第6話 伝説の勇者が強すぎるけど気まぐれすぎる件
【森の中】
深い森に差しかかったフィルとエイレンは、ドラゴンがいるという塔を目指し、険しい山道を慎重に進んでいた。街道からは距離を取り、騎士団に見つからないよう隠れながらの旅だ。だが、突然あたりの空気が変わった。冷たい風が吹き抜け、森の木々がざわつき始める。
「…嫌な感じがする。」
フィルが立ち止まった瞬間、不気味な影が木々の間から現れた。鋭い咆哮が耳をつんざくと、闇に覆われた巨大な狼のような魔物が群れを成して姿を現した。
「魔物だ…!」
フィルは護身用の杖を握りしめ、慌てて呪文の詠唱を始めた。出かける前に古い書物を見て必死で覚えた守りの魔法だが、これで足止めできる保証はない。エイレンはすぐに剣を抜き、フィルの前に立ちはだかった。
「お嬢様、ここは僕が時間を稼ぎます!後ろに下がってください!」
彼の声は冷静だったが、その剣を握る手には微かに緊張がにじんでいた。魔物たちは猛スピードで迫り、二人を包囲してじりじりと追い詰めていく。
フィルは額に汗を浮かべ、震える手で杖を握り直した。魔法の詠唱を続けながら、心の中で自分を責める。
「こんなことになるなら…もっと色々勉強しとくんだった…!」
魔物の鋭い牙が彼らに届こうとしたその瞬間――
森を揺るがすような馬蹄の音が響き、木々の隙間から騎士団の一行が現れた。先頭を行くのは団長、ロウェン・ヴァルターだ。彼は剣を抜き放ち、威厳のある声で命じた。
「全員、魔物を討て!二人を守るのだ!」
騎士団員たちは果敢に剣を振るい、魔物たちに挑みかかった。だが、魔物の数は多く、その猛攻に次第に押されていく。ロウェンも剣を振り下ろし、奮闘していたが、戦況は圧倒的に不利だった。
「お嬢様、このままでは…!」
エイレンが必死に声を張り上げたが、フィルは答えられなかった。迫りくる魔物の影、魔法の詠唱で枯れかけた喉――限界だった。
「誰か…助けて…!」
彼女のつぶやきが静かに響いた瞬間、フィルの指輪が淡く光を放った。眩い光が広がり、森全体が一瞬で静寂に包まれる。
空気が凍りついたかのようだった。風は止み、魔物たちは怯むように後ずさる。その中から、金色の光をまとった影がゆっくりと現れた。
「やれやれ、さっそくピンチな感じか?」
気だるそうな声が響く。ログが髪をかき上げながら姿を現した。金色の髪が神々しく輝き、全身が圧倒的なオーラに包まれている。
ログは状況を一瞥すると、面倒くさそうにため息をついた。「お前ら、ほんとにどんくさいな。次はもっとマシに逃げろよ。」
魔物たちが咆哮を上げ、一斉にログに襲いかかった。しかし――
「…ったく、遊び相手が多いな。」
ログは剣を抜き、軽く振り下ろした。金色の閃光が剣から放たれ、魔物たちを次々と飲み込む。衝撃波のような光の波が森全体を包み込み、魔物たちは一瞬で消え去った。
だがそれでも、ログはどこか余裕の表情を崩さない。襲いかかってきた最後の魔物を前に、わざと剣を肩に担ぎ、「ほら、もっと近くに来いよ」と挑発する。一際大きなその魔物が飛びかかると、ログはその攻撃をひらりとかわした。そのまま体重をまったく感じさせない跳躍をすると、上空から剣を振り下ろして光が切り裂いた。その一撃で森全体が震え、リーダー格の魔物も跡形もなく消え去った。
ログは剣を納め、肩をすくめる。「なんだ、これで終わりか。」
騎士団は目を見開き、ただ立ち尽くしていた。ロウェンの手も、剣を握ったまま震えている。
「これが…伝説の勇者…?」
ログはフィルを見やり、「全滅するところだったな。次はさっさと呼べよ。」と言い捨てると、すたすたと歩き出した。
「あっ、ちょっと待って!」
フィルとエイレンが慌てて追いかけると、ログは二人の手を掴んで突然駆け出した。
「えっ、ちょっと!」
「黙って走れ!あいつらを巻くぞ!」
後ろでは騎士団が彼らを追おうとしていたが、気がつけば三人の姿は森の奥へと消えていた。
「ロウェン団長…勇者一行を見失いました!」
報告する部下の声に、ロウェンは硬直したまま答えられなかった。
目の前で起きた光景――まるで神話の中の一幕を見たような非現実的な戦い。あの男の力が、果たして我々が信じる『救い』になるのか、それとも…とんでもない災厄をもたらすのか。
「団長?」
兵士の声で現実に引き戻されたロウェンは、険しい表情で森の奥を見つめた。「…今はいい。このことはすぐに王に報告する。」
彼の声には、勇者の力を目の当たりにした畏敬と恐怖の念が滲んでいた――。
全速力で騎士団を巻いた三人は、森の奥でようやく立ち止まった。
