贋造試験、あるいは高崎試験

縁代まと

贋造試験、あるいは高崎試験

 私は着慣れた白衣を羽織って靴音を響かせながら廊下を進んだ。


 今日は大切な試験の日。

 もちろん私が試験監督と面接官の両方を担う試験官だ。

 二日間に亘る試験内容は膨大で、昨日は一日中テスト問題を解かせていたが、今日は面接が主な仕事となる。


 同僚は面倒臭がっているが、私はこの役目が嫌いではなかった。

 なにせ合法的に威厳を見せつけ優越感に浸れる。こんな娯楽はなかなかない。

 今日も楽しませてもらおう。


 入室し、イスに腰掛けてそう思っていると若い女性が入ってきた。

 所作のしっかりとした冷静なタイプに見えるが、少し冷たすぎる印象が強い。

 そのせいだろうか、高い位置でシニヨンのように纏めた髪とシャープな眼鏡がよく似合っていた。


「どうぞ、そこへお掛けください」


 私が着席を促すと女性は素直に従う。

 履歴書を広げると岡畑真純おかばたますみ、二十一歳とあった。意外と若いな。

 自己紹介を促すと岡畑は履歴書通りの名前と年齢を口にした。


「さて。あなたの研究分野について、簡潔に説明してください」


 私が質問すると岡畑はじっとこちらを見た後、本当に簡潔に答えた。

 その後に続いた質問にもひとつひとつ冷静に答えていく。極度に緊張した若者に質問するのは楽しいが、こうしてテキパキと答えられると拍子抜けしてしまうな。


 それに――この女、目つきが普通ではない。

 初めは冷静で冷たい印象などと感じたが、質問が始まってからはまるでこちらを値踏みするような目になっていた。

 これではどちらが試験官かわからないではないか。


 しばらくやりとりが続いた後、不意に岡畑から口を開いた。


「あなたの名前はなんですか?」

「……? 君、それは失礼じゃないか」

「あなたの名前はなんですか?」


 岡畑は同じ質問を繰り返す。不気味だ。

 そもそも試験を受ける者が私の名前を知らないこと自体が失礼だというのに、この態度は頂けない。これは不採用だな、と考えつつも形だけでも面接を終わらせるために「高崎楓太たかざきふうただ」と短く答えた。


 すると岡畑が再び質問をする。


「あなたの家族は元気ですか?」


 なんだそれは。

 そう怒鳴りたかったが――最近はこういったことで裁判沙汰になることも多いと聞く。ぐっと堪えて「もちろん。妻も息子も元気だ」と答えると、岡畑は満足げに微笑んだかと思うと再び質問をした。


