先輩の実家の因習を蕎麦屋で聞いた件について

すもものモーム

下宮先輩と長野県の因習について

 京都の大学の先輩に、長野県出身の下宮しものみや先輩がいる。

 とんでもないブラコンの人で、10歳も離れた弟の話をずっとしてくる人だった。

 教授の新刊出版記念飲み会を「その日は弟が京都に旅行しに来るので……」と申し訳なさそうに断る人だ。


 教授は楽しそうにゲラゲラと笑った後、「じゃあお前、おれん家に弟くんを連れてこいよ。うちに泊まらせな。錦小路だから烏丸御池駅が近くて、観光に便利だぜ」と告げていた。

 担当の編集すら敷居をまたがらせない教授が、珍しく家に他人を誘っていた。

 その時の先輩の嬉しそうな泣き顔は忘れられない。


「アホみたいに高い京都の宿泊料が浮く」「もっとおいしくて高いものを弟に食べさせてあげられる」と泣いていた。

 

 平成9年生まれなのに昭和のドラマみたいなことを言う人で、時代劇みたいな泣き方をする。

 せっかくだから私も先輩の弟さんを見に行った。

 年上に囲まれてもコロコロとよく笑う9歳の男の子で、バスケットボールが当たって抜けたとかいう犬歯が欠けているのが可愛い子だった。


 京都にいる間はずーっと下宮しものみや先輩の側にくっついていて、お兄さんの話を一言一句も聞き漏らさないように真剣に耳を傾けていた。

 年の離れた仲のいい兄弟だ。


 その弟くん大好きブラコン先輩が京都の大学に来たのは、高校の担任とウチの教授が友人同士だとかで、京都旅行のついでにオープンキャンパスに来て、教授と話していたら意気投合してウチの大学に来ることを決めたという。

 すでに日東駒専の推薦が決まっていたのに、急に京都の私立大学に進学した変わり種だ。


 そんな先輩の、卒論と就活お疲れ様会の4次会で、とある話を聞いた。


「うちの弟、変なところで抜けてて。7歳の時に東京に行ったら、御茶ノ水駅ではぐれそうになったんだよ。『絶対にお兄ちゃんから離れるなよ。東京で迷子になったら一生会えなくなるから』って脅したのにさ、改札を通ったら弟がいなくて、思わず振り返ったらOLのお姉さんに改札を譲ってたんだよ。『お先にどうぞ』って」


 これはすでに何十回も聞かされてきた話だから割愛する。


 下宮先輩はお酒が飲めなくて、自分が主役のパーティーだったのに最初に日本酒を1合だけ飲んで、あとはずっとジンジャーエールを飲んでる。

 大好きな漫画の推しキャラが飲んでたとかで、飲み会になるとずっとジンジャーエールを飲んでる。


 そんな先輩が18歳の時、つまり弟くんが8歳の時の話だ。


「道徳か総合の時間に、家族の話を聞いて表にまとめようって授業があったんだよ。僕もやっててさ。ウチだと家系図を見せながら、おじいちゃんが若いころは闇市でお米を売ってたとか、母方の祖父は戦時中に特攻隊だったとか、そういう話をするんだ」


 下宮しものみや先輩のおじいさん2人の話は何度も聞いている。

 片方は代々続く地元の名家で、地主をやってた畑と田んぼの上にJRと高速道路が開通したことで大金をもらったとか、もう片方は終戦が1日でも遅れたら鹿児島から米軍の艦隊に特攻してたとか。

 

