回答
「おはよう」
机の上のミニサボテンに声をかけた。
当然反応はない。
彼はいい。ちょこんとしていて可愛くて、けれどトゲのおかげで触れようとは思えない。
私でも自然と距離を開けられる。
サボテンを愛でるのもほどほどに、キッチンへと移動し簡単に朝食を作る。
食パンにハムとスライスチーズを乗せてトースト。お皿に乗せたら、コンビニの大根サラダをそこに開ける。
それからたまごスープの素を器に入れてお湯で溶かしたら、これもまた食卓に並べる。
大したことはなにもしていないけれど、食パンを焼くこともせず、ジャムを塗って食べるだけだった頃に比べれば立派な朝食だ。
「いただきます」
一口ひとくち、ゆっくり食べる。丁寧に。味を舌に溶かし込むように。
「ごちそうさまでした」
食べ終えたら洗い物を済ませる。あとでいいやと水に浸けるだけにしておくと、シンクがいっぱいになるまで放置してしまう。
洗い物を終えたら次は食休みを一時間。ニュースを見たり、スマホゲームにログインしたり。
ニュースではペット特集を流していた。犬や猫だけでなく、カワウソなんて変わり種もいた。
流石にサボテンでは張り合えない。可愛さでは負けてないと思うのに。
十分な食休みを取ったら、次は着替え。ただ部屋着から外着へ。めかしこむ必要はない。
「行ってきます」
サボテンに声をかけて外に出た。日は出ているけど暑くはないので、わざわざ日向を選んで歩く。
途中、小さな公園の小さな砂場で、一生懸命砂を盛り続ける小さな女の子を見つけた。
すぐ側のアパートの子だろうか。
こんな時間から一人で何をしているのだろうと気になったので、思い切って声をかけてみる。
何も悪いことはしないけど、通報されたら面倒なことになる前に逃げよう。
「こんにちは。何してるの?」
「おやまつくってる」
「お山作ってどうするの?」
「こわす」
「な、なんで壊すの?」
「ちぃちゃんつよいから」
確かに強いなと思った。
こんな小さな子が一人家を飛び出して公園で砂遊びをするのも。
一人称が「ちぃちゃん」なのも。
砂の山を崩すことを強いからと言い切れるのも。
どれも、私には持ち合わせがない強さだった。
「どうせ壊すならさ、トンネル掘ってみてもいい?」
ちぃちゃんはじっと私の目を見た。
無遠慮に意図を図ろうとする目だ。
私はそれに行動で応えた。
砂山の根元を少しずつ崩しながら、手で掘り進めていく。
ちぃちゃんは私の真似をするように反対側を掘り始めた。
冷たい砂の感触も、爪の間に砂が入り込んでくる感覚も、なんだか全部懐かしい。
やがて、手の先に小さくて柔らかいものが当たった。
ちぃちゃんの手だ。
そっと、砂の中で短い握手をした。
「開通したね」
「うん」
「壊す?」
「やっぱやめる」
ちぃちゃんは砂山から手を引き抜くと、そのままどこかへ走り去っていってしまった。
家に帰ったのだろうか。
ぽつんと誰もいない公園に取り残される砂山と私。
しばらくちぃちゃんと開けたトンネルを眺めてから、私も公園を出た。
公園はみんなのものだから、きっとずっとは残らないだろう。
次に見たときに崩れてしまっていたら、ちぃちゃんは悲しむだろうか。
私が一人でまたこっそり同じものを作ったら、ちぃちゃんは喜ぶだろうか。
いいや、出来ない。
トンネルは二人で開けるものだ。
住宅街を抜けて繁華街へ出た。
ほどほどに人は多いけれど、平日だからかそこまででもない。
ランチはどこで食べようか。
物色するようにお店の看板を眺めながら歩いていると、一件の猫カフェを見つけた。
入ろう。そう思ったのに理由はきっとない。ランチまで時間をつぶすのにちょうど良さそうだったとか、そのくらいだと思う。
けれど、ドアを開けようと差し出した手が砂で汚れていたので、開ける前にコンビニへ駆け込んでトイレを借りた。
公園で洗ってくればよかったと反省しながら手を洗って、それから改めて、コンビニを出て猫カフェへ入店する。
初めての入店だった。
店員さんに一通り説明を受けてシステムを理解したからといって、どう過ごすかが定まるわけではない。
仕方なく、注文した一杯のコーヒーを飲みながら、置いてあった雑誌を読むことにする。
変な客だと思う。猫カフェに来ておいて、猫に構わず雑誌を読み耽るのだから。
そんなところが気になったのか、膝の上に真っ白で毛の長い猫が乗ってきた。
こちらに何を訴えるでもなく、猫はただ私の膝の上に落ち着いてしまった。
おずおずと、雑誌からゆっくり離した手で撫でてみる。反応はない。ように見えたけど、尻尾がゆらりと揺れた。
気持ちいいのだろうか。こんな私の手でよければと、その猫をただ撫で続けた。
そこでふと、この猫の名前が気になった。テーブルに置かれていた名簿から特徴が一致する子を探してみる。
そして不意に、笑みがこぼれた。
「あなたも『ちぃちゃん』なんだね」
ちぃちゃんは一切こちらを見ないまま、ただ尻尾をゆらりと揺らした。
しばらくゆったりとした時間を過ごした。時計を見て、そろそろお昼にしないと混み合うかなと、そう思うと同時に、ちぃちゃんは膝を下りてすたすた歩いていってしまった。
不思議なものだ。彼女はどうやってこちらの感情の機微を読み取っているのだろう。
私に見えないだけで、私にも揺れる尻尾のようなものがあるのだろうか。
