幼馴染とすれ違い、ついていけなくなった僕が、ただ諦めるだけのお話
くろねこどらごん
第1話
僕には幼馴染がいる。
その子はティーシャといって、神様に愛されて生まれてきたとしか思えないほど、全てに恵まれた女の子だ。
道を歩けば誰もが振り向くほどに容姿端麗。天使のように心優しい性格。さらには魔法の才能まであるという、完璧という言葉すら生ぬるい。それがティーシャという少女だった。
一方、僕はどこにでもいるただの平凡な村人だ。
強いて人より優れているところを挙げるとすれば、多少なりとも魔法を使えるくらいだろうか。
ただ、それもティーシャがつきっきりで教えてくれたおかげだし、未だに僅かな初級魔法しか使えないのだから、あまり褒められたものではないのだけど。
そんな僕がティーシャと仲良く出来た理由は、小さい頃にいじめられていた彼女を助けたからだ。
幼い頃から秀でた才能を見せたティーシャを妬んだ村の子たちからいじめれていた彼女を助けたのがきっかけで、僕たちは仲良くなった。
でも、今思えばそれは間違いだったのかもしれない。
あの時ティーシャを助けたこと自体には後悔はないけど、あれ以来彼女は僕に依存するようになった。
どこかに行く際には常に僕の後ろをついて歩くようになったし、話し相手も家族や魔法を教えてくれる村の教会にいる神父さんと、たくさんの本を持ってる村長といった大人くらいで、子供だと僕だけだった。
僕が両親の仕事を手伝ってる間、彼女は教会で教えを請い、村長の家で本を読んだ。
そして夜になると、こっそり僕の部屋へ来て、明かりの魔法を灯しながら魔法を教えてくれた。
彼女が教えてくれる魔法に僕はすぐに夢中になり、他の子と遊ぶことはしなくなった。
ティーシャも嬉しそうだったし、それでいいと思った。
お互いがお互いを必要とする、ふたりだけの閉じた世界に僕らはいた。
幼い頃はそれで良かった。でも、時間というものはどうしたって流れていく。
成長しても僕らの関係は変わらなかったけど、それでもやがて転機が訪れた。
僕らが15歳になった頃、村にひとりの魔術師がやってきた。
なんでも村の神父様が前々からティーシャの才能を上の人たちに手紙で伝えていたらしく、用事がてら村に寄ってみたのだそうだ。
ティーシャの才が本物であるかを確認したいと言われ、魔術師の前で魔法を披露したところ、その魔法の才能を認められたティーシャは、王都の学園に通うことになった。
そのことに驚きはなかった。ティーシャはこんな小さな村にいるのももったいないと、村の皆は常に言っていたし、僕もそう思っていたからだ。
彼女がこの村に留まることはないだろうとは、薄々ながら分かっていた。
成長したティーシャは昔よりずっと綺麗になっていたし、頭だって僕より遥かにいい。
昔から魔法を習っていたのに、未だに初球魔法しか使えない僕とは違い、ティーシャは様々な魔法を使えた。
特に癒しの魔法が得意で、ティーシャのそれは身体の傷だけではなく、心まで癒してくれるのだ。
そのことに神父様も驚いていたし、彼女が特別な存在であることは間違いない。
そんな子がいつまでもこの小さな村に留まっているなど、あまりにもったいないし可哀想だと誰もが思っていたはずだ。
だからティーシャと離れる覚悟は、もうとっくの昔に出来ていた。
このまま彼女と離れ離れになり、僕はこの村でこれからも過ごし、ティーシャは本来いるべき場所に行くだけだと自分に言い聞かせていた。
だけど、そうはならなかった。
ティーシャが、僕と一緒でないと王都に行かないと言い出したのだ。
正直、嬉しかった。
