第7話 最強勇者の憂いと城下町での一騒動


「きっちり百歩ですね」

エイレンが息を整えながら言う。


「だいたい百メートルってことね…」

フィルが眉をひそめ、指輪を見つめた。


見えないバリアの謎を調べるため、一行は何度もログを指輪から遠ざけたり、フィル自身が離れてみたりと試行錯誤を繰り返していた。そして分かったのは、ログは指輪から遠くへは行けず、一定の距離を超えると進めなくなるということだ。さらに、ログがその限界に達すると、まるでゴム紐で引っ張られるように圏内に戻されてしまう。


「…本当に、なんて面倒な体なんだ」

ログは深いため息をつき、自分の手のひらをじっと見つめる。


「ねえ、指輪をログが持っていたらどうなるの?」

フィルがふと思いつき、指輪を外してログに差し出そうとした。


「待て!僕に渡すんじゃない!」

ログの制止は一瞬遅かった。フィルが指輪を手放した途端、指輪はそのまま地面に落ち、ログの体は眩い光と共に吸い込まれていった。


「…消えた…?」


フィルは呆然とその場に立ち尽くす。エイレンも驚きのあまり言葉を失っていたが、すぐに冷静さを取り戻し、声をかけた。


「お嬢様、急いで指輪をつけてください!」


「え?ええ…!」


フィルは慌てて地面に落ちた指輪を拾い上げ、指に戻した。そしておそるおそる声をかける。


「ログ、出てきて」


その瞬間、指輪が再び光を放ち、眩しさの中からログの姿が現れた。彼はいつも通り涼しい顔をしていたが、その目にはわずかに苛立ちが浮かんでいた。


「びっくりした…いきなり渡すなよ。こうなると思ったんだ」


「こうなるって…どういうこと?」


フィルが怪訝な顔をすると、ログは頭をかきながら答えた。


「たぶん、僕は指輪の持ち主に依存して存在できるんだ。この指輪を身につけていないと、僕は外に出られないらしい…」


「つまり、私が指輪を外したらログは出てこられないってこと?」


ログは軽く肩をすくめた。「まあ、そんなところだな。でもこの指輪については、まだわからないことが多い。適当に扱って壊れたり盗まれたりしたら、僕だけじゃなくお前たちも危ないかもしれない」


「危ないって…どういうこと?」


フィルは不安げな顔をするが、ログは目を伏せてそれ以上は何も言わなかった。


エイレンが口を挟む。「お嬢様、慎重に扱うべきです。ログ様の言う通り、何かあってからでは遅いです」


フィルはうなずきながら指輪を握り締めた。「わかったわ。これからはもっと注意する…ごめんなさい、ログ」


ログはふっと笑い、いつもの軽口で応じる。「まあいいさ。お前の不器用さにはもう慣れたし」


「不器用って…!」


フィルが怒りを込めて睨むと、ログはその反応を楽しむように笑みを浮かべた。


しかし、その場の空気が少し緩んだのも束の間、エイレンが静かに呟いた。「でも、この指輪は一体なんなのでしょう…どうしてログ様を縛るような力が?」


その言葉に、一行は再び黙り込んだ。指輪の持つ謎は深まるばかりだった。フィルとエイレンは顔を見合わせ、慎重に扱おうと心に決めた。






その日は森の中で野宿することになった。


夜の静けさの中、焚き火のぱちぱちと弾ける音が響いていた。魔物の襲来や戦闘の訓練で疲れていたフィルとエイレンだったが、赤々と燃える火を囲んで、二人は魔法の練習に集中していた。フィルは杖を握りしめ、守りの魔法の詠唱を繰り返しながら魔力を込めている。エイレンも見様見真似で書いた魔法の符を手に、集中した表情を浮かべていた。


少し離れた場所に腰を下ろしていたログは、そんな二人をぼんやりと眺めていた。焚き火の光が彼の顔を照らし、金色の瞳に炎がゆらめいている。


「それ、こうしたらいいんじゃないか?」ログがふと口を開いた。気だるそうにしながらも、どこか的確な指摘をするように、二人の方へ目を向けた。


フィルとエイレンは一瞬手を止めてログを見た。「こう…したら?」フィルは首をかしげながら、ログの指示に耳を傾けた。


ログは焚き火の明かりに照らされながら手を軽く動かし、魔法のイメージを説明した。「守護の魔法を使うなら、魔力を流すルートを少し変えてみろ。こうすることで、より安定したオーラが作れるんだ。」


