愛を育てる

 土の凹凸に合わせて、ボールが微かに弾みながら前へ進んでいく。翔太は器用に足の裏でボールを止めて、前へ少し押し、足を振りかざしてボールを蹴り飛ばした。海斗は足の内側でボールをトラップして、優しく押し出す。この時期にしては冷ややかな風が海斗と翔太を包んだ。

「サッカー楽しいか?」

「うん!楽しい!」

 翔太は大きな声で叫んだ。

 翔太の声が、空気を伝って振動のように周りに響いていく。

「翔太、もっと強く蹴ってみよう」

「こう?」

「そうそう。上手いぞ」

 近くにある公園は人通りも少なく、近くを車も通らないため、その名の通り2人だけの空間だった。グラウンドの周りを大きな木々が囲んでいて、海斗はまるでそこがスタジアムのようだと思える。

「一対一しようよ!」

 翔太がドリブルしながら海斗の方へ向かっていく。

 翔太の着ているtシャツが風になびく度、首のすぐ下や下腹部の辺りに青白い痣が見えた。治りかけのものもあれば、つい最近の、時間を感じさせないものまである。

 痣を見つめてぼおっとしていると、翔太が海斗の横を駆け抜けた。

「やったあ!勝った!」

「上手いぞ翔太。その調子」

 その青白い痣達が海斗に1週間前のことを思い返させる。

 海斗は珍しく仕事が早く終わって家に帰っている途中、ある公園のそばを通りかかった。四方が道路に囲まれていて、車通りも多く、向かって右側には道路を挟んで団地がある。

 街路樹の真緑の枝葉を眺めながら歩いていてると、5、6人の男子小学生達が自転車で海斗の横を通り過ぎた。

 やっぱりこの年代の子は遊ぶことに命をかけているな。じゃなちとあんなスピードは出ない。そんなことを思っている最中、海斗は1人の子供が公園のグラウンドに立ち尽くしていたのを見つけた。翔太だった。

「どうした?大丈夫か?」

 不思議に思い、近寄りながら声をかけたのと同時に見えたのは、tシャツの下に見え隠れする痣や傷だった。海斗はそれらに色々な考えを巡らせる。

 そして、返事が返ってくる前に、海斗は翔太を衝動的に抱き寄せた。小さな体がすっぽり海斗の中に収まる。

「何も言わなくていい。大丈夫」

 翔太は唇を振るわせて、鼻を啜った。

「大丈夫……大丈夫だから。帰ろう、一緒に」

 翔太は、海斗の肩に顔をうずくめ泣いた。

 ワイシャツを伝って翔太の体温、涙の冷たさを感じる。

「大丈夫だから。帰ろう……帰ろう」

 海斗は何度も何度も囁いた。何度も、何度も。


「やばい!木の下に隠れよ!」

 厚い雲が太陽を隠し辺りが暗く染まっていく。

 大雨が地面に打ちつけた。

 海斗は翔太を抱き抱えて、走って木の下に身を寄せた。あぐらの上に翔太を座らせて、自分の裾で翔太の頭の水分を拭う。

「すごい降ってるね」

「そうだね」

 翔太は上を見上げて、海斗を見て笑った。

 木の葉をつたい二回りほど大きくなった雨粒が翔太の額にポツンと落ちる。

「冷たっ」

 そう言ってなお、翔太は笑い続けた。

「冷たかった?」

「冷たかったけど、体はあったかいよ」

 海斗はより強く、翔太を抱きしめた。

 もう優は家にいないから、俺がこの子の傷を和らげないといけない。ありったけの優しさでこの子を包まないといけないんだ。

「力、強いよ」

「ずっとこうしてる。ずっと翔太を抱きしめるよ」

 雨音に混じりながら2人の笑い声が跳ねる。

 そして、笑い声が跳ねた先に一筋の光が差した。

その光は、だんだんと黒い雲を掻き分けるように広がっていって、やがて2人のことも照らした。

「すごい。きれい」

 翔太がポツリと呟く。

 前方に見える木々達を見ると、ゆらめく枝葉に乗っているしずくに光が差して、ダイヤのように光った。

「きれいだな」

 翔太は気づいていないが、海斗は気づいた。

 遠くの方で薄いながらも存在している虹に。

 今にも消えそうなのに、確かに空に架かっている。まるで俺たちのように。

 あえて翔太には虹のことは言わなかった。

「あれ?あったかい」

 翔太の頭に水滴がポツリと落ちた。

「また降ってきたのかな」

 海斗はそう言いながら自分の頬を拭った。

 俺がこの子を守る。俺が育てる。

 海斗は虹を見ながら、そう頭の中で反芻した。




「ちゃんと歯磨いたか?」

「うん。磨いたよ」

 海斗は屈みながら翔太の両肩に手を添えて言った。

「じゃあもう寝ような、先にベッド行っててな」

「うん!あ……あれ、すごいね」

 翔太は寝室に行く前に、指を刺して言った。

 その指の先を辿ると、大輪のひまわりがあった。

「翔太知ってるか。ひまわりにはな、花言葉っていうのがあるんだよ」

「花言葉って何?」

「その花に込められた想いだよ」

「ひまわりの花言葉は?」

「それは……明日教えてあげる。今日は寝ようね」

「うん!わかった。おやすみ」

「おやすみ」

 翔太は背を向けて寝室へ消えていった。

 海斗は、優があのひまわりのように、俺たちを見つめていたように思えた。

 翔太が寝室に入った事をしっかり確認すると、海斗は戸棚からコップを取り出して水を汲み、リビングに行って、ソファに腰掛けた。

 体がソファに沈んでいく。

 上を見上げると、天井の黒いシミが今朝よりも多くなっている気がした。

 長い長い一息をついて、テーブルの上にあるリモコンを手に取りテレビの電源を入れた。画面には、長い机の後ろにニュースキャスター1人とコメンテーター2人が横並びに座って並んでいる。

 コメンテーターの1人は腕を組み、1人は両肘を机の上に乗せて、手を組んでいた。ニュースキャスターはチラチラと視線を下に落とすので、机の上に原稿が乗っているのだろう。右上に新しくテロップが出る。

 そして、ニュースキャスターが話し始めた。


「次のニュースです。1週間前から行方がわからなくなっている男の子は、いまだに見つかっていません。身長は、140センチ程度の小学3年生。

名前は遠藤翔太君です。この写真の男の子を見かけた、あるいは何か情報をお持ちの方は、すぐに警察、画面右下の番号にお問い合わせ下さい。

情報提供お待ちしています」


 海斗は画面を見ながらコップ一杯の水を飲み干すと、続けて1人のコメンテーターが話し始めた。


「いなくなったのは1週間前なのに、失踪届を出したのは3日前らしいんですよ。まあ……とやかく言いたくないんですけど…初動が遅くなりましたよね」 


 海斗は、ふと窓の方に目をやる。

 大輪のひまわりが月夜に照らされて輝いていた。

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花言葉と共に 杉本 @saichi43567

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