花梨へ

あじさい

* * *

 真夜中の高速道路をかっ飛ばす。


 出発前のビールは1缶におさえた。

 飲んだうちに入らないと思っていたけど、さすがに暗い道の120km/h超えはヒリヒリする。

 それでも、踏み込んだアクセルをゆるめる気は起きない。


 ここで死ぬなら、それもいい。

 車が少ない時間帯だから、死ぬとしたら、私1人でぽっくりくことになるだろう。



 私が道交法を全力で無視しているのは、花梨かりんの言いつけを守るためだ。


 花梨と私は中学時代からの学友だ。

 他人の迷惑を考えない私と違って、花梨は誰かの役に立つことが大好き。

 共通点は、同級生と話すより本を読んで過ごしがちだったことくらい。


 読書中、横から突然「なに読んでるの?」とか、「面白い?」とか話しかけられるのは鬱陶うっとうしいと思っていた。

 表紙を見せても大抵の人は無反応だし、知っている作者でも、喜ぶのは一瞬だけ。

 何がしたくて読書の邪魔をしてくるのだろう、といつも不思議だった。


 でも、あれはきっと私に興味を持ってくれていたんだと、今は思う。

 当たり前のことなのに、学生時代は気が回らなかった。


 花梨は中学時代に、私が本から顔を上げるのを待って、話しかけてきてくれた。

 読書家ならではの気遣きづかいだと思う。



 私が読むのは文学にせよエンタメにせよ小説ばかりだけど、花梨の趣味は社会派や古典にかたよりがちな代わりに、戯曲ぎきょくや評論も度々たびたび読んでいた。

 花梨が何か読んでいる、とのぞき込んだとき、それが戯曲だと、思わずしぶい顔になったものだ。

 そんな私を、振り返った花梨が笑った。


「オイディプス?」


「シェイクスピアを読んで、ヨーロッパの運命観って、日本と違うなぁと思って。源氏物語にも予言は出てくるけど、あれはただ物語を面白くする伏線ってだけじゃない?」


「それは分からないけど、平家物語の冒頭に、諸行無常とか盛者必衰とか出てくるね」


「そう、仏教的無常観ね。繁栄はんえい破滅はめつが運命づけられているというより……」


 花梨は言いよどんだ。

 私は少し待ったが、先に思いついたので、勝手ながら言葉を引き継いだ。


「人生万事ばんじ塞翁さいおうが馬というか、悲劇をえがいていても微妙に希望があるし、勝利を描いてもどこかに影があるよね」


 ただの世間話だからと、私は適当なことを言った。


「そう……。まさにそれが、私の言いたかったこと……」


 称賛の言葉に反して、花梨の言葉はやや歯切れが悪かった。

 思い返すと、こういう言語化は昔から私の役回りだったかもしれない。

 たぶん、花梨は一度に考えることが多すぎて、適当な言葉を選び出すことが難しかったのだろう。



 花梨と私は同じ大学に進学したけど、それぞれの生活が忙しくなり、会う機会は減った。


「私、今、小説を書いてるの。公募にも出すつもり」


 久々に顔を合わせた喫茶店で、花梨がぽろりとそんなことを言った。


「へえ……」


 私は中学時代の黒歴史を思い出したが、誰しも一度は書きたくなるものだろうし、恥ずかしがることじゃないよ、とさり気なく伝えたくて、曖昧あいまいな感嘆詞を発した。


「花梨ならきっと良い小説が書けるよ。私も陰ながら応援してるね」


「ありがとう」


 今になって思う。

 どうしてあの時、花梨の小説が読みたいと言わなかったのか。

 いや、理由は分かっている。

 私は花梨から打ち明け話をされた瞬間に、彼女の小説は私のような人間向けではないと思った。

 その直感のせいで、私は花梨の小説を読む機会を永遠に失った。



「着いたよ」


 助手席側に回り込んで扉を開けて、私はそう呼びかけた。反応があっても困るのだが、少し待ってから、骨壺こつつぼかかえ上げた。


 花梨は大学卒業後、地方で貧困に苦しむ子供たちを支援するNPOに就職したが、新型コロナにかかり、隔離かくり病棟で誰にも看取みとられず亡くなった。


 生前、花梨と私はお互いの死生観について話していた。

 そのとき、何十万円もかけてお経を上げてもらうより、おこつを太平洋にいてもらう方が良いという話になった。

 闘病中の花梨がそれを遺書に書いたものだから、私がこうして高速道路をかっ飛ばしてきたというわけだ。


 素面しらふでこなすには憂鬱ゆううつすぎるし、真っ昼間や人目がある時刻に決行するのははばられる。

 骨壺を助手席に乗せて走り出してみると、法定速度を守って悠長にドライブする気も起きず、目いっぱい速度違反をする結果になった。



 骨壺からさじで遺骨をすくい上げ、雄大で温かい太平洋に振りまく。

 海風が強く、遺灰が私の顔にかかった。


「ナンマイダ、ナンマイダ」


 花梨に申し訳ないと思いつつ、いい加減なお経を唱え、顔をぬぐう。

 次は顔よりも低い位置で遺灰を撒いた。

 それでも服はよごれた。

 喪服もふくなもので、夜目にもかなり目立つ。

 もう気にしないことにした。


 遺灰を撒き終わった私は、この時のために覚え直した『方丈記』の冒頭を、海に向かって暗誦した。


「『ゆく河の流れはえずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』――花梨、安らかにね」





<完>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花梨へ あじさい @shepherdtaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画