぞ」

「平気、ママもそう言ってたし」


 呆れて大介はバッグを持った。


「じゃあな、戸締まり絶対だぞ?今は色々と危ないから。てか、沙弓がいたらヒグマ飼ってるようなもんだから大丈夫だろうけど。その沙弓にもよろしく言っといてくれ」


 ドアに向かう。


「わかってまーす!てかこの家ってセキュリティー半端ないよね?外から入り込めないんじゃないの?おじいちゃんってなにやってた人?ものすごいお金持ち?」


 振り返った大介は苦笑した。


「それでなんでパパは会社の資金繰りで年中オタオタしてるんだ?」


 笑い、ドアから出て行った。窓辺に走って外を見下ろすと、屋根付きの車寄せから大介の乗用車は出て行った。門を出ると、背の高い鋼鉄の柵は自動で閉まった。


「ふう……」


 大きなため息を一つ零すと、響歌は二階のリビングから廊下奥にある自室に向かった。

 大学進学を機に、一人暮らしをしたいと言い出した響歌に、両親が出した答えは〈ノー〉だった。理由は、大学と自宅は電車で三十分しか離れていないためだ。

「じゃあ子供はいつ独立心を養えば良いの?」と訴える響歌は、三日間のハンストを決行した。すぐに折れたのは大介だった。条件を飲むならば許可すると大介は言った。響歌は大介の話を思い返した。


「大学近くにおじいちゃんの家がある。相続したが、使うあてもないから放置したままだ。住んでいないと家は傷むから、管理を条件に谷津のおじさんの子供の……つまり響歌から見たら従姉に当たる沙弓が住み込んでるのも安心材料だ。沙弓は空手三段で、国際大会優勝経験だってある。パパより強いぞ」


 そんな従姉の存在も初耳だった。どんな希薄な親戚関係なのかと我が身がおかしかった。

 中に入っても大介の説明は続いた。


「案外綺麗にしているだろ?ここに入るならば許可しようじゃないか。あとは、たまには家に帰ってママに顔を見せること。それが条件だ」


 飲むしかなかった。これでは一人暮らしじゃないじゃないか――とは思ったが、機会は逃せない。早速荷を運び込んだ響歌だった。

 四歳違いの沙弓とは引っ越しの際に会った。そう言えば何処かで会った気もする――というのがお互いの最初の台詞だった。それがおかしくて二人で笑った。

 沙弓とはすぐに気があった。兄弟姉妹のない響歌は、沙弓のような姉が欲しかった。沙弓は沙弓で、響歌のような妹が欲しかったと打ち明けた。最初の夜、二人は沙弓のベッドで一緒に寝るほど仲良くなっていた。

 部屋に戻った響歌はベッドに横になってカレンダーを見た。


「水曜日か……沙弓ちゃん、バイトの日だわね。てことでお夕飯当番は私」


 料理は好きな響歌なので料理の当番自体は苦にならない。跳ね起きようとして天井を見た。


「いつもってわけじゃないんだよね」


 〈音〉は日中は聞こえたことがない。いつも夜、眠る頃に聞こえる。沙弓にも言ったが、沙弓は聞いたことが無いと言った。奇妙なことに沙弓が響歌の部屋に居る時は、その〈音〉は聞こえたことが無いのだ。


「アライグマが棲みつくって話をテレビで見たことがあったなぁ」


 沙弓がぼんやりとそう言ったのを思い出したが、響歌にはそれが小動物の出す音とは思えなかった。


「ま、いっか!とにかくお夕飯しなきゃね!」


 そう言い、響歌は部屋を出て行った。部屋はシンと静まりかえった。

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ずるずる 夢幻 @arueru1016

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