フィルとエイレンは半信半疑ながらも、ログに教えられた通りに魔力を操ってみた。すると、二人の周囲に柔らかな光がふわりと広がり、守護のオーラが形を成した。


「えっ、すごい…!」フィルは驚きの声を上げ、目を輝かせた。


エイレンも感動した様子でログに頭を下げた。「勇者様、ありがとうございます!これで守備力はばっちりですね!」


ログは二人の喜ぶ様子を見て、ふっと笑みを浮かべた。「お前らが危なっかしいから、教えたんだ。無駄にするなよ。」


フィルはその笑顔を見て、一瞬だけログがただの気まぐれではないことを感じ取った。だけど、すぐに照れ隠しのように焚き火の炎を見つめ直した。「本当に、ありがとうね…」


ログは何も答えず、焚き火の明かりの中で目を細めたまま、ただ静かに夜の空を見上げていた。







翌朝、フィルが目を覚ますと、エイレンとログの声が焚き火の近くから聞こえてきた。


「いや、ここはもう少しこういうふうにお願いします!」


「注文が多すぎるって!僕は便利屋じゃないんだぞ」


フィルは寝袋から顔を出し、ぼんやりと二人のやり取りを眺めた。ログが腕を組み、眉をひそめながらエイレンに文句を言っている。エイレンは真剣な表情で手元の紙に集中していた。


「二人とも、何してるの?」


フィルが声をかけると、エイレンが振り返って微笑んだ。


「あ、おはようございます、お嬢様。紅茶いかがですか?」


彼は焚き火で沸かした小さなやかんを持ち上げて見せた。


「おはようエイレン…。ありがとう、いただくわ」

フィルは少し眠そうな顔で起き上がり、近くの丸太に

腰掛けた。


その横でログがため息をつきながら言う。「おい、この従者に言ってやれ。僕をこき使うなと」


「こき使うって…僕、ただ護符の作成を手伝ってもらっていただけですよ」


エイレンはそう言いながら、自分の手元を示す。そこにはエイレン手書きの魔法の護符がずらりと並んでいた。


「これに勇者様の魔力を込めれば、守備力はばっちりですよ!」


エイレンは得意げに笑みを浮かべる。


「へぇ…便利ね。でも、ログがそんな協力的だったなんて意外」


フィルは護符を手に取り、じっくりと観察する。丁寧な字で魔法陣が書かれていて、いかにも効果がありそうだった。


しかし、ログは腕を組んだまま不満げに言い放つ。「僕は便利屋じゃない…もういい、ちょっと休憩させてもらう」



そう言い残し、ログは姿を光の粒に変え、指輪の中へと戻ってしまった。


「なんだか怒っちゃったみたいね」


フィルが指輪を見つめながら呟くと、エイレンは首を振り、そっと笑った。


「いえ、あの人なりの照れ隠しですよ。なんだかんだ、一晩中見張りをしてくれていたんです」


「えっ、そうなの?」


フィルは驚いてエイレンを見た。


「ええ。僕が夜中に目を覚ましたとき、ずっと周囲を見張っていました。『危なっかしい連中を守るのも楽じゃない』とか何とか言いながら…」


エイレンの口調には、どこか感謝と尊敬が滲んでいた。


「そうだったんだ…」

フィルは指輪を軽く撫でながら、焚き火を見つめた。「本当に素直じゃないんだから」


エイレンは微笑みながら湯気の立つカップをフィルに渡した。「お嬢様も、少しは休めましたか?」


「うん、なんとかね。…それにしても護符、たくさん作ったのね」


フィルは護符の束を手に取り、エイレンを見た。

「はい!これで少しは役に立てると思います」


エイレンの瞳は自信に満ちている。「次は僕がちゃんとお嬢様をお守りしますから!」


その言葉に、フィルは微笑みを返した。「頼りにしてるわよ、エイレン」


静かな森の朝。焚き火の残り火がぱちぱちと燃える音と共に、少しずつ二人の緊張がほぐれていった。



指輪の中で休むログも、薄れゆく光の中で二人の会話を聞いていたのかもしれない――そんな気配が、どこかに漂っていた。







朝の支度を終えると、焚き火はすっかり消え、ログの姿もまだ見当たらなかった。

フィルは指輪を見つめ、ぽつりと呟いた。「ログ…次はいつ出てくるのかな」


エイレンは肩をすくめて笑いながら言った。「あの方は気まぐれですからね。必要な時にはまたひょっこり出てくるんじゃないでしょうか。」


「本当に…あの気まぐれさ、もう少しどうにかならないのかしら」


フィルは小さくため息をつきつつも、旅の荷物を整えて決意を新たにした。「次の町で情報を集めないとね」




森を抜け、日が高く昇る頃、二人はようやく城下町にたどり着いた。賑やかな通りには活気が溢れ、人々が行き交っている。市場では商人たちが声を張り上げて品物を売り込み、子どもたちが路地を駆け回っていた。