 ライフヒストリー。

 うちの教授は民俗学的なものが大好きで、下宮先輩の長野トークをすっごい楽しそうに聞いてメモにしてる。


「で、弟は変なところで抜けてるからさ、家系図を見て、やっと気づいたんだよ」


 下宮先輩がスマホのお気に入りアルバムから、実家の家系図を見せてくれる。

 古くてカビっぽい紙に書かれた家系図は、何代もずっと前までさかのぼって書かれてる。


 下宮先輩は3人兄弟だ。

 先輩が長男で、2個下に長女、10個下の次男の3人。


「弟、ドラマとかだと兄弟って仲が悪いからさ、僕がめっちゃ優しくしてるから、実の兄だと思ってなかったらしくてさ」


 この話は初めて聞く。

 先輩の長野トークに慣れてきたと思ったら、たびたび思いもよらない話が出てくる。


「実家に居候してる従兄弟か親戚のお兄ちゃんだと思ってたらしくて、家系図を見せたお父さんに『にいちゃんとオレって血がつながってたの?』なんて聞いちゃったんだ」


 実際、弟さんの抜けているシーンは私も見たことがある。

 お茶屋の一保堂に入っていったら、「ここ爪楊枝のお店じゃないの!?」と焙じ茶の缶を指さして驚いていた。


「10歳も離れてるとケンカなんかする気にもならないし、可愛いったらなくて猫可愛がりしてるんだよ」


 それは話を聞いていれば、兄弟でいるところを見ればよく分かる。


「お正月とお盆に実家に帰ったら京都の話を聞きたがってさ、その話を小学校でも喋ってるらしくて、弟の担任の先生に挨拶した時なんか『いつも弟くんから聞いているので、初めて会った気がしません』なんて言われちゃった」


 すっごく嬉しそうな顔で幸せそうに話す先輩は、美味しそうにニシンそばを手繰っていく。

 先輩は蕎麦をすすらない。

 箸で丸くまとめると、それを一口で放り込む。

 すすらないで蕎麦の丸い塊をモグモグと噛んでから飲み込む人だ。


 長野県民はそういう食べ方をするのかと聞いたら「おじいちゃんがこうやって食べてた」と返した。

 長野でも一般的な食べ方じゃないらしい。


「まあ、血が繋がってないのはほんとだよ。僕だけ繋がってない」


 下宮先輩はニシンを切り分けながらそう告げた。

 先輩は唐揚げでも漬物でも魚でも、齧って噛み切らず、最初に箸で一口分に切り分けてから、食べる。


「養子なんだよ。家系図だと実の息子ってことになってる」


 駅前の蕎麦屋は朝5時からやっていて、飲み会でオールしたあとの疲れた体に甘いニシンそばの出汁が染みる。


「地元の、風習で。長男を神社に差し出すことになってる」


 下宮先輩の地元の神社は知ってる。

 諏訪大社の系列で、日本最古の諏訪神道の出土品が見つかっているとか。


 去年、教授がフィールドワークで向かうのに同行して、私も見てきた。

 急こう配の階段を50段ほど登った先に神社があり、檜の舞台と社務所、5メール以上の幹を持つ古木と、天照大御神の垂れ幕をつけた本殿がある。


 階段には象形文字のような模様が刻まれていて、でも何十年と人々が参拝してきたことで模様が磨り減ってどんな模様だったのかよく分からなくなっていた。


 先輩はそこで、祝詞を捧げていた。

 五穀豊穣を願う普通の祝詞だけど、神様の名前だけは巻き舌で聞き取れなかった。


 宮司一族は別にいるけれど、下宮先輩の家は祭事の時だけ手伝う一族だという。

 本家は上宮かみのみや、分家が下宮しものみや


 ほんとは関係者だけで営むというお祭りに特別に見学させてもらって、地元の氏子さんたちは「京都からお客さんが来てくれた」とイチゴやシャインマスカットでおもてなしをしてくれた。

 地元の村おこし協力隊が作っている途中のリンゴのお酒とか、新米のとろろかけごはんとか、とにかく食べるもの全部がおいしかった。

 おじいちゃんおばあちゃんたちも陽気で、このまま住んじゃいたくなるくらい居心地がいい。


「ほんとの、つまり両親と一族と血が繋がっている長男は、弟なんだ」


 先輩が自分の顔の前でバッテンマークを作る。

 家系図だと下宮先輩が長男だ。養子らしいけど。


「でも、江戸時代ならともかく今は令和でしょ? 明治維新から何十年だよってことで、身代わりを立てることになった」


 それが、僕。下宮先輩が自分を指さす。

 

「家系図をずーっとさかのぼってさ、父方で、会津藩に嫁いだ娘の子孫を見つけ出したの。それが、僕」


 写真の家系図をさかのぼって、私が聞いたこともない元号に産まれた人を指さす。

 それが先輩の直系のご先祖様らしい。


「蚊ほどの血も入ってないけど、遠縁でも一応は一族の人間ってことで、身代わりに立てたってわけ」


 たぶん100年以上は前に一族から別れた人だから、実質、他人なんじゃないかな。


「本家は、ダメ。本家と分家が持ち回りで神社に差し出して、今代は分家の番だったから。本家から出しちゃいけない」


 本家の人は知っている。

 人懐っこそうなおじさんが家長で、「うちの者が京都でお世話になっております」と正座して挨拶してきた人だ。


「だけど、妹と弟で8歳も離れてるとおり、両親が高齢になってからの子供だからさ、もうひとり男子が産まれる見込みもないし、このまま弟を差し出したら直系の男子がいなくなって、お家断絶になる」


