未完成な私たち
鳴宮琥珀
始まり
プロローグ
流星群が観測できるというその日、僕はこっそり家を抜け出した。そして、彼女と出会った。
アイ。
何気ない彼女との出会いによって僕の人生は一変することとなる。
1
穏やかな日差しの中で、ピンク色に染まった並木道を抜けていく。暑すぎず寒すぎない心地いい気温の中で、ゆっくりと道を進んでいくと、一つの大きな建物がある。
これから三年間通うことになる高校だ。
校門には人が溢れ返っている。期待に満ちた顔をし、新しい制服に着せられたような姿の新入生たちが、次々に校門に吸い込まれていく。レン(俺)もその大勢の中の一人だ。
桜が散る俺の視界の中に一際目立つ長い黒髪の少女がいた。俺の目が見開く。まさか、
「アイ…。」
アイ。幼いころに一度だけ会ったことのある女の子。
忘れかけたと思っていた彼女の顔は一目見ただけで鮮明に思い出せた。俺の中で何かが芽生えたような感覚だった。
後ろ姿の彼女がこちらを振り向いた。その姿はモデルのようで、散る桜と合わせて、写真に収めたいくらいに綺麗だった。その後、キョロキョロとあたりを見回すと、アイの顔が和らぎ、何かを見つけたようにこちらに向かって歩き出した。
(こっち、来る⁉)
俺は思わず目をつむって、手を固く握りしめた。もしかして、アイも俺に気づいたのかもしれない。そんな期待だけが胸を高鳴らせる。
(ど、どうしよう。)
「カイくん!」
そんな期待とは裏腹に、彼女の声から発されたきれいな声とともに出た言葉は聞いたことのない名前だった。
俺は振り返って、自然とため息が漏れた。アイがカイくんと呼んだ彼は、同じ制服を着た多分先輩で、とても仲がよさそうに話している。
当たり前だ。何で自分に気づいて、自分のところに来てくれるなんて思ったんだろう。勝手に期待して、勝手に傷ついている。
彼女には彼女の生活があって、そこに俺はいない。俺と会ったことはきっと彼女にとっては些細なことだったのだろう。それでも俺はあの日の思い出を、勝手に一人大事に宝物のようにしまっていただけだ。
俺はリュックからヘッドフォンを取り出すと、耳に装着して周りの音を遮断した。あんなに再会を待ち望んでいたはずなのに、今は、アイの声を聞きたくなかった。
教室に入って、座席を確認して自分の席に着く。入学式までまだ少し時間がある。机に突っ伏して、ヘッドフォンから聞こえる音楽を右から左へ流していく。そんなヘッドフォンの音を飛び越えて、俺の耳に再び綺麗な声が聞こえてきた。
「またあとでね~!」
そう言って廊下にいる人に手を振って、教室に入ってきたアイに無意識に顔を上げてしまう。まさか同じクラスになるなんて。
アイはすぐに人に囲まれた。先輩と話していたことや、アイの話しかけやすい雰囲気に押されたのだと思う。俺は目をつむって音楽に集中する。
入学式は新入生代表としてスピーチしたからか、教室で何人かに話しかけられたが、ヘッドフォンをつけて人を遠ざけた。
誰とも仲良くするつもりはないし、そもそも俺は面白い人間ではない。話してがっかりされるより、自分から遠ざけたほうが、自分が傷つかなくて済む。
アイはすでにクラスの中心的存在になっていて、あっという間に手の届かない場所に行ってしまった。元々近い存在でもなかったけれど。
急に教室が騒がしくなり、何かと思い騒ぐ方に視線を向けると、朝アイと一緒にいた先輩が、アイを迎えに教室の扉に来ていた。彼と一緒にいるアイは子供のようにはしゃいでいて、とても楽しそうだ。
胸のあたりがもやもやして、いてもたってもいられなくなり、椅子から立ち上がって、教室の後ろのドアから飛び出した。とにかく教室から遠い場所へ行こうと無我夢中で歩みを進めると、ある扉の前で足が止まった。
開いた扉の中には一台のピアノが置いてあった。ヘッドフォンを外して首にかけると、すっかり静かになった廊下と、教室の中でたたずむピアノの存在が際立っていた。俺は引き寄せられるように教室に入り、ピアノの前に立つ。
(久しぶりだ……。)
手伸ばして、白鍵を押す。ポーンという心地よい音が、静かな部屋に響き渡り、余韻を残しながら消えていく。ピアノの椅子を静かに引いて、座る。
震える手でいつものように指を置いて、目を閉じて深呼吸をする。一度弾き始めると、身体が覚えているかのようにすらすらと指が動く。
俺の中で感じてはいけないはずの感情が次々に溢れてくる。ダメなのに、止まらない。
曲が中盤に差し掛かった時、俺のピアノの音色に重ねて、透き通った、とても綺麗な歌声が響いた。その瞬間俺の中でさらに感情があふれ出した。
顔を見なくても、誰か分かる。いろんな感情でごちゃごちゃになりながら最後まで引ききると、静かにドアの方に視線を向けた。やはり彼女だ。
「久しぶり、レン。」
「アイ…。」
「ピアノ、上手だね。」
「……。」
アイの言葉に嬉しくも、複雑な気持ちだった。アイに会ったら言いたいことが山ほどあったはずなのに、何一つ言葉にならない。
それに何より、アイが自分のことを覚えてくれていたことがたまらなく嬉しい。下を向いた俺の視界に、自分のとは違うもう一つの上履きが映る。
上を見上げると、びっくりするくらい近くにアイの顔があった。長いまつげに、大きな瞳が俺の瞳の中に映りこむ。
「は⁉」
びっくりして今日一大きい声で叫んでしまう。そんな俺に、お構いなしに息を上げたアイが、目を見開いて俺を見つめて言った。
「あのさ、私この学校で軽音部を作ろうと思ってるの!レン、一緒にバンド、やろう!」
「っ、ごめん、無理。」
「ええええええええええ⁉」
これが俺とアイの再会だ。
そしてこれは、アイが歌声で頂点に立つまでの物語である。
次の更新予定
未完成な私たち 鳴宮琥珀 @narumiya-kohaku
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