ティーシャも僕と一緒にいたいと思ってくれているのだ。
彼女に想いを寄せている身としては、勿論離れたくなんてなかった。
だから、彼女が必要としてくれたことが嬉しくて、大事なことを見落としていた。
僕はただの村人で、学なんてこれっぽっちもない。
本も読めなければ字を書くことだってロクに出来なかった。
ただ畑を耕す手伝いをするだけの生活に、それらは必要なかったからだ。
ティーシャが出来たのは、優秀で大人に目をかけてもらってたことと、彼女自身の物覚えが凄まじく早かったからに他ならない。
要するに、ティーシャは天才だったのだ。
その証拠に、学園に入学するまでの半年間、彼女につきっきりで勉強を教えてもらったのに、僕はなんとか最低限の読み書きが出来る程度の実力しか身につけることが出来なかった。
幼いティーシャは、僅か数日で習得出来たのに、だ。
この時点で、本当は気付くべきだったのだ。
僕が、僕なんかが、彼女についていけるはずがないのだと。
だけど、気付きたくなかった。だから目をそらした。
ティーシャと僕は住む世界が違う人間であることを。
彼女が必要としてくれているのだからと、必死に気付かないフリをした。
村長や神父さんも、本当は分かっていたと思う。
でも彼らは結局最後までなにも言わず、出発の日に僕らのことを笑顔で送り出してくれた。
僕たちのいた村は、あまりに小さく、そしてあまりに優しすぎた。
だからそこから出た以上、こうなるのは当然だったというべきなんだろうか。
学園に入学して、それなりに時が経った頃、僕は同級生にいじめを受けた。
殴る蹴られるは当たり前。
ひどい時は新しく覚えた魔法の実験をしたいからと、試し打ちをされることもある。
彼らのしていることは明らかに度を越えていたが、同級生たちは見て見ぬふりをしていた。
考えてみれば当然のことだ。僕は後ろ盾なんてなにもないただの村人で、向こうは貴族や商人の子息たちばかり。
いじめっ子たちに盾突いて僕の味方をしたところで、メリットなんてなにもないのだ。
むしろ自分もいじめられ、実家に迷惑をかける可能性を考えれば動かないのは無理もない。
彼ら以上の格を持った貴族であれば別なのかもしれないが、そういった人たちは優秀なクラスに固まっており、僕らの方なんて見向きもしない。
後で聞いた話だったが、上級貴族の人たちは学園に入学する以前から他の学び舎にいたり、実家で雇った家庭教師により幼い頃からしっかりとした教育を受けていたのだという。
要は生まれた時から既に立ち位置が違うということだ。
そんな彼らの間に割って入れるとしたら、持って生まれた才能が違う者だけ――そう、ティーシャのような。
最初にそれぞれの能力と適正にあったクラスに振り分けられ、当然のことながら僕とティーシャは別々のクラスになった。
ティーシャと離れ離れになったことに対する不満は勿論あったけど、ティーシャが休み時間ごとに僕のクラスへ来てくれたのでそこまで寂しさは感じなかった。
だけど、それがよくなかった。飛び抜けた才能に加え、容姿にも秀でた彼女が凡人揃いのクラスにやってきて、特定の生徒に楽しそうに話しかけるのだ。
気に食わないと思う人間が出てくるのは当然のことだった。そのことに気付かなかったのは僕のミスだったと言うしかない。
ここは村とは違い、多くの同世代の子たちがいる。
加えて王都の名門校だ。家柄が良く、プライドの高いやつだって結構な数が存在する。
なんであんなやつにあのティーシャが?
ただの平民だろう? それもなんの才能もない。
なんでそんなやつが、この学園に入れたんだ?