猫のちぃちゃんに思いを馳せながら、再び繁華街を歩く。
お昼は結局、牛丼屋さんで定食を食べた。
フレンチやイタリアンのレストランを見かける度に少し悩んだけれど、やはりこちらの方が私に合っている。
それにこれでも、私のランチにしては贅沢な方だ。
お腹をくちくすると、最後に100円ショップに寄って、穴開きパンチとバインダーを買った。
小さな買い物袋を下げて家路を歩く。
あの公園の前を通ったとき、人間の方のちぃちゃんを見かけた。
彼女の側には母親らしき人がいて、どうやらあのトンネルのお山を自慢しているらしいということが遠巻きにもわかった。
私がそれを少し恥ずかしく思っていると、ちぃちゃんは私に気がついて、母親に気づかれないくらい小さく、控えめに手を振った。
私も同じように振り返した。それだけで、まるで彼女と友達になったような気分だ。
なんだか温かな気持ちを胸に抱いたまま家に帰る。
サボテンにただいまと声をかけてから、布団に飛び込み昼寝をした。
ささやかだけど、これに勝る贅沢はないと思う。
昼寝から起きると夕方だった。
私はお風呂を掃除して、お湯を張っている間に出前をとる。
ちょうどお風呂から出るくらいの時間を指定して、それから私はお風呂
に入り、湯気の立つ浴槽に肩まで浸かった。
熱が体を包みこんでいく。私の体も温まって、温度の差が小さくなった頃、長い、長い息を吐いた。
疲れが全部出ていくようだった。
体を洗って、それからまた湯船に浸かって、子どもみたいに百まで数えてからお風呂を出た。
髪をドライヤーで乾かす。玄関でチャイムが鳴ったのは、ちょうどその途中だった。
待たせては悪いと、それを言い訳に髪を乾かす作業を放り出す。
「こんちはー。ピザキャップでーす」
玄関で配達のお兄さんからピザを受け取り、代わりに料金を渡した。
「ありがとうございました」
「ありあとざしたー」
小さく彼に頭を下げて、立ち去るその背中を見送る。
お疲れ様です。
声には出さず、念だけ飛ばした。
リビングに戻り、ピザを開ける。
特別な具材は何もない、シンプルなマルゲリータ。その素朴な味わいが私は好きだった。
Mサイズのピザは二切れ余った。
Sだと小さいので、これはもう仕方がない。ラップをして冷蔵庫にしまって、明日の朝食にしよう。
それからまたしばらく、テレビを見たり、スマホを触る時間を過ごした。
気づくと夜は更けていた。
そろそろ眠たいけれど、まだやることが残っている。
君がのこした卒業試験。
その用紙をコピー機にかけた。
コピーの方に、いろいろと書き込んでいく。
おはよう、行ってきます、ただいま。それから、こんにちはと、ありがとうございましたをした。
ご飯も三食きちんと食べた。健康的というほどでもないけれど、不健康でもない食事を、おなかいっぱい。
外にも出た。日差しをたっぷり浴びた。
そしてちぃちゃん(人間)やちぃちゃん(猫)とお話した。猫カフェの店員さんや、ピザ屋の配達のお兄さんとも言葉を交わした。
ちぃちゃん(人間)とは一緒に遊びもした。砂場で作ったお山のトンネルは何時まで残るだろうか。
それから、100円ショップで穴開きパンチとバインダーを買った。これでこの試験用紙を束ねていこうと思う。
熱いお湯にも肩まで浸かった。たっぷり百秒数えてやった。
そして今日は、ちぃちゃん(人間)と遊んだのが楽しかった。ちぃちゃん(猫)も可愛かった。砂の手触りも、柔らかな毛並みの手触りも、忘れられそうにない。それと、マルゲリータがいつも通り美味しくて、なんだか安心した。
明日は、ちゃんと出勤してみんなに謝ろう。今日は急に休むことになってしまったから。その分、バリバリ頑張ろう。
その途中、あの公園の砂場も確認していこう。まだ崩れていなかったら、写真を撮ってみんなに見せよう。
そして。
明日も100点を取る、と用紙に書き込んだ。
採点。あとでサボテンにおやすみを言うから、それも込みで。
95点。
君がのこした、100点満点なのに95点しか取れない卒業試験。
最後の5点が何か、本当は気づいていた。
これは君からの卒業試験。満点を取れたら君がいなくても生きていけるって、そういうことでしょう?
最後の5点はきっと、「僕のことを忘れること」。
書いてしまったら忘れられなくなると思って、書けなかったんでしょう?
だからこれは、君が悪い。最後の問題を君が透明にしたから、私はその上に、勝手に新しい問題を書き足すんだ。
その十.君の笑顔を忘れないこと。(配点:5点)
スマホに残る君との写真を見返した。
これで、100点。
点数を書き込んで、名前を書いて、それから買ってきた穴あけパンチで穴を開けると、バインダーにその穴を通す。
パタリ。バインダーを閉じた。まだ、一枚目。
一度きりにしてやるものか。卒業なんかしてやるもんか。
こんなもの、毎日だって繰り返してやる。
「おやすみ」
サボテンに呟いて、電気を消して布団に寝転んだ。
滲む視界を瞼で切る。
明日も100点をとろう。
あの笑顔まで、涙に滲んで消えてしまわぬように。
君からの卒業試験はデイリータスクになりました 舟渡あさひ @funado_sunshine
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