第5話 勇者の自由を求めて旅立つことになりました

【酒場にて】



街の復興作業は、騎士団の指示のもと、フィルの父によって着実に進められていた。人々は瓦礫を片付け、崩れた建物を修復しようと懸命に動いている。そんな中、フィルとエイレンは街の中心にある酒場に腰を落ち着けていた。


酒場の中はざわめきで満ちていた。あちこちから、姫にまつわる噂や、復活した賢者ドラゴンの話が飛び交っている。「姫が塔に幽閉されたって?」「ドラゴンを見た者がいるらしいぞ」「ドラゴンって、伝説の存在じゃないのか?」――そんな断片的なが、混乱と恐怖の中で広がっていた。


エイレンはカウンターに広げた魔法書と街の歴史書に目を通し、しきりにページをめくっていた。そこには、今から約300年前にこの街を救ったとされる勇者の話が記されていた。


「お嬢様、やっぱりこれは、たんなる伝説じゃなかったんですね…。」


フィルはため息をつきながら頷いた。「そうね。…でも、これからどうすればいいのかしら」彼女は指に嵌まった指輪を見つめ、ぽつりとつぶやいた。「ねぇ、勇者様…ログ…あなたに聞きたいことがたくさんあるんだけど。」


すると、指輪がぼんやりと光り始め、次第にその輝きが増していった。酒場の中で光が集まり、気がつくと、ログがめんどくさそうな表情でいつのまにか椅子に座っていた。彼は大きなあくびをしながら、目をこすった。


「また用事か?ほんと、休む暇もない」ログは気怠げに肩をすくめた。


フィルとエイレンは驚きで目を見開いた。エイレンが信じられないように声を上げた。「えっ、本当に出てきてくれるなんて…!」


ログはフィルの指に嵌った指輪をちらりと見て、ふっと笑った。「どうやらこの指輪が、あんたを主人として認めたらしいな。」彼はフィルをじっと見つめ、眉をひそめた。「それにしても、フィル…お前は何者なんだ?」


フィルはその問いに戸惑い、何かを答えようとしたが、ログの視線が彼女の顔から指輪へと移った瞬間、彼はハッとした表情を見せた。そして、その目に驚きが浮かぶ。


「待てよ…」ログは目を見開き、フィルの顔をもう一度しっかりと見た。「お前、俺の…子孫…ってことか?」


フィルは息を飲んだ。「えっ…そう、なの?」


ログはしばし沈黙し、指輪を見つめながら遠い過去を思い出すように目を細めた。「なるほど…僕が守ろうとしたものが、今も生き続けているってわけか。」その声には、どこか懐かしさと哀愁が混じっていた。


エイレンはフィルとログの間に漂う静寂を感じ取り、思わず息を飲んだ。「お嬢様…これからどうするんですか?」


フィルはログの言葉の意味を噛みしめながら、そっと指輪を握りしめた。「これからどうするか…私たちで、決めるしかないわね。」


ログは少しだけ微笑み、気だるそうにカウンターの前に座り直した。「まあ、そう焦らなくていいんじゃないか?まずは僕に質問するんだろ?面倒なことじゃなければ、答えてやるよ。」


フィルは深呼吸をして、ログに向き直った。今こそ、長い旅の本当の始まりが見えてくるような気がしていた。


「なぁお嬢さん。」ログがフィルに向かって手を差し出す。「お茶を一杯頼んでもいいか?」


フィルは一瞬ぽかんとした。「お茶…?勇者様が飲みたいの?」


ログはうんざりしたようにため息をつき、軽く笑った。「そうだよ。考えてみれば、何かを口にすること自体、三百年ぶりだ。いいだろう?」


フィルは店主にお茶を頼み、出されたカップをログに渡した。ログは湯気を眺めながら、その香りを楽しむように目を細めた。「不思議だな…封印されてから、こんな些細なものにも触れられなかったんだ。」


エイレンは興味深げに尋ねた。「勇者様は、三百年も何も食べたり飲んだりしなくて平気なんですか?」


ログはお茶を一口飲み、目を細めながら答えた。「ああ、考えたこともなかったな。生きるために必要なことなんて、封印の中じゃ意味を持たなかったから。」


フィルは彼のその言葉に胸が少し痛んだ。「でも今は、こうして味わえるのね。」


ログはふっと笑いながら、カップを置いた。「ああ、悪くない…」


フィルはその様子を見てから、真剣な表情になった。「ログ、さっきの話の続きを聞かせて。あなたが守ろうとしたものって…一体なに?誰か…大切な人がいたの?」


ログは表情を曇らせ、視線を遠くに向けた。「ああ、いたさ。僕の大事な人…。彼女は、隣の領地の領主の娘だった。」


フィルとエイレンは黙って耳を傾けた。ログはどこか懐かしそうに、しかし苦々しく話を続けた。「僕は彼女を守るために戦った。でもその結果、自分は封印されて…彼女に別れも告げられず、ここに閉じ込められたんだ。」