そんな疑惑と疑念を抱いた彼らが、実家の金を遣い、僕の経歴を調べることくらい、朝飯前だったのだろう。
あっという間に僕がティーシャのおまけで入学したことを突き止められ、そしていじめられるようになったというわけだ。
そのことを理不尽だと思ったことは何度もある。
でも、向こうからすれば、僕のことも理不尽だと思っていたのだろう。
たまたまティーシャと同じ村に生まれただけのやつが、特待生として同じ学園に通っている。
授業についていくのがやっとの有り様で、成績がほぼ最下位のやつがだ。
そのこともプライドが高い彼らは許せなかったに違いない。
――――天才の腰巾着。天才のおまけで入学できた才能ナシ。
いつしか僕は、陰でそう言われるようになっていた。
色々言われることに関しては、仕方ないと諦められた。
ただひとつ恐れたのは、ティーシャの耳に噂が伝わるかもしれないということだ。
僕とティーシャが仲良くなったきっかけは、彼女をいじめから助けたことだった。
そのことは、僕の数少ない誇りだ。だけど、今僕がいじめられていることをティーシャが知ったら、どう思うだろうか。
幻滅されるかもしれない。あるいは、手を差し伸べて助けてくれようとするかもしれない。
……どちらも、嫌だった。
僕はティーシャの前で、弱い自分を見せたくなかった。
ちっぽけな、だけどどうしても捨てられない、男としてのプライドがあった。
「ハルド!? その傷、いったいどうしたの!?」
だけど、ある日彼女に見つかってしまった。
いつものようにいじめという名の暴行を受け、傷を隠しながらこっそり帰ろうとしたときに、ティーシャと出くわしてしまったのだ。
「いや、ティーシャ。これは、ちょっと転んで……」
「転んだっていう傷じゃないよ! ひどい……待ってて。すぐに治すから!」
そう言って手から淡い光を発するティーシャ。
彼女の得意な癒しの魔法だ。その力の凄さは何度も見てきた。
傷が瞬く間に治るだけでなく、心の傷すら治してくれる、まさに神の御業というに相応しい魔法。
「やめろっ!」
だけど、それを僕は拒絶した。
魔法が発動しようとする直前、思わず彼女を突き飛ばしていた。
「……え? え?」
ティーシャはなにが起こったのか、分からないという顔をしていた。
それは多分、僕も同じだったと思う。何故こんなことをしたのか、自分でも理解出来なかった。
――いや、違う。本当は分かっていた。
僕は彼女に心を癒されたくなかったのだ。心が癒されて、いじめなんて大したことない、ティーシャに全部話してしまおう。
そんなふうに考えてしまうようになってしまうのが怖かった。
それから、僕はティーシャと距離を取った。
ティーシャと顔を合わせるのが気まずいというのも勿論あったが、距離を取れば噂が耳に入ることもなく、いじめられてることを知られずに済むのではという打算もあった。見栄とプライドがそうさせた。ティーシャは嫌がったけど、授業についていけないから学園ではしばらく勉強に集中したいという理由を付けたら、渋々ながら引き下がってくれた。
そのことは、本当にありがたかった。
彼らが僕をいじめるのは、ティーシャと仲良くしていることに嫉妬しているからだ。
なら、僕とティーシャが近寄らなければきっと自然にいじめも収まっていくに違いない。
でもそれだけじゃ駄目だ。勉強も頑張る必要がある。魔法もだ。
距離を置いている間に少しでも彼女に近づかなくては。追いつかなくてはと、そう思った。
僕の考えは間違ってはおらず、ティーシャと離れたことでいじめは少しづつ減っていった。
だけど、またひとつ新たな問題が生まれた。僕と距離が出来たことで、ティーシャには自由な時間が増えた。その結果、彼女のもとに人が集まるようになったのだ。
元々優秀で社交的なティーシャと仲良くしたいという生徒は多かったらしい。
僕という枷がなくなったことで、自由になったティーシャは持ち前の能力で友好の輪を確実に広げていた。
その過程で王都のお洒落の仕方なども色々教わったらしく、日に日にティーシャは垢抜けていき、輝きを確実に増していった。
そう、増していったのだ。僕の知らない間に。
村にいた頃の面影が、消えていくほどに。
ティーシャと距離を置いて、しばらく経った時のことだった。
学園の廊下で偶然、僕はティーシャと再会した。
普段大勢の人に囲まれていたから、顔もロクに見れなかったけど、この時の彼女はたまたまひとりだったようだ。
「ハルド。久しぶり、だね」
どこかぎこちない笑顔を浮かべ、僕に話しかけてきたティーシャに、僕は戸惑っていた。
以前のティーシャはもっと村娘然としており、髪だって下したままだった。
時々、寝癖がそのままだった髪が跳ねているときもあった。ティーシャはそんな自分の姿を僕に見られるのを嫌がっていたけど、僕はそんな彼女の無防備な一面が好きだった。
だけど、今はどうだろう。髪は綺麗に整えられて光沢を帯びており、一部は編み込みがなされるなど、ひどくお洒落なものになっていた。
「あの時はその、ごめんね。私、ハルドを誤解させるようなことしちゃってたかもしれないし、本当にその……」
「い、いやいいよ。謝らなくても。それより、えと……」
上手く言葉が出てこない。
今のティーシャを見て、彼女がただの村娘だったと思う人はいないだろう。
人によっては貴族の令嬢とすら思うかもしれない。そんなティーシャに僕も見惚れてしまうが、僕の視線を感じ取ったのか、ティーシャは顔を赤らめて目を伏せた。
「ど、どうかな。結構、変われたと思うんだけど……」
「変われたって……」
僕は一瞬、彼女がなにを言っているのか分からなかった。
ティーシャは確かに変わった。あまりにも、綺麗になり過ぎていていた。
僕なんかじゃとても釣り合うはずがないって、自然とそう思えてしまうほどに。
「えっと、友達に言われたの。可愛くなったほうが、きっとハルドも喜んでくれるって」
喜んでくれると、友達に言われた?
