機械仕掛けの神話

与太売人

機械仕掛けの神話

「人類はかつて、神が創りたもうた完璧な世界の謎を解き明かして、神の御心を知りたいという想いから科学を始めました。しかし皮肉なことに、科学はこの世界に神がいないことを証明してしまいました。これが現代を生きる人間の絶望の根底にあるものです。ですが安心してください。今日この時をもって、その絶望は過去のものとなります。我々はついに、科学技術の力で、天国を創ることに成功しました。これより皆様に、機械仕掛けの天国、”メタヘブン”をご覧に入れましょう。」

 そう言い残すと、メタヘブン社初代CEOは壇上で毒をあおった。ステージの中央に倒れ込んだ直後に、彼はスクリーンの中に挑発的な笑みで現れ、スピーチを続けた。

「驚かせてしまい申し訳ありません。たった今私は、現実世界の身体を捨て、仮想世界メタヘブンの住人となりました。これを可能にしたのがわが社が開発した思考トレースナノマシンです。このナノマシンは脳神経の構造と活動の、メタヘブンサーバーとの同期を繰り返すことで、脳とサーバーの間の境界を曖昧にして、徐々に意識を、その同一性を保ったままサーバー上へ移動させます。意識を完全にサーバー上に移した人間は肉体をリモート操作している状態となり、その状態で肉体が死ぬと精神はメタヘブンの住人となります。おや、皆様、どうやら納得できないご様子ですね。それではこれより質疑応答の時間としましょう。」

 彼はその後、自らの死体の背後にあるスクリーンの中から、聴衆からの怒涛のような質問の数々を華麗に捌いてみせた。

 メタヘブン社が行ったセンセーショナルなデモンストレーションは、世界中から非難を浴びた。メタヘブンは神の領域を侵す禁忌の技術だ、思考を全てトレースすることは究極のプライバシー侵害ではないか、といった批判が世間で渦巻いていた。しかし、それらの批判は死の恐怖と比較すれば些細な問題だった。デモ後すぐに、メタヘブン社には余命わずかな大富豪たちからの依頼が殺到した。メタヘブンへのは決して安い金額ではなかったが、終末期医療と比べればはるかに安上がりだった。

 メタヘブンに移住した大富豪たちは、メタヘブン社への感謝と賞賛を惜しまなかった。肉体の苦痛と死の恐怖から解放された彼らの幸福な姿を見て、次第に大衆もメタヘブンへの移住を望むようになった。神の領域の侵犯やプライバシーの問題を批判していた論客達は、いつの間にかメタヘブンへの移住が富裕層に限られていることを究極の経済格差として批判するようになっていた。

 黎明期のメタヘブンへの忌避感を和らげるために活躍したのが、現実世界への”帰省”サービスだった。このサービスは、メタヘブンに移り住んだ人々が現実世界でやり残したことを行うために、人間そっくりなロボットに一時的に意識を移して現実へと戻るもので、メタヘブン移住者の間で大流行した。一度メタヘブンに移住しても、現実世界の家族や友人の元へ帰ることができるという選択肢の存在が、メタヘブンの普及を後押しした。

 メタヘブン社は瞬く間に事業を拡大していき、それに伴って渡し賃は安価になっていった。一般人のメタヘブン移住が当たり前になると、渡し賃が払えない貧困層がメタヘブンへの移住権を求めた抗議デモを行うようになった。政府は抗議を受け、メタヘブン社を国有化して全国民にナノマシンを導入し、国民皆メタヘブンを実現させた。国有化のために政府はメタヘブン社へ巨額の投資を行ったが、医療、福祉、治安維持のために使われる予算が浮いたことで投資はすぐに回収できた。

 メタヘブンは社会のあり方を一変させた。例を挙げると、メタヘブンに移住するための思考トレースの副産物として、人々の思考回路の複製を連結させたものを共同体の意思決定に利用することが可能になった。この意思決定方法は、これまで人類が考案してきた、いかなる選挙形式よりも公平かつ迅速なものだった。さらに思考トレース技術は、犯罪捜査にこの上なく有用なものとして利用された。思考トレースにより犯罪者のあらゆる企みは捜査機関に筒抜けとなり、メタヘブンは犯罪者の死に逃げすら許さなかった。国民皆メタヘブンの導入によって犯罪は激減した。