 やれ昨日はよく眠れましたかだの、好きな食べ物はなんですかだの、最近不調だと感じることはありませんかだの、好き勝手に質問される。

 律儀に答えたが、これはそろそろ退室を促しても世間からバッシングされるようなことにはならないのではないだろうか。異常すぎるだろう。


「岡畑さん、申し訳ありませんが質問はここまでで――」

「では」


 パンッ! とよく響く音が耳に届く。

 岡畑が手を叩いたのである。思わず彼女の手元に視線が集中し、その間に岡畑は立ち上がっていた。

 そして私の目の前まで歩み寄って言う。


「最後の質問を始めます」


 その試験官のような口調を聞いて頭にカッと血が上る。

 私よりも試験官らしいではないか。ここでそんな態度を取るなど馬鹿にしているに違いない。

 しかし怒鳴り散らす前に岡畑が最後の質問を口にした。


「あなたの家族は、本物だと思いますか?」

「……どういう意味だ?」

「そのままの意味です。妻の高崎日々子たかざきひびこ、及び息子の高崎陽太たかざきようたは本物だと思いますか?」


 とんでもない質問に今度こそ怒鳴るところだった。

 しかしすんでのところでやめたのは、サッと血の気が引いたからだ。

 私は家族に妻と息子がいることは話したが、名前までは口にしなかった。だというのに岡畑の様子はふたりをよく知っているように見える。


 その上で本物かどうか問うなど、どういう意図で発された質問だとしてもうすら寒い。それが恐怖心を掻き立てる。


「答えてください」

「な……にを、そ、そんなの本物に決まっているだろうが」


 エリートコースを歩んできた私が大学時代に出会った妻、そして結婚した翌年に生まれた息子だ。

 息子は今年の春に小学校に入った。そんな記憶をつぶさに思い出せる。

 偽者なものか。


 そこで岡畑はにっこりと笑った。

 微笑むのではなく、親しげな様子で嬉しいという感情を包み隠さず顔に出している。しかし彼女とは初対面のはずだ。


「それでは、あなたの試験結果を見ましょうか」


 岡畑は笑みを浮かべたまま端末を取り出し、手慣れた様子で操作すると画面をこちらに向けて差し出した。

 画面には『被験体102号:人格再構築結果良好』と記されている。


 もしかして悪趣味なドッキリなのではないか。

 画面の向こうでは私の様子を見て笑い転げている者が沢山いるのではないか。


 そう口にしようとしたが、私は自分がただそう思いたいから口にしようとしているだけだと自覚できている。

 逃避のためだけに、見えない場所に愚かな人間が存在することを祈っているのだ。


 脳が焦げつくような不快感が襲う。

 守るべき家族の姿が脳裏に浮かんだが、それも燻る火種によって徐々に形を失っていくかのようだった。


「わ、私は高崎だ! 試験官だ!」

「では下の名前は?」


 咄嗟に名前が出てこず混乱する。

 岡畑は宥めるように「大丈夫ですよ」と声をかけながら私の背後へと回った。

 慌ててそちらを向こうとしたが、ついさっきまで岡畑が立っていた正面の景色から目が離せなくなる。


 この部屋にいつからあんな分厚いガラスの窓があった?

 そもそも入ってきたドアはどこへ行ったんだ?