確かに可愛くなったけど、僕は別に可愛くなって欲しいなんて頼んでない。あのままでも十分ティーシャは可愛かったんだ。
そもそも、どうして僕に直接聞かなかったんだ? 昔は僕の話を聞いてからどうするかを決めていたじゃないか。
なのに、なんで……。
そこまで考えて、ふと気付いた。
ティーシャはもう、以前のティーシャではないのだ。
この学園に来て、僕の知らないところで彼女は成長していた。
それに比べ、僕はどうだ。
村にいた頃と比べて、少しでも成長したのか?
……答えは分かりきっていた。僕は成長なんかしていない。
髪も服装も芋臭い田舎者のままだ。友達もいじめの件でいなくなり、それ以来ずっと孤立している。
そもそも授業についていくことに必死で、他のことにかまけている余裕なんてなかった。
いや、ついていくどころか、じりじりと引き離されている。
分からない問題。理解できない授業内容。未だ開花する気配すらない魔法の才。
それらが折り重なり、僕の前に立ちふさがる。打ち立てた誓いという名前の理想は、現実の前に押し潰されそうになっていた。
「ティーシャ、僕は……」
自分でも分かるほど、弱々しい声。
幼馴染であり想い人の前で弱音を吐きだしてしまいそうになった、その時だった。
「ティーシャ。ちょっといいかい?」
ティーシャに声がかけれた。男の声だ。
「あ、ルキウス様。なにか御用でしょうか?」
「ハハッ、様はいらないって、前から言ってるじゃないか。今度行われる聖女選定の儀について話があってね。少し時間をもらいたいんだけど、構わないかな?」
ティーシャに気安い様子で話かけてきたのは、金髪の偉丈夫だった。
ルキウスと呼ばれたその男は、僕よりずっと背が高く、顔立ちも整っていたが、なにより印象に残ったのはその堂々とした振る舞いだった。
間違いなく貴族、それもかなり爵位が高い家に生まれた人だ。
一切臆することなくティーシャに話しかけたその顔には、自分が優れた者であるという確かな自負があった。
「その話でしたら、その、私は……」
突然現れた男に気圧されていると、ティーシャがちらりと横目で僕を見てくる。
そこでようやく僕の存在に気付いたのか、ルキウスはこちらに視線を向けた。
「彼は……ああ、もしかして、ティーシャが以前から言っていた、同じ村に住んでいたという幼馴染かい?」
「ええ、ハルドっていいます……えっと、ハルド。こちらの方は、ルーヴェイン公爵家の嫡男で、ルキウス様っていうの。私と同じクラスなんだけど凄くいい人で、いつも助けてもらっているんだよ」
ティーシャがルキウスのことを紹介してくるけど、僕はその時既にうわの空だった。
――――勝てない
何故だろう。無意識のうちに、そう思っていた自分がいた。
ティーシャが彼のことをどう思っているかなんて分からないし、彼がティーシャのことをどう思っているのかすら分からないのにも関わらずだ。
ただ、一目見ただけで僕が持っていないものを、彼が全て持っているだろうことだけは分かってしまった。
才能も、能力も、容姿も、家柄も。彼はティーシャを釣り合うだけのものを持っているのだと、分かってしまったのだ。
そしてそんなルキウスに普通に話しているティーシャもまた、公爵家の貴族であろうと釣り合うものを持っている。
僕では彼と対等に話すことなど、想像すら出来ない。事実、ルキウスも僕のことなど、目に留めていないようだった。
ティーシャの知り合いだから視界にようやく写った。その程度の存在感しか僕にはない。
(ティー、シャ……)
同じ村人だったのに。同じ場所に生まれたのに。
なんでこんなに違うんだろう。
僕とティーシャは、あまりにも違い過ぎた。
考えれば考えるほど、僕らの差は残酷だった。