「なんだか久しぶりね、こんなに賑わってる場所」

フィルは目を輝かせながら周囲を見回した。


「この先には山があって、その向こうに海が広がっているそうです。そしてその手前に…例のドラゴンがいる塔があるらしいですよ」


エイレンは手にした地図を指さしながら言った。

「となると、情報を集めるのが先決ね」

フィルは真剣な顔でエイレンを見て頷く。「宿の酒場なら噂話が集まるでしょう?」


「はい、その通りです」


二人は町の宿屋に向かい、重い扉を押し開けた。







【酒場にて】



宿の酒場は、騒がしい声と酒の香りで満ちていた。テーブルを囲む人々の笑い声や冒険者の地図を囲んだ話し声が飛び交い、まさに情報収集にはもってこいの場所だ。


しかし、その中でひときわ目立っていたのは、鎧をまとった一団――ソルディア城の騎士団だった。


「おい、聞いたか?勇者が復活したって話、本当らしいぞ!」


興奮気味に話す騎士の声が二人の耳に飛び込んできた。

「聞いた聞いた!あの銀髪の団長、ロウェン様が直々に目撃したとか。魔物を一瞬で打ち倒したんだってよ!」

「まじかよ…そりゃ驚くわな。勇者なんて伝説だと思ってたのに、まさか本当に復活するとは!」

騎士たちが盛り上がる中、酒場の他の客も興味津々で耳を傾け始めた。



フィルとエイレンは顔を見合わせ、小声で囁き合う。

「やっぱり、ログのことが噂になってる…」


「団長が見たとなると、この話はすぐに広まりますね。王国中に知れ渡るのも時間の問題です」


エイレンは緊張した面持ちで言い、フィルも同じように眉をひそめた。


「これから厄介なことになりそうね…」


そんな不安げな二人の背後で、不意に気だるそうな声が響いた。

「僕がなんだって?」


フィルとエイレンは驚いて振り返り、声の主を見て目を見開いた。


「ログ!?なんで今出てくるのよ!」


「見つかっちゃいますよ!」


二人は慌てて小声で叫びながら、ログを睨みつけた。ログは相変わらず気だるそうな表情を浮かべ、酒場の騒音にも全く動じる様子がない。


「なんでって、僕の話をしてるみたいだから出てきただけだろ?」


「そういう問題じゃないわよ!」


フィルが必死にログを隠そうとするが、既に遅かった。



「おい、あれ…勇者だ!」


騎士団の一人がログを指差し、目を丸くした。騒ぎは一瞬にして広がり、酒場中がざわめき始めた。


「だから言ったのに!」


フィルは焦りながらログの腕を引っ張るが、ログはどこ吹く風で場の注目を一身に浴びている。


その時、酒場の扉が重々しく開き、銀髪の団長ロウェン・ヴァルターが堂々と姿を現した。彼の整った顔立ちと凛々しい姿が場の空気を一変させる。


「勇者殿」


ロウェンはログに向かって深々と一礼し、静かに口を開いた。「あなたを探しておりました」


ログは面倒くさそうに眉をひそめ、「は?」と短く応じる。


「私はソルディア王国騎士団団長、ロウェン=ヴァルターです。森の中であなたに助けていただき、その報告を王にしましたところ、王が直々にお会いしたいと…」


その言葉にフィルは思わず頭を抱えた。「…もう、厄介なことになったわ」


「王が僕に?なんで?」

ログは顎に手を当て、考える素振りを見せる。


「王があなたの力を必要とされています。これは国の存亡に関わる重大な要請です」


ログはしばし考え込むと、肩をすくめて言った。「まあ…別にいいけど」


「えっ!?いいの?」


フィルは驚いてログを見上げた。


「城に行けば何か面白い情報があるかもしれないだろ?」


ログは気楽な口調で言い放ち、ニヤリと笑った。


エイレンは慌てて同調する。「そ、そうですね!さすが勇者様!」



一方で、フィルは胸騒ぎを抑えられず、何とも言えない表情を浮かべた。「本当に大丈夫なの…?」



そんなフィルの不安をよそに、ログは悠然とその場を仕切り始めていた。彼の背中を見つめながら、フィルは次に訪れる困難を予感せずにはいられなかった。

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光の勇者ログツィーノ 篝みづほ @kagarimiduho

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