【みんなが幸せになるために必要だった3カ月】

上林 久太郎

第1話【俺と彼女と】

「う、うわ~、切られた、うわあ~、血が、血が・・!警察!救急車あ!。」

 タオルで巻いた包丁を奪い合ってもみ合っているとき、不意に相手・藤村什造が大声を上げた。

 えっ・・・と見ると、藤村什造が左の二の腕を気にしている。腕を下に向けず上にして。数秒すると肘まで伝って一筋の血が流れ、床に血が落ち始めた。

 大変だ、誤って切ってしまった。俺が自殺するつもりで持ってきていた包丁だったのに。巻いていたタオルがもみ合っている間に綻んだのだろうか?床に落ちている包丁を見ると、タオルがわずかだがズレて包丁の先がきらりと光って見えた。と言ってもほんの数ミリだった。深い傷ではないだろう。

 それでも手当てしなければ、と俺はそう思って藤村什造のもとに寄ったが、

「近寄るな!けだもの!。」

と言って俺を寄せ付けなかった。それどころか、

「おい!警察と救急車はまだか!。」

と家人をせわしたてた。俺にはどうしようもなかった。ただ見ているしかなかった。

 藤村家の家人が連絡したのだろう、やがて住宅街に響き渡るパトカーと救急車の音に近隣の人たちがワイワイと集まる中、俺は警察に捕まることになった。



 俺の名前は田村圭一郎。27歳。住所。○○市△△町3-15。誕生日は9月××日。

 高校を卒業後、派遣で仕事を約2年のサイクルで転々としながらやってきた。

 そんな俺もようやく24歳の時に自分の性に合う職場に巡り合い、頑張って成果を認めてもらって正社員採用してもらうことになった。

 そして、2年が経って昨年の4月に俺は運命の出会いをした。その年の定期学卒で入社した女性の中に、天使を見つけた。透き通るような肌。肩まで伸ばした髪はほんの少しだが栗色をしている。装飾品もあまり身に着けず、ピアス穴も開けていないのは本当に珍しい娘さんだ。そして化粧も必要最低限。とどめは女性らしいプロポーション、身のこなし。俺の女性の理想像をそのままに実物化したような女性だった。

 昼休憩などにいかにも自然を装って彼女に近づいた。彼女の名は藤村美樹といった。

「はじめまして」

という当たり前の言葉から、彼女との付き合いが始まった。

 週に一度は帰る前に食事に誘ったりした。月に一度は彼女と二人きりのデートをしたりした。彼女と付き合い始めて、俺はどんどん恋に落ちていく自分に気づいた。

 そして付き合い始めて1年以上が経ち、今年の6月のある日。俺は

「美樹ちゃん・・・俺、君のことが好きだ・・・大好きだ。俺は今、君のために僕は生れて来たんだと思っている・・・。君の一生を守っていきたい・・・だから、結婚してもらえませんか?。」

と思い切って告白し、プロポーズした。

「うれしい・・・ありがとう・・・だけど・・・。」

彼女は寂し気な顔をしながらそう言った。そして、

「お父さんが知ったらどういうかしら・・・。」

と言った。彼女の表情が気になって俺は

「君のお父さん、どんな人なの?。」

と訊くと、

「いろいろと気難しくて、頑固で、言い出したら家族が何言っても聞かない、耳を貸すこともない、怒らせたら怖い人・・・。」

「本当に?」

と言いながら俺は少々怖気づいた。「なーんて、嘘よ」という返事を期待したのだが、彼女は

「だから中学校から大学まで、私が行ったのは男子の居ない女子校だったし、就職活動始めた時だって

『女はいずれ結婚して子供を育てるという大事な役割を持っている。会社で働くのは男に任せておけばいいんだ。だから、お前は会社ではなく家で働くための花嫁修業に専念しなさい。お前の将来の旦那になる人は私に任せておきなさい。』

って言って聞かなかったから、説得するのは大変だったわ・・・。ホント、いつの時代の話よ?って感じだった・・・。

 だからこれまでの圭一郎さんとのデートの時も、大学の時の友達とか会社の女性友達と会うっ、てお父さんには誤魔化してきた・・・実はそれが圭一郎さんと会っていた、なんて知ったらどうなるかしら・・・。」

と言った。

 確かにこんなにも可愛らしいお嬢さんなんだから大事にしたいと思うのは当然だろう。だが、逆に俺の男心に火が付いた。

「じゃあ、俺が挨拶兼ねて美紀ちゃんのお父さんを説得に行くよ。」



 彼女のお父さんに会いに行く前、俺は実家の両親に美紀を紹介し、会わせた。母は

「あらまあ、圭一郎にはもったいないくらいに可愛いお嬢さん。」

と迎えてくれたが、彼女が自己紹介で自分のプロフィールや家庭事情を話すと、父の顔色が少し曇った。そして俺を別の部屋に呼び、

「圭一郎・・・本当にあの子が好きなのか?。彼女は諦めたほうがいいと思うぞ。父さんはあまり賛成できん・・・。」

と言ってきた。

「なんでだよ!。」

 俺はそう言い返した。すると父は自分のスマートフォンを俺に見せた。画面には彼女のお父さんの勤める会社についての情報が表示されていた。

「いいか、結婚というのは二人だけのものじゃないんだ。お互いの家族同士の付き合いになるんだ。ウチと、彼女の家族だ。お前と美樹さんを応援したいとは思うが、父さんは家族同士が合うとは思えん・・・。よーく考えろ。」

と父は俺を説得するように言ってきた。父のスマートフォンの画面には誰もが知っているブランドの服飾会社が表示されていた。父が勤める会社とは規模が何十倍も違うのは俺にも分かっていた。

「・・・わかったよ、でも・・・彼女のお父さんに話してみて、もしそれでOKもらえたら、・・・いいよね?。」

「ああ。だが、引き際も大切だぞ。お前は無鉄砲なところがあるからなあ、父さんは心配で言ってるんだからな・・・。断られたら諦められるのか?。」

 父の言葉に俺は逆に気合が入り、

「・・・諦めるもんか。絶対に認めてもらうから!。」

と興奮気味に決意した。



 日を改めて彼女と待ち合わせ、彼女のお父さんが家で待つ藤村家を訪ねた。

 家は綺麗に整備されたニュータウンの中でも立派なたたずまいの家だった。俺は武者震いがした。

 美樹の案内に従って玄関から入るときに「失礼します」と遠くまで聞こえるよう大きめの声で挨拶したが、家の中からはなんの反応もなかった。

「お父さんったら、出迎えぐらいすればいいのに。」

と美樹は愚痴を言いながら

「上がって。」

と俺をリビングのほうに案内してくれた。

 美樹がリビングルームの扉を開けた。

「失礼します・・・。」

と言いながら中に入ると、美樹の父親、藤村什造氏がどっかとソファに座って腕を組んでこっちを睨むように見て来た。そして、

「何者だ?。」

と俺を睨みながら訊いてきた。俺は直立の姿勢から深く頭を下げ、

「あ・・初めまして。私は田村圭一郎といいます。美樹さんとお付き合いさせていただいています。」

と自己紹介した。が、藤村什造氏は表情を全く変えなかった。それどころか、

「どこの馬の骨か知らんが、帰りたまえ。そして、今後娘と会わないと約束してくれ。」

と言い返された。すると美樹が

「ちょっと、お父さんいきなりそんなこと言わないでよ。失礼じゃない。」

と言い返したが什造氏は

「お前は黙ってなさい。夕べ聞いた。最終学歴が高卒?。で、派遣社員であちこち転々としていた、だと?。話にならん。そんな男と付き合っていたとは・・・。」

と身も蓋もない言い方をされた。その言葉に俺もつい黙ってられず

「今は正社員採用してもらっています、美樹さんと同じ会社で働いています。」

と言い返した。その言葉が気に入らないのかなんだか知らないが、什造氏は

「そんなことはどうでもいい!。君の話など聞く気はない。帰りたまえ。そして、二度と娘と会うな!。わかったな。」

「ちょっと待ってくださいよ!。そんなの納得できないですよ。高卒だからって、何なんですか今時!?。」

と俺は食い下がろうとした。すると什造氏は立ち上がり俺に迫りながら

「いいか。高卒ってのは、それだけで将来が終わってるんだ。役職も上がらん、給料も直ぐ頭打ち。そんな男に女を幸せにできるはずがないだろう!。」

と凄んできた。

「そ・・・それいつの時代のはなしですか?。それに、やって見なきゃわからないじゃないですか。」

と言い返したが、全く耳を貸すこともなく、

「さあ、帰った、帰った!。」

と俺をリビングルームから追い出し、玄関へと、そして靴を履く間も取らせてもらえず、靴と共に外へと放り出された。

 家の中から美樹の泣き叫ぶ声が聞こえたが、俺にはどうすることもできなかった。

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