ログはそう言ってフィルの指輪を指差した。

フィルはログの話に胸が締め付けられるような思いがした。「それでも、あなたの守った命は今も続いているわ。私たちがその証拠よ。」


ログはその言葉に少し微笑んだが、瞳には深い孤独が残っていた。「そうだな…僕が守ろうとしたものが、今も生きているんだよな…」


フィルは指輪を握りしめ、これから先に待ち受けるであろう戦いに向けて決意を新たにした。彼女はログと共に、この街を守るため、そして彼の自由を見つけるために進んでいく覚悟を固めた。


フィルは指輪を握りしめ、決意を込めてログに向き直った。


「ログ、あなたは命をかけてこの街を、そして大切な人を守ってくれた。だから今度は私たちがあなたを救いたい。あなたを解放する手段を本気で探したい。だから、力を貸してほしいの。」


ログは少し目を細め、ふっと鼻で笑った。そして、フィルの指輪を見ながら言った。


「力を貸す、ね。まあ、僕としても君たちに手伝ってもらうのは当然だと思ってるよ。何せ、この街を救ったのは他でもないこの僕なんだからね。」

彼は腕を組み、わざとらしく顎に手を当てて考えるふりをする。


「でもまぁ…そうだな。君たちが僕の自由を見つけるために本気だっていうなら、僕が力を貸すのも…英雄の宿命ってやつなんだろうな。」


ログは一瞬満足げに頷いたが、その後すぐに肩をすくめて言葉を続けた。


「とはいえ、僕は面倒なことはなるべくごめんだ。君たちがちゃんと動いてくれるなら、少しは手伝ってやらんこともないけどな」


フィルはその言葉を聞き、半ばあきれつつも笑みを浮かべた。「ありがとう。あなたがいてくれなら、きっと乗り越れられるわ」


ログは目を閉じ、少し芝居がかった口調で答えた。

「当然だ。僕がいれば君たちはそう簡単は負けない。なんせ僕は最強だからな。ただし、僕をこき使うつもりなら、覚悟しておけよ?」


エイレンが横から控えめに口を挟んだ。「勇者様、つまりそれって…僕たちが頑張らないといけないってことなんですね?」


ログはエイレンに視線を向け、口元に薄い笑みを浮かべた。「その通り。まぁ、僕がいればほとんどの問題は片付くけどね。…君たちが余計なことをしなければの話だけど」


フィルは指輪をそっと握りしめ、深く息をついた。「それでも大丈夫。私たちはログと一緒に進むだけ。それが、私の選んだ道だから。」


ログはその言葉に目を細め、微かに微笑んだ。「そうか。じゃあ、僕の運命にしっかり付き合ってもらうとしよう」






──────


【フィルの屋敷にて】




街では復興作業が進む中、賢者ドラゴンの存在が話題の中心となっていた。姫が幽閉されたという噂や、魔物の復活がドラゴンと関係しているという憶測が飛び交い、人々は恐怖を隠せないでいた。


フィルは、ログを解放するための手がかりを探すべく、エイレンと共に屋敷の書斎に篭もり計画を練っていた。テーブルの上には古い地図や魔法書が広げられ、二人は真剣な表情で議論を重ねている。


「ドラゴンが復活したのは偶然じゃないわ。」フィルは指輪を見つめながら静かに口を開いた。「魔物が現れたのも、ログを目覚めさせる必要があったのも…何か繋がりがある気がするの。」


エイレンは魔法書をめくりながら頷いた。「確かに、魔物の復活とドラゴンの目覚めが同時期なのはただの偶然とは思えません。でも…ログ様の封印を解く方法と、どう繋がるんでしょう?」


フィルは一瞬考え込み、決意を込めた表情で答えた。「ドラゴンは古の知識を持つ存在だと言われているわ。その知識が、ログを解放する鍵になるかもしれない。」


「でも、ドラゴンが姫を幽閉したって噂もありますよ。」エイレンは不安げに眉を寄せた。「簡単に会って話ができる相手じゃないでしょうし…」


フィルは苦笑しながらエイレンを見た。「確かにね。でも、このまま何もしないわけにはいかない。ドラゴンが姫を幽閉しているなら、私たちが彼女を助けなきゃ。ログの力を借りればなんとかなるだろうし。そしてそれがログを解放する手がかりになるかもしれないわ。」