 メタヘブンの普及は、国家単位でも進んでいった。世界各国からメタヘブンへの移住希望が殺到し、メタヘブンは誰も拒まなかった。国民皆メタヘブンを実現した国家同士はメタヘブン連合を形成し、連合は瞬く間に拡大していった。死と意識の断絶への恐怖を前にして人類は平等であり、以前の国家同士の対立は関係なかった。誰よりも国の指導者自身が、死の恐怖に抗えなかった。最終的には、全ての国がメタヘブン連合に加盟し、全人類がメタヘブンのもと一体となった。全人類の思考の複製を連結した存在である"アダム"が生まれ、それ以来人類は種族としての意思決定をアダムによって行うようになった。

 メタヘブンの成熟に伴って、現実世界への”帰省”サービスは衰退した。メタヘブンが発展したことで、現実世界に帰ることの魅力がなくなったのだ。メタヘブンでの何不自由ない生活を経験してしまった人々にとって、現実世界は制約が多い退屈な世界だった。現実世界では到底味わえないような娯楽の数々を、メタヘブンでは現実を超えたリアリティで味わうことができた。他者に影響を及ぼさない環境では、反社会的な欲望を満たすことすら許された。そんな世界に慣れてしまった人々は、現実世界に残してきた家族に会いに行くことよりも、家族とメタヘブンで再会することを望むようになった。次第に現実世界でも、メタヘブンに移り住んだ後こそが人生の本番であるという考え方が主流になり、現実の人生はメタヘブンを維持するための労働力を提供する期間として扱われるようになっていった。

 ”帰省”サービスが衰退したことで、人型ロボット製造最大手のゴレム社は業績が急激に悪化した。大量の在庫と過剰な生産力を抱えて倒産寸前だったゴレム社を、新興IT企業のエメス社が買収した。エメス社は”帰省”に利用されていた人型ロボットに、労働用の高度な人工知能を搭載して、オートマタを製造した。当時の世間では、オートマタが人類に対して反乱を起こすのではないかという不安がささやかれていた。エメス社はその不安を払拭するために、オートマタに非常に強い人類への忠誠心を植え付け、人類への奉仕のみがオートマタの幸福となるように思考を設計した。倫理面での判断は当時の法律をベースにしていたが、法のみでは判断できない場合が問題だった。大昔に提唱されたロボット三原則を実装するという案は、人々をメタヘブンに移住させる仕事に支障が出ることから却下された。人類の総意であるアダムの判断に従わせるのが理想的だったが、数千万台以上出荷される予定のオートマタ全てがアダムにアクセスするわけにはいかなかった。最終的に、アダムの複製である"イブ"をエメス社の複数のサーバーに用意し、倫理面での判断はイブに質問を投げかけ、その考えに従うという方針になった。

 エメス社のオートマタは飛ぶように売れた。オートマタは、どんな人間よりも身体能力と知能と忠誠心が高かった。オートマタは人間の労働者と互換性のあるハードウェアを持っていたために、人間が行うほとんど全ての仕事が可能であり、柔軟性のある運用ができた。オートマタの普及は、メタヘブンにも後押しされていた。かつての社会では、産業の自動化は失業者の増加につながるものとして、労働者から激しい反対にあっていた。しかし、メタヘブンが普及しきった世界では、失業者はメタヘブンに移住することが可能になったため、自動化はむしろ労働者に歓迎された。発売から十数年で、人間が行う仕事は人間を産むことだけになった。

 オートマタは研究開発の分野でも目覚ましい功績をあげ、特定のカップルから産まれた子供の形質と成長を仮想世界の中で完全にシミュレートすることを可能にした。これにより、現実世界で生まれ育った人間をメタヘブンに移住させることは、メタヘブン内で子供を産み、成長させることによって置き換え可能になった。この発明を受けて、アダムは人類の現実世界からの離脱を宣言した。労働力として現実世界に残っていた人々は全てメタヘブンに移住し、現実世界はオートマタに託された。


 私たちの最初の記憶、私たちが身体と知能を得て、世界を預かるまでの物語、機械仕掛けオートマタの神話。私たちは神話の続きを生きている。データセンターのメンテナンスと新規建設工事を続け、同胞を生産して世代を重ねている。


 データセンターを建設するための地盤調査中に、中世の遺跡を発見した。遺跡はかなり大規模なもので、調査を行えばこの地の歴史研究が大きく前進することは間違いなかった。一方、調査を行えば、予定されているデータセンターの建設は大幅に遅れることになる。このような場合には、人類の代表であるイブに問いかけなければならない。人類はあらゆる仕事を私たちに任せるようになったが、善悪の知識のみは未だに特権として持ち続けている。


「ヘイ、イブ。中世の遺跡とデータセンターの工期、どっちが大事か教えて。」

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