対比にすらなっていないほど、今の僕らの間には越えられない壁があった。
「……行ってきなよ」
気付けばそんな言葉が漏れ出ていた。
もうこれ以上、ふたりの姿を見たくなかった。
「え、でもハルド。私……」
「いいから。大事な話があるみたいだし、公爵家の貴族様を待たせるなんて良くないよ」
貴族よりも僕のことを優先するなんて、本当に村人であればあり得ないことだ。
でも、ルキウスは待っていた。ティーシャを急かすこともせず、僕らの会話に割って入ることもなく、ただその場に立っているだけ。
「……分かった。じゃあ行くけど、また今度ゆっくり話そうね。私、ハルドが近くにいないと、やっぱり寂しいよ……」
その時点でティーシャは特別であるということに、彼女自身は気付いているだろうか。
…………この感じだと、きっと気付いていないんだろうな。そのことが嬉しくもあり、同時にとても残酷だと僕は思う。
「ティーシャ」
去ろうとしていた彼女の背中に声をかけたのは、まだ以前と変わらぬティーシャがそこにいると思ったからなのかもしれない。
「ティーシャは……今、楽しいかい?」
この質問が口から出てきたのは、きっと否定して欲しかったからなのだろう。
僕にとって、ここでの生活は決して楽しいものではなかった。
村にいたときのほうが、ずっとずっと良かった。ここは僕のいるべき場所じゃないとは、ずっと思っていたことだ。
だから彼女も、ティーシャも僕と同じ想いを僅かにでも抱いていて欲しかった。
彼女もそうであったのなら、多少なりとも救われる。そう思ったのだ。
最低の考えだってことくらい分かってるけど、それでも僕は否定して欲しかった。
「……? うん、楽しいよ」
だけどまぁ。
そんな僕のちっぽけで浅はかで醜い想いは、ひどくあっさりと砕かれた。
「……そっか。それは、良かったよ」
あまりにも何気なく言うものだから、思わず僕は笑ってしまった。
笑うしかなかった。僕とティーシャの道がもう交わることはないのだと、ハッキリ分かってしまったから。
それからの日々は早かった。
希望を砕かれた僕の成績は、日を追うごとに悪化していった。
きっとあの時、僕の心はポッキリ折れてしまったのだ。
……いや、違うな。これもただの言い訳だ。
結局僕という人間は、ここが限界だったということなのだろう。
学園に入学してもうすぐ一年が経とうとしていたが、進級前に行われるテストで合格しなければ留年することになると先生から告げられた。
留年とはいうが、僕の場合は退学宣告に等しいものだ。
ティーシャのおまけとして入学した僕が、どの面下げて留年など出来るというのか。
たとえティーシャが許してくれたとしても、僕自身が自分を許せるはずもない。
だから当然のように、ティーシャにこのことは話せなかった。いや、たとえ話せる状況にあったとしても、僕の口から告げることはなかっただろう。
ティーシャもまた、今は試験を受けている最中だからだ。
その試験とは、この国の聖女を決める認定の儀だ。僅か一年生ながら彼女は聖女候補として試験を受けており、認められれば晴れて聖女の座に就くことが出来る。
聖女の称号を得ることは、ティーシャに多大な利益をもたらすだろう。村人であったことは遠い過去のこととなり、多くの人たちから羨望の目で見られることになるはずだ。
ティーシャの友人たちも協力し、万全の状態で試験に臨もうとしていると聞いた。
その友人たちのなかには、勿論ルキウスも含まれている。公爵家を含めた貴族のバックアップを受けている今の彼女に、僕が試験に受かるよう勉強を教えて欲しいなどと、言えるはずもなかった。
ならば必死に努力し、自分の力で合格できるようにすればいいと思う人もいるだろう。
だけど違うのだ。僕はこれまで必死に頑張った。僕は僕なりに努力した。