その時、指輪がぼんやりと光を放ち始めた。フィルとエイレンが驚いて指輪を見つめると、中からログの声が響く。


「おいおい、勝手に話を進めるなよ。本当に行くつもりか?」


フィルは微笑みながら頷いた。「もちろんよ、ログ。あなたを解放するためなら、どんな手段でも試してみるわ。」


ログは呆れたように指輪の中から答えた。「ふーん。まあいいけどな。ただし、覚悟しておけよ。ドラゴンってのは、甘く見ていい相手じゃない。」


エイレンはログの言葉に表情を引き締め、フィルに向き直った。「お嬢様…僕が全力で守りますからね。例え相手が伝説のドラゴンでも。」


フィルは微笑みながらエイレンの肩に手を置いた。「ありがとう、エイレン。でも、私たちは一緒に乗り越えるのよ。街のためにも、ログのためにも。」






──────






ふたりは荷物をまとめ始めた。机の上には古びた地図やいくつかの魔法書、エイレンが集めた魔法薬が入った瓶などが並んでいる。フィルは荷物を詰め終わると、背中にカバンを背負い、指輪をそっと握りしめた。

「ログの契約を守らなきゃ…」フィルは小さく呟く。「でも、どうすれば彼を解放できるのか、まだ全然分からないわ。」


エイレンは帽子を被り、荷物を背負いながらため息をついた。「やっぱり賢者ドラゴンなら、何か知っているかもしれませんね。何百年も生きているって話ですし。」


フィルは指輪を見つめ、決意を固めるように頷いた。「ドラゴンなら、何か手がかりがあるはず…」


街ではいまだ賢者ドラゴンの噂が広がっていた。誰もがその強大な存在を恐れ、復活したドラゴンと魔物の関係に疑念を抱いている。しかし、その真相を知る者はいなかった。


エイレンは荷物を背負い直し、少し不安げに呟いた。「前途多難ですね…」


フィルはエイレンを見て、笑顔で力強く頷いた。「それでも進むしかないわ。ログを解放する方法を見つけるために。」




そうして二人は家を出た。ログと共に未知の旅が今まさに始まろうとしている。険しい道のりが待っているかもしれないが、ふたりはその先に希望を見つけることを信じていた。





──────






フィルとエイレンは、街の端にひっそりと立っていた。騎士団の厳しい監視の目を避け、密かに旅立つためだ。夜明け前の静寂が広がる中、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。冷たい朝の風がフィルの髪をそっと揺らした。


「本当に行くのかい…?」


フィルの母がそっと歩み寄り、彼女をしっかりと抱きしめた。その腕には不安と愛情、そして送り出す覚悟が込められている。


フィルはその温もりに一瞬目を閉じたあと、小さく頷いて母を見上げた。「お母さん、行ってきます…お父さん、この街をお願いします。」


フィルの父は厳しい表情を浮かべながらも、娘に深い信頼を込めた目を向けた。「ああ、くれぐれも気をつけるんだ。街は任せておけ。だが、無茶だけはするなよ。」


そして、エイレンに視線を向けると力強く言葉を続けた。「エイレン、フィルを頼むぞ。」


「もちろんです!」


エイレンは腰の短剣に手を添え、胸を張った。「何があっても、僕が必ずお嬢様を守ります!」


その言葉に、フィルの母は少し微笑みながらも、涙を浮かべた。「エイレン…うちに来た頃はあんなに泣き虫だったのにね。今ではすっかりたのもしくなったわ。」


フィルの父も少しだけ口元を緩めて頷いた。「二人ならきっと大丈夫だ。それに…勇者様もついている。君たちが命を懸けて目覚めさせた勇者なら、この街を救ってくれたように、きっとお前たちを守ってくれるだろう。」


その言葉に、フィルは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。「そうだね…私たちは勇者様の力を信じる。そして、彼の自由を手に入れる方法を絶対に見つけるわ。」


両親は無言で頷き、静かに娘の肩を叩いた。その手は、送り出す者としての覚悟を感じさせた。


フィルとエイレンは一礼して、静かに街の裏手から森の中へと足を踏み出した。徐々に背中が見えなくなり、森の緑に二人の姿が溶け込んでいく。


いつまでも見送る両親の背中に、フィルの母がぽつりと呟いた。「勇者様がきっとあの子たちを守ってくれるわよね…?」


「そうだな。あの伝説の勇者がいれば心配いらない。フィルとエイレンなら、きっと自分たちの道を切り拓けるさ。」


フィルの父は言葉に力を込めるようにそう言いながらも、消えていく娘の背中を目で追い続けていた。

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