 だから、身代わりがいる。

 それが、先輩だ。


「どうせ20歳に死ぬからって、長男らしく可愛がってもらっちゃった」


 それを先輩は嬉しそうに話す。

 先輩の長野トークの半分は家族の話が占めている。

 それくらい実家や親戚のことが好きなんだろう。


 でも、先輩は22歳だ。

 年度が変わったら大学を卒業して社会人になる。

 話が合わない。


「身代わりが、いけなかったんだよ」


 下宮先輩がニシンそばに蕎麦湯を入れる。

 この人はどんなそばにも蕎麦湯を入れて汁まで全部味わう。


「本家の跡取りが全滅しちゃった。みんなインフルエンザの脳炎とか肺炎をこじらせて、最後のひとりはワクチンが出来る前にコロナで死んじゃった。ECMOをつけてもダメだったよ」


 だから、地元に行ったとき、本家の若い人がいなかったんだ。

 おじさんとおばさんしかいなかった。

 おじいさんとおばあさんは施設に入っている。


「神様を怒らせちゃった。約束が違ったんだから、まあ、しかたない」


 そういう先輩は蕎麦茶を湯吞に注ぐ。

 この人の血は、信州アルプスの雪解け水と蕎麦とリンゴと信玄餅の蜜で出来ている。最後の信玄餅だけ山梨県の銘菓じゃねえか。


「このままだと弟がもらわれていく」


 そう告げる先輩は、ずっと柔らかい笑顔を浮かべたまま。

 弟さんの話をする時は、この優しい笑顔を浮かべている。


「神頼みがダメなら、仏頼みかなぁ。うちは田舎禅もやってるからなんとかならないものかな」


 下宮先輩は最近、ずっと宇治市にある興聖寺に通っている。

 先輩の地元は曹洞宗らしく、曹洞宗開祖の道元禅師が初めて作った道場とかいう興聖寺に通っている。


 教授からの推薦だった。

 たまに教授が「修行は?」と聞いて、先輩が「ぼちぼちでんがな」と返し、エセ関西人がよ、と教授が叱っている。


 で、先輩はどうするんですか?

 マッコリの飲み過ぎで重くなったお腹をさすりながら、先輩に聞く。


「弟が、好きだからさ。どうにかするしかないよ」


 先輩がけらけら笑う。


 下宮先輩は県外で就職して、それから連絡はとっていない。

 教授は東京の大学でも講師をやっているから、その縁で話が聞こえてくるくらい。

 

「闇バイトが流行りだけど僕はブラック正社員」と言いながら、曹洞宗の青年会でお手伝いとかやっているらしい。

 地元がどんなことになっているかは知らない。


 たまに教授が長野県に行っては、渋い顔をして「小説のネタにもできねえや」なんて言いながら帰ってくるから、あんまり状況はよくないみたいだ。


 先輩の地元の神社は、諏訪大社の系列だ。

 なのに諏訪大明神でもなく、天照大御神を祭っていることになっている。

 祝詞で呼ばれていた神様は、そのどちらでもなかった。


 先輩は「田舎神道だからさー、いい加減なんだよ。天照様の垂れ幕だって、隣村の神社のお下がりだし」と言っていた。

 祝詞は五穀豊穣を願い、諏訪大明神ではない(つまり建御名方神でも八坂刀売神でもない)私の知らない神様に祈っていた。

 肝心の名前は巻き舌で聞き取れなった。


 宮司さんが見せてくれた飛鳥時代に諏訪大社へ寄進したとかいう鎖鎌は、本当は何という神様に捧げられたものだったのか。

 50段もある階段に刻まれていた模様は、何を指し示していたのか。


 何の変哲もない白米にとろろをかけただけのご飯が、どうしてあんなにおいしかったのか。

 素人醸造家が作ったリンゴのお酒が、どうしてあんなにもおいしかったのか。

 雪が降れば外界と隔たれる谷間の寒村で、なぜあれだけ豊富な作物が実るのか。


 教授と下宮先輩が意気投合したという話は、いったい何の話をしていたのか。

 弟さんが京都に来たとき、担当編集すら家に上げない教授が、なぜ家に泊めさせたのか。

 

 私には知らないことがおおすぎる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

先輩の実家の因習を蕎麦屋で聞いた件について すもものモーム @maugham

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画