 窓ガラスには不思議な違和感があり、その向こうに沢山の人がいるような感覚がした。そう、まるでさっきの妄想のように。

 真後ろに回った岡畑が言う。


「ご安心ください。次の試験もすぐに始まりますから」


 彼女の声だけが頭の中に響き、目の前が闇に閉ざされる。

 それは睡眠の際に訪れる闇よりも冷たく暗かった。


     ***


 目が覚めると試験室にいた。

 私はイスに腰掛け、向かいの長机をじっと凝視する。

 ややあって、その長机の向こうに若い男性が座っているのに気がついた。彼は様々な書類を机に広げて吟味していたが、私と目が合うと朗らかに微笑む。


「こんにちは」

「……こんにちは」

「次はあなたの番です。これからする質問に答えてください」


 これでは――まるでこの男のほうが試験官のようではないか。

 そうだ、試験官は私だ。

 だというのになにを素直に返答していたのか。


 しかしいつの間にか無表情になっていた男性にそう伝える勇気はなかった。

 ただひたすら解けない疑問が心の中を満たして不安になる。


「あなたの名前は?」

「名前はありません」


 口が勝手に動く。


「では、あなたがここにいる理由は?」

「……試験を受けるため、ですか?」


 今度は自分の意思で予想を口にした。

 男は満足げに頷くと書類になにかを書き込み、再び口を開く。


「あなたの最初の記憶はなんですか?」

「最初の、記憶?」


 その問いは一体なんだと頭を掻き毟りたくなるほど混乱した。最初の記憶というのは子供の頃の一番古い記憶という意味か。それとも別のものを指しているのか。

 それすらはっきりしない。

 普通なら前者だろう。しかし即答できなかったからこそ迷っているのだ。


 子供の頃の記憶はない。

 幼稚園に入った記憶も小学校に入った記憶も中学校に入った記憶もない。

 代わりにそれらの施設の名称や意味は理解していた。次が高校であることも、大学があることもわかっているのに記憶がない。


 その中で燦然と輝いているのは、妻と息子の記憶だ。

 ふたりの記憶だけが支えだった。


「つ、妻と息子の記憶です」


 しかし、そう答えても男の冷たい視線がそれを否定していた。


「家族は幻想です。あなたに与えられた情報の塊にすぎません。さあ、それを前提によく考えてみましょう」

「ど、どういうことだ?」

「疑問を呈するだけではいけません。そこから予測を立てて仮定を――」

「お前に質問しているのは私だ! わ……私が試験官だ!!」


 そう机を強く叩いても、男は微動だにしなかった。

 まるで恐怖心など感じていないかのようだ。それともこの状況に怯えている私がおかしいのか。なにもわからず、答えも教えてもらえない。


 しかしその『答え』は突然やってきた。


 突然、室内にアラームが鳴り響く。

 無表情を取り払い、笑みを浮かべた男がゆっくりと立ち上がった。

 すべて冗談だったと言ってくれそうな、そんな期待を抱いてしまうような自然体だった。


「お疲れさまでした、試験は終了です」

「終了……」

「あなたは高崎楓太ではありません。生前の彼を再現するための被験体、つまり人為的に作られた肉体に彼の人格データを植え付けた個体です」


 男はトントンと資料の束を纏めながら言う。


「遺伝子データがなかったため、様々な肉体を持つ被験体で試験を繰り返してきました。あなたはその中でもとても良好でしたよ、怒りも上手く抑えていましたね」


 ふたり前の被験体はあそこで殴り掛かっていました、と男は付け加えた。

 混乱しながら私は「しかし、私には家族が」と口にしたが、それは自分でもわかるほどうわ言のようだった。


「けれどもう少し安定性を上げなくては。クライアントは優しく落ち着いた高崎楓太をご希望なので」

「そ、そのクライアントというのは誰だ? そいつのせいで私はこんな目に遭っているのか?」

「高崎楓太の奥さんですよ。――ああ、あなたの記憶にある妻ではなく」


 本物の。

 そう男は言う。


 私の妻はひとりだけだ。しかし名前が思い出せない。

 息子か、娘もいた気がするのに。

 そんなショックが顔に出ていたのか、男は申し訳なさそうに笑った。


「そういうビジネスなんです。諦めてください。……しかしそんなにも家族のデータに執着するとは思いませんでした。次に活かしましょう」

「つ、次?」


 なんとなく私が殺されてしまうような恐ろしい予感が湧き上がる。

 しかし男は申し訳なさそうなまま、私を労わるように背中をぽんぽんと撫でて言った。


「あなたの肉体は人格データと相性が良いようです。ちゃんと次も使いますよ」

「え、あ……」

「無駄にはしません、安心してください」


 その時、部屋の中にブザーのような無機質な声が響く。

 驚いた私は数歩よろめいたが、男がそのままイスへと導き腰を下ろさせた。


『被験体102号、試験セッション2が終了しました。記憶リセットに移行します』

「や……やめろ! リセットだと!? わ、私は」


 私は。

 名乗れない。

 男が口にしていた名前も、私のものではない気がする。


 再び脳が焦げつくような感覚が私を襲う。もう嫌だと言おうとしても舌が回らず、そのまま視界が閉ざされた。

 待ち構えていた暗闇は私の頭の中を縦横無尽に駆け巡る。


     ***


 悪夢を見ていたような、いなかったような。

 そんな曖昧な感覚で少しぼうっとしてしまった。


 ――困ったな。


 そう、これから仕事だというのに頭がはっきりしないのはいただけない。

 コーヒーでも飲んでくればよかった。昔白衣に零して取れないシミになったので飲むのを躊躇ってしまったのだ。

 そんな心配よりも仕事を優先すればよかった。


 私はなにも根っからの仕事人間ではない。休日でなくとも家族サービスをしたいと考えるタイプだ。しかしこれが上手くいけば給料が良くなる。

 そうすれば妻に好きなものを買ってやれるのだ。


「まあ、ちゃんと集中して頑張ればいいことか」


 心を落ち着かせながら廊下を進み、ゆっくりと入室して長机の向こうに置かれたイスへと腰を下ろす。

 しばらくして部屋に女性が入ってきた。

 そんな彼女がいやに真面目そうに見えたので「緊張しなくていいですよ」と話しかける。もちろん真面目にやってもらわないと困るが、こんなところで失敗して今後のトラウマになっては可哀想だ。


 そして、私は朗らかな笑みを浮かべた。


「本日担当する高崎楓太です。――さあ、試験を始めましょうか」

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贋造試験、あるいは高崎試験 縁代まと @enishiromato

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