フィルとエイレンは木に寄りかかり、息を切らしながらその場に座り込む。
ログはというと、汗一つかかず、息も乱れていない。平然とした顔で、腕を組みながら二人を見下ろしていた。
「ここまでくれば、とりあえず大丈夫だろう」
ログが淡々と言うと、フィルは呆れたような顔をする。
「…ちょっと、休憩…しましょう」
フィルはその場に座り込むと、ぐったりと肩を落とした。「ありがとう…勇者様…助かったわ…」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
エイレンは心配そうにフィルを覗き込みながらも、自分も息を整えるのに必死だった。
「それにしてもログ…あなた、本当に疲れないの?」
フィルが不思議そうに尋ねると、エイレンも同じ疑問を抱いたようにログを見上げる。
ログは自分の手のひらをじっと見つめ、ポツリと呟いた。「どうやら、そうらしい」
その言葉には、万能感よりもどこか苛立ちが滲んでいた。
「食べなくてもいい、疲れもしない…そして最強。便利な体だろう?」
自嘲気味に笑うログの声に、フィルは戸惑いを隠せない。一方で、エイレンは純粋な尊敬の眼差しを向ける。
「すごいじゃないですか…まさに伝説の勇者そのものです!」
ログは鼻で笑い、フィルの指輪を指差した。「ならお前が代わりにここに入るか?」
「え?!い、いや…遠慮しときます!」
エイレンは全力で拒否し、慌てて顔を振った。その反応に、フィルとエイレンは「この話題には触れない方がいい」と無言で合意した。
「はぁ…とにかく、少し休憩ね」
フィルはため息をつきながら、水筒と母親が作ってくれたサンドイッチを取り出した。一つをエイレンに渡そうとしたその瞬間――ログがそれをひょいと取り上げ、口に放り込んだ。
「ちょっと!」
フィルは驚きの声を上げた。「あなた、食べなくても大丈夫なんでしょ?!」
ログは無邪気にサンドイッチをかじりながら言った。「別にいいだろ?三百年ぶりの食べ物なんだし」
「もう…!」
フィルは呆れたようにため息をつき、腕を組んでそっぽを向いた。「あなたがどんな人か、だんだんわかってきたわ」
その様子を見ていたエイレンは、思わずクスッと笑ってしまう。「お嬢様、ログ様は気まぐれなんですよ。無駄に怒っても仕方ありません」
ログはサンドイッチを片手に、ニヤリと笑った。「お前も分かってるじゃないか」
フィルはさらにむっとしてエイレンを睨んだ。「ちょっとエイレン、誰の味方なの?」
「え、それはもちろん…お嬢様です!」
エイレンが慌てて答えると、ログはサンドイッチを飲み込みながら、どこか楽しげに言った。
「仲良しごっこもいいけど、お前たちももう少しまともに戦えないのか?まったく、見てるこっちがヒヤヒヤする」
フィルは顔を赤くしながら拳を握りしめた。「なんですって!次はもっと上手くやるんだから!」
「お嬢様、落ち着いてください」
「だからどっちの味方なのよ!」
「お嬢様です!」
ログは余裕たっぷりに微笑みながら言った。「とりあえず、二人には戦いの基礎というものがまるでないことがよくわかった」
フィルは悔しそうに呟く。「ええ、そうね…今までそんなもの必要なかったから…」
「…そうか」
ログはしばらく考え込むように黙り込んでいたが、やがて静かに口を開いた。
「また同じことになって全滅されたら困るからな。よければ教えてやるけど?」
ログの提案に、フィルとエイレンは顔を見合わせた。恥ずかしいけれど、その言葉はまさに正論だった。彼らには、旅を続ける上で必要な知識も技術も足りない。
「よ、よろしくお願いします!」
二人が頭を下げると、ログは水筒のお茶を一口飲み、立ち上がった。
「よし、じゃあしっかりついてこいよ。音をあげるんじゃないぞ」
「はい!」
こうして二人はログから防御や攻撃の基礎を学び始めた。しかし、訓練を始めてしばらくすると、ログは突然「飽きた」と言って森の奥へ歩き出した。
「なんですぐどっか行っちゃうのよ!」
「適当に復習しておけ。そのへん見てくる」
「こんな森、何もないですよ!」
そう抗議するフィルをよそに、ログは数分で戻ってきた。
「…何かあったの?」
フィルが尋ねると、ログは少し困ったような顔をして答えた。
「いや…どうやら見えないバリアが張られてるみたいだ。僕はこれ以上遠くへは行けない」
「…へ?」
フィルとエイレンは顔を見合わせ、ログの言葉の意味を必死に考え始めた――。
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