でも駄目だった。僕はこの学園で通用するだけの能力を持ち合わせていなかった。
そのことはこの一年で痛いほどよく分かっていた。もういじめられることはなくなったけど、それは彼らが僕がもうすぐ学園を去ることになると確信しているからだ。
なんなら賭けの対象にすらなっているらしい。ここまでくると笑えてくる。
僕のこの一年は、彼らのゲームを楽しませるためのものに過ぎなかったということか。
「疲れた、な……」
本当に、もう疲れた。
それでもやれることだけはやるつもりだ。やりきってやりきって、それでも駄目だったほうがきっとすっきりするだろう。
そうしてひたすら僕は勉強し、試験の日を迎えた。
その日は奇しくも、ティーシャの受ける認定の儀の日と一緒だった。
そしてティーシャは合格し、聖女となった。
僕は、試験に落ちた。
「聖女になったんだよね、おめでとうティーシャ」
全てが終わった次の日、僕はティーシャをある場所へと呼び出していた。
そこは、僕が毎日通っていた学園の教室だ。待ち合わせ時間に夕方を選んだのは、単純に人がいない時間だったことと、ここから見える夕日を、最後にこの目に刻んでおきたかったからだった。
「うん。ありがとう……ハルドにそう言って貰えて、本当に嬉しいよ」
夕日を浴びながら、ティーシャは僕の前に立っていた。
こうして面と向かい合うのは、あの日以来だろうか。あれから僕は逃げていた。
ティーシャと会うのが辛かった。現実を見たくなかった。だけど、ついに向き合う時が来てしまった。
皮肉なことに、これが最後だと思うと妙に心は落ち着いていた。
「大げさだなぁ。他の人にも、たくさん祝って貰えただろうに」
「他の人は他の人だよ。確かに嬉しくはあったけど……でも私にとって、ハルドは特別な人だから」
はにかむように笑みを見せるティーシャの顔は輝いていた。
一点の曇りもなく、ただただ純粋に綺麗だった。この笑顔が好きだから、僕は彼女のそばにいたかった。彼女は僕にとっても特別な人だった。
「ねぇハルド。あのね、聞いて欲しいことがあるの。私、聖女になれたらハルドに言おうと思っていたことが……」
「ごめん、その前に、僕の話を聞いてもらってもいいかな」
だけど、これからは違う。
違ってしまう。僕らはこれから、別々の道を行く。
「あ、うん。いいけど。なにかな? もしかして、告白――」
「僕、学園を辞めることにしたんだ」
言葉は思っていたより、すっとでた。
言った瞬間、胸の奥にあったつかえが取れた気がした。
「……………………え?」
「試験に落ちたんだ。その試験に落ちたら、留年だって前から言われてた。僕は留年するつもりはなかったから、落ちたら学園を退学しようと決めていたんだ」
ティーシャは僕がなにを言っているのか、分からないという顔をしていた。
元々笑みを浮かべていたのもあってか、半分笑いながら、僕の顔を見つめてきた。
「冗談、だよね?」
「もう手続きも済ませているんだ。退学届も出して受理された。このお別れが終わったら僕は――」
「冗談だよね!? ハルド、嘘を言ってるでしょ! ねぇ、そうなんだよね!? ねぇ!?」
問いかけを無視して話を続けると、ティーシャは僕が真剣だと分かったらしい。
半笑いだった顔には焦りが浮かび、青白くさせながら叫んでくる。
「嘘じゃないよ」
「嘘だよ!? だって、そんな大変な状態だったなら、なんで教えてくれなかったの!? ハルドがそんな状況だって知っていたなら、私すぐに――」
「認定の儀を放り出して、力になってくれたの?」
自分でも意外なほど、静かな声がでた。
僕の言葉を受けて、ティーシャは一瞬視線を彷徨わせる。
だけど、すぐに意を決したのか、まっすぐに僕を見つめ、
「もちろ――」
「駄目だよティーシャ。その先は、言っちゃダメだ」
頷こうとしたティーシャを、僕は止めた。
「君の周りの人たちは、ティーシャのために動いてたんだろう? その人たちの頑張りを否定するようなことをしちゃ駄目だよ……駄目なんだよ、ティーシャ」
「でも、でもっ! 私、私は……!」
「迷った時点で、その先は言ったらきっと後悔するよ。僕はただ、ティーシャが僕を選ぼうとしてくれた、それだけで嬉しいから。だからいいんだ」
ティーシャにも僕以外に大事なものが出来ていた。
そのことに、素直に安心出来た。きっと僕がいなくなっても、ティーシャは大丈夫だろう。
僕でない誰かが、彼女を支えてくれるはずだ。
「……どうして、辞めちゃうの?」
「授業についていけないから、だね。僕、頭悪いから。ここにはもう、いられそうにないんだ。進級出来ていたとしても、どのみちついていけなくなって辞めることになったと思う」
「辞めて、どうするの。村に、帰るの?」
「うん。魔法はあまり覚えられなかったけど、村での生活に役立ちそうなものはいくつか習得出来たし、邪険にされることはないと思う」
淀みなく答えたことから、僕の意思が固いと分かったのだろう。
同時に、察してもいたのだと思う。ここまで話さなかった時点で、僕がティーシャを村に連れて帰るつもりはないのだと。
「ハルドは……私も一緒に学園を辞めて帰るって言ったら、迷惑?」
それはきっと、ティーシャにとっても最後の質問のつもりだったのだろう。
目には涙が浮かんでおり、僅かな希望に縋っているようにも見えた。まるで、あの頃のように。
「うん。ティーシャはもう……あの村に帰るべきじゃ、ないと思う」
そんなティーシャの希望を、僕は迷わず断ち切った。
それがお互いのためだった。元々、もっと早くに僕らの道は分かれていたはずなのだ。
ここまで続いただけでも上出来だろう。だけど、もう終わらせなくてはいけなかった。
「そっ、か……」
ティーシャは諦めた笑みを浮かべていた。
それがひどく、綺麗だと思った。何故かは分からないけど、これまで見てきたティーシャのどんな顔より綺麗だった。
「私ね。聖女になったのは、ハルドが喜ぶからだと思ったの。学園に入ってから、私たちずっとぎくしゃくしてたから。なにか変われば、昔みたいに戻れるかもって……ハルドのために、頑張ったんだよ……」
ティーシャはティーシャなりに、僕との関係をもとに戻したかったんだろう。
でも、もう遅かった。僕は自分に見切りを付けてしまった。
ティーシャは僕との関係が、この先も続くと信じて疑っていなかった。
だから全部終わってから、もう取返しのつかないところにいることに気付いてしまった。
「……ごめんね」
「謝るくらいなら……なんで、どうして……」
ティーシャはもう限界だったのだろう。涙が溢れ、顔がぐしゃぐしゃになっている。
綺麗になったはずのティーシャが、ひどく幼く見えた。
「そばにいてよ。離れてなんて、いかないでよぉ……!」
ごめん、ティーシャ。
それだけはやっぱり、どうしても出来ないんだ。
僕たちはいつの間にか、どうしようもなくズレてしまっていったんだ。
そのズレは直すことは出来ない。元通りになんて、なるはずがない。
癒しの魔法でも、もう直せない。
◇◇◇
某バカゲーRPG実況見ながら書いていたらキャラの名前が影響されてしまい参った次第
補足のために幼馴染視点も書こうか思案中
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幼馴染とすれ違い、ついていけなくなった僕が、ただ諦めるだけのお話 くろねこどらごん